可逆的なるもの、不可逆的なるもの。
そろそろほんこーんネタを取り上げ てアクセスアップさせ るのも打ち止めにして、通常モードに入りたいのですが、もう少しお付き合い願います。じゃないとねえ、本気でそろそろなんのブログかわかんなくなっちゃうんだよね。
今、2chの運用情報のあたりでは、一人のφ★が扱える板を一つにしよう、みたいな流れがあるようなんだけど、なんでそんな人の心を折るようなことをするのかとすごく泣きそうな気分です。φ★は一つの板に専念するべき、っていう考え方もわからなくはないけれど、十把一絡げに適用するほどのことではないでしょう。しかも、おいらの場合、「ほしかったらあれもこれもつけてやる」みたいな感じでやられた枠拡大や二軍制度と違うんですけど。やれやれ。どうもこのところ「ブログに書きゃいっか」みたいな気持ちになる流れが多くて、よくない傾向だなあって思ってはいるんだけど(とか書くと、「じゃあそれでいいじゃん」って言われそうだなあ。)。
ITmedia、ねとすたと続いて、MouRaの「ザ・ビッグ バチェラーズ ニュース」にほんこーんのインタビュー記事と動画が掲載。ホワイトボードにメッセージ付きイラストを描いている様子と、「letter song」を練習している風景が映っていて、これはびっくり!
ニコニコ動画の神インタビュー 第7話 歌に力を「ほんこーん」
http://bachelors.moura.jp/?p=1034
ほんこーん関係で「いちばん好きな動画は?」と聞かれたら迷った挙句「メルト」を推すけれど、「いちばん好きな歌は?」と問われたら迷わず「夕日坂」と答えるおいらですから、「歌に形はないけれど」も含めると三回目となるきりたんP(doriko)の曲選択は嬉しい限り。あんまり期待するのもどうかと思うので、マイペースで、自分が納得できるものができたときにうpされるのを楽しみにしています。
この「letter song」なんですが、昨日鼻歌で歌っててふと思い浮かんだのは、「あれ?これ中国語で歌えるんじゃない?」という中二病(か?)全開な背伸びしまくりの発想。メロディーがゆっくりだし、歌詞も情景が思い浮かびやすい(と、この時は思った)しね。サビの入口の「10年後の私へ」は「給十年後的我」かなあって試しに口ずさんでみると、音が足りない。2音足りない。vocaloid中文歌詞wikiを見てみたけどやっぱり同じ訳だ。どうしよう。「給十年後的我自己」にしたら歌えるかな。
というよりこの中文の歌詞、日本語の歌詞をしっかりと訳しているのだけど、これそのまんまじゃあんまり歌えない。というより、たぶん中国語で歌うことよりも、「あの日本語の歌詞はどういうことを言っているのか」っていう中国語圏の人への資料提供っていう位置付けなんだろうけど、これはなんかもったいないなあ。
調子に乗ってちょろちょろっと中国語の歌詞を考えてみたけど、これって案外勉強になるね。文法もそうだけど、日本語の歌詞のニュアンスをちゃんと把握しないと中国語でも表現できないから、日本語の側でもごまかしが利かない。普段やってる中国語の記事の和訳なんて、適当(って書くと怒られるけど)もいいところだね。あれは、記事の大意でどうにかなっていることがあるし(本当は危ないのでダメですが)、実際の事実に基づいて(いると仮定して)いるから記事以外からも情報を得やすく、訳す前の意味を100%正確に拾えなくてもどうにかなるもんなんです。その点、歌詞は少ない言葉で情景を描くから、これを本当に理解しようとしたらそれだけでもハードルが高い。それを中国語に訳すとなると、ハードルっていうか棒高跳びのバーくらいだね。これまで気軽に「翻訳は、人の手が入る以上すべからく意訳」だなんて言っていたけど、これは猛反省。ほぼ1:1となる翻訳というのは思いのほか高い頂でした。「背に寄り添った 誰かの夢に 振り向ける日がいつか来るのかな」とか、考えただけで頭がショートするもんね。こうしてみると、日本語って難しいなと今さらながらに思う。まさかこういう形で母語を見つめなおすとは思いませんでした。
そんな日本語を母語とする人がこうして日本語の歌詞にビビっている中で、日本語の歌詞の意味を理解しようとしている海外の歌い手さんたちには脱帽ものです。想像以上に真剣勝負だね。勢いのまま、流れる歌詞(カタカナ)のままに英語の歌をカラオケで熱唱する(しかも上手くない)中の人の隣の人は、ランガムプレイスから飛び降りるべき。
むしろ、悩ましいのはニコニコ動画とかネット上の掲示板とかでもそうなんだけど、文化的なレベルでの交流っていうのは、「交流」とは言いながらも日本に向けての矢印ばっかりが太いことだよね。日本の文化を知ろうとする海外の人や、日本の文化を知ったことをきっかけに日本語を勉強する海外の人は多いけど、さらにそれを知ったことによって相手の国の文化を知ったり言葉を勉強する日本人ってあんまりみたことないんだよね。
とはいえ、「お前ら日本語で煽ってないで、チャイ語やハングルも勉強しる!」なんて言えるほどおいらも語学力があるわけではないので、せめて「交流」なんてちょこっとでも言えるくらいにはなりたいなと、ほんのちょっとだけ思った。
今、2chの運用情報のあたりでは、一人のφ★が扱える板を一つにしよう、みたいな流れがあるようなんだけど、なんでそんな人の心を折るようなことをするのかとすごく泣きそうな気分です。φ★は一つの板に専念するべき、っていう考え方もわからなくはないけれど、十把一絡げに適用するほどのことではないでしょう。しかも、おいらの場合、「ほしかったらあれもこれもつけてやる」みたいな感じでやられた枠拡大や二軍制度と違うんですけど。やれやれ。どうもこのところ「ブログに書きゃいっか」みたいな気持ちになる流れが多くて、よくない傾向だなあって思ってはいるんだけど(とか書くと、「じゃあそれでいいじゃん」って言われそうだなあ。)。
ITmedia、ねとすたと続いて、MouRaの「ザ・ビッグ バチェラーズ ニュース」にほんこーんのインタビュー記事と動画が掲載。ホワイトボードにメッセージ付きイラストを描いている様子と、「letter song」を練習している風景が映っていて、これはびっくり!
