もうひとつの「海角七号」。

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自分でmixiの画像に使ってる「春原ロビンソン」の「マリー・アントワネット」に、たまに萌えそうになるから困っちゃいます。

台湾では相変わらず映画『海角七號(海角七号)』が話題のようだけど、ネット上で感想を見ていると、台湾の人と台湾在住の日本人とでちょっと感想が違ってて面白い。概して日本人のほうが評価厳しいのかな。ざっとしか見てないけど、そんな風に見受けられた気がする。
今日の自由時報に、リアル海角七号の記事があって訳し始めてはみたものの、どうやってスレ立てしようかなあと考えた挙句にここに貼ることにしました。
それにしてもやっかいな記事です。出だしから、
> 夯遍全台灣的電影「海角七號」,
でつまづく。
この場合の「夯」って「評判の」とか「ヒットしている」という意味なんですが、おいらの手元の辞書には載っていないような新しい意味です。こういうのはすごい勉強になるんだけど、やっぱり骨が折れますね。手間を惜しんで勉強しようとしちゃいけないんだけどさ。他にも肝心の愛の言葉である「我愛你,嘸你我會死」もやたら悩んだし。ここまで悩むと、もはやそんなんで出てきた訳文なんてスレ立てには向いていません。我ながらひどい訳です。
というわけで3本をぶっ続けで貼り。しんどいので訳註は基本的に無し。っていうか訳せたものから順次うpします。文章の齟齬と誤訳については謝罪はするけど賠償はしませんのであしからず。


90歳の日本人教師 海を越えて「友子」を探し63年
---
 台湾全土でヒットしている映画『海角七号』は、日本人教師と台湾人学生の恋愛物語という
だけではなく、現実の人生の中にも存在していた。

 90歳の日本人教師島崎義行は64年前、台中市の篤行国小の前身にあたる
昭和国民小学で教壇に立っていた。そして、彼より10歳年下の当時16歳だった女性給仕の
陳明珠と互いに恋に落ちた。
 日本の敗戦後、島崎は慌しく日本に帰ってしまったため陳明珠との関係も切れてしまった。
 島崎はその後これまでに数回台湾を訪れ彼女を探したが、音信は掴めないままだった。
 しかし、たとえ60年以上の歳月が積もり積もっても、陳を恋しく思う島崎の気持ちは、
かえって日に日に増すばかりであった。

 映画『海角七号』のストーリーでは、日本人教師の書いたラブレターは最終的には
ヒロインの友子の手元に届くことになる。
 しかし、現実世界の島崎にとっては、この世の無念が晴らさせる出来事にも出会わず、
思いを伝える郵便配達員も現れなかった。

 「愛しています。あなたがいなければ死んでしまうわ」
 陳明珠が島崎に語った愛の言葉だ。
 しかし、戦乱の時代にあって島崎は陳明珠の写真すら残すことができず、
彼女の当時の住所も思い出すことができなかった。
 音信が全く掴めない中、この愛の誓いの言葉だけが
60年以上にわたって島崎の気持ちを支えることとなり、
島崎が日本に帰ってから多くの年月が経っても二人の関係を忘れさせることはなかった。

 島崎は民国33年(昭和19年)に篤行国小の前身である昭和国民小学に赴任し、
当時16歳だった給仕の陳明珠と知り合った。
 「大きな目、頭の回転が速くて垢抜けた子だった。山口百恵みたいだった」
という印象が島崎の頭に深く刻み込まれている。
 当時の島崎は26歳。陳明珠も島崎に対して好感を抱き、お互いに仲良くなった。
 ちょうど第二次世界大戦の真っ只中、日本の敗戦によって多くの日本人が帰国した。
ある日突然、陳明珠が顔を赤らめながら台湾語で一語一語島崎に話しかけた。
 「愛しています。あなたがいなければ死んでしまうわ」
 意味が伝わっているのかどうかも確かめながら島崎に尋ねた。

 現在の南投県埔里鎮で生まれた島崎は、台湾語がいくらかわかっており、
彼女の気持ちもわかっていた。
 陳明珠は慌てながら日本に帰るのかどうかを島崎に尋ねた。
さらには「先生の喋る台湾語はこんなに上手なのだから、
いっそ日本には帰らず台湾に留まったままでよいのでは」とも語った。

 二人の関係はさらに深まったが、時局は混乱を続けていた。
 次第に台湾に留まる日本人もだんだんと少なくなっていった。
 ある夜、島崎は陳明珠を誘って映画を観に行った。16歳の少女と敗戦国の日本人が
一緒に外出する姿は、人の目を集めた。
 島崎はその日の陳明珠がとても美しく大人のようだったと振り返る。
 映画が終わった後、島崎は彼女の手を引いて映画館から台中市の「樂舞台」近くにあった
彼女の家まで帰った。
島崎は、ずっと彼女の手を取って歩くことができたらどんなにいいだろうと思ったが、
自分が敗戦国の市民であることに思い至り、未来の無い人間なのだと思った。
結局、彼女に何も告げることができなかったという。

