詭弁踊りはまたの機会に。
さてそんな連休ですが、東亜+的に注目すべきは後半の「五四運動90周年」かな?「「逢九必乱」の年がやってきた。」で触れたメモリアルイベントの中でも地味な部類に入りますが、テーマそのものは六四に近いものがあるので、不思議な方向に流れないか気になりますね。今のところあまり目立った動きは無いみたいなので、あんまり期待しないほうがいいのかな。
一方、メモリアルと言うにはちょっと