ニコニコ動画の神インタビュー 第7話 歌に力を「ほんこーん」
http://bachelors.moura.jp/?p=1034
ほんこーん関係で「いちばん好きな動画は?」と聞かれたら迷った挙句「メルト」を推すけれど、「いちばん好きな歌は?」と問われたら迷わず「夕日坂」と答えるおいらですから、「歌に形はないけれど」も含めると三回目となるきりたんP(doriko)の曲選択は嬉しい限り。あんまり期待するのもどうかと思うので、マイペースで、自分が納得できるものができたときにうpされるのを楽しみにしています。
この「letter song」なんですが、昨日鼻歌で歌っててふと思い浮かんだのは、「あれ?これ中国語で歌えるんじゃない?」という中二病(か?)全開な背伸びしまくりの発想。メロディーがゆっくりだし、歌詞も情景が思い浮かびやすい(と、この時は思った)しね。サビの入口の「10年後の私へ」は「給十年後的我」かなあって試しに口ずさんでみると、音が足りない。2音足りない。vocaloid中文歌詞wikiを見てみたけどやっぱり同じ訳だ。どうしよう。「給十年後的我自己」にしたら歌えるかな。
というよりこの中文の歌詞、日本語の歌詞をしっかりと訳しているのだけど、これそのまんまじゃあんまり歌えない。というより、たぶん中国語で歌うことよりも、「あの日本語の歌詞はどういうことを言っているのか」っていう中国語圏の人への資料提供っていう位置付けなんだろうけど、これはなんかもったいないなあ。
調子に乗ってちょろちょろっと中国語の歌詞を考えてみたけど、これって案外勉強になるね。文法もそうだけど、日本語の歌詞のニュアンスをちゃんと把握しないと中国語でも表現できないから、日本語の側でもごまかしが利かない。普段やってる中国語の記事の和訳なんて、適当(って書くと怒られるけど)もいいところだね。あれは、記事の大意でどうにかなっていることがあるし(本当は危ないのでダメですが)、実際の事実に基づいて(いると仮定して)いるから記事以外からも情報を得やすく、訳す前の意味を100%正確に拾えなくてもどうにかなるもんなんです。その点、歌詞は少ない言葉で情景を描くから、これを本当に理解しようとしたらそれだけでもハードルが高い。それを中国語に訳すとなると、ハードルっていうか棒高跳びのバーくらいだね。これまで気軽に「翻訳は、人の手が入る以上すべからく意訳」だなんて言っていたけど、これは猛反省。ほぼ1:1となる翻訳というのは思いのほか高い頂でした。「背に寄り添った 誰かの夢に 振り向ける日がいつか来るのかな」とか、考えただけで頭がショートするもんね。こうしてみると、日本語って難しいなと今さらながらに思う。まさかこういう形で母語を見つめなおすとは思いませんでした。
そんな日本語を母語とする人がこうして日本語の歌詞にビビっている中で、日本語の歌詞の意味を理解しようとしている海外の歌い手さんたちには脱帽ものです。想像以上に真剣勝負だね。勢いのまま、流れる歌詞(カタカナ)のままに英語の歌をカラオケで熱唱する(しかも上手くない)中の人の隣の人は、ランガムプレイスから飛び降りるべき。
むしろ、悩ましいのはニコニコ動画とかネット上の掲示板とかでもそうなんだけど、文化的なレベルでの交流っていうのは、「交流」とは言いながらも日本に向けての矢印ばっかりが太いことだよね。日本の文化を知ろうとする海外の人や、日本の文化を知ったことをきっかけに日本語を勉強する海外の人は多いけど、さらにそれを知ったことによって相手の国の文化を知ったり言葉を勉強する日本人ってあんまりみたことないんだよね。
とはいえ、「お前ら日本語で煽ってないで、チャイ語やハングルも勉強しる!」なんて言えるほどおいらも語学力があるわけではないので、せめて「交流」なんてちょこっとでも言えるくらいにはなりたいなと、ほんのちょっとだけ思った。
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