 後に島崎は慌しく日本に帰り、二人は別れの挨拶を交わすことすらなかった。
 島崎は日本の仙台で教鞭を執り、所帯を持った。
 しかし、63年の月日が過ぎ去ったが、島崎は陳明珠の姿を忘れることは一度も無かった。
 その間、数回にわたって台湾を訪問し、かつて勤めていた学校を訪ねたほか、
何度か彼女を行方を捜したが、その望みは毎回水泡に帰していた。

 島崎のかつての教え子である陳澤民は、2,3年前に陳明珠を捜す手伝いを請け負った。
 既に76歳になっている陳澤民は、「以前に学校で古い資料を探したが結果は出ず、
写真もないうえに家の住所を覚えていないこともあって、
半世紀以上を経た人探しは口で言うほどたやすくはない」と語る。
 陳澤民は、毎回島崎に報告をするたびに、島崎はいつも残念そうにすると話す。
 今年、篤行国小は90周年の記念行事を行う。島崎は記念誌の祝賀文の寄稿に応じ、
その中で陳明珠についても触れた。

 陳澤民によれば、島崎は一昨年に心臓の病気を発病したといい、
以前のような活動はできないという。
 数日前も電話で話をしたが、島崎は何度も何度も「生きているうちに陳明珠を
探しだしたい」と繰り返していたという。

★ ソースは、自由時報 [台湾] とかから訳。
http://www.libertytimes.com.tw/2008/new/oct/29/today-so1.htm (中国語・繁体字)


島崎の海角の夢 日本人婿が人探しを手伝う
---
 台湾に居を構えて20年になる日本人、喜早天海は台湾の女性と結婚した。
 彼は映画「海角七号」が台日の恋愛を描いていると聞いて、妻とともに映画館に足を運んだ。
 彼は映画を観ると、2年前、島崎義行が自ら語ったラブレターの話をふいに思い出した。
 それはまるで海角七号のコピーとも言うべきもので、その話は人の口から口への伝わり、
本紙に人探しの協力が依頼された。

 台中市に根を下ろし、頑張っている喜早天海は、現在、台日交流聯誼会の総幹事を務めている。
 彼によれば、およそ5,6年前に島崎と知り合いになったといい、
(翻訳中)

★ ソースは、自由時報 [台湾] とかから訳。
http://www.libertytimes.com.tw/2008/new/oct/29/today-so1-2.htm (中国語・繁体字)


樂舞台劇場 ありし日の気持ちを懐かしむ
---
(翻訳中)

★ ソースは、自由時報 [台湾] とかから訳。
http://www.libertytimes.com.tw/2008/new/oct/29/today-so1-3.htm (中国語・繁体字)


1本目の記事を訳している最中、何を間違えたのかスイーツ(笑)Pの『Dear』を聴きながら作業しちゃいました。最初はなんとなくスピッツの『愛のことば』を聴いてたんだけど、途中から「なんか違うなあ」って思って。



やばいっす。記事の内容と歌の内容がダブって、気持ちが流されまくりです。誰だよこの曲をBGMに選んだの、っていう感じ。
この曲の歌詞の中で、「今までありがとう」という言葉が「ずっと鳴り止まないんだ」っていう部分があるんですが、ここは何回聴いてもその秀逸な表現に涙です。「頭を離れない」とか「耳に残っている」じゃなくて「鳴り止まない」っていうのは、最初に聴いたときは本当に衝撃でした。
そんなセルフエコノミー状態で作業してたので、どうも訳文も歌に流され気味ですね。ちょっと反省。最後まで訳せるかな。

★ 追記。
やってもうた!
毎回毎回タイトルは途中で思い浮かんだものを使っているんですが、今回のタイトルは本家とネタがかぶっていた。これは気がつきませんでした。はぅぅ。
そう、映画『海角七号』でヒロイン友子を演じた田中千絵さんの中国語版ブログに、映画の撮影時のオフショットをまとめたアルバム「*墾丁日和*-もうひとつの「海角七号」-」というのがありました。
おいらはどっちかと言えば『もうひとつの「ラスト・フレンズ」』から思いついたんですが、なにやら紛らわしい題名になっちゃってごめんなさい。何か代わりでいいのが思い浮かんだら差し替えようと思います。

★ 追記その2。
この島崎さんの詳しい話は、二つ目の記事にも出ている喜早天海さんのブログ「台湾見聞録」の中で、「海角七号と島崎先生(海角七号真実版)」にも載っています。おいらはこの手の話に本当に弱いなあと読んでいて思いました。

★ 追記その3。
'09年2月24日の「誰も知らない泣ける歌」で、この話題が取り上げられたようです。詳しくは、「直線2,500キロの距離と64年の歳月に、手よ届け。」で。

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コメント(2)

むじな :

ああ。台湾語わかっていないと、イマドキの台湾のニュースは訳せないだろうね。

それから、あなたが台湾のことわかっていないというのは、楊永明をやたら評価しているところ。てか、あなた国民党のこと何ひとつわかっていないようだけど、楊永明なんてカスだよ。あんなのが対日関係やっているから、6月にはあんなことになったわけでw。

あ、それから、馬英九だの麻生だのにやたらファンタジスタって形容しているけど、両人ともファンタジスタじゃなくて、ただのアホ。

◆YAUCHInowA Author Profile Page:

> むじなさん。
これはこれは。わざわざご足労ありがとうございます。

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このページは、◆YAUCHInowAが2008年10月30日 02:57に書いたブログ記事です。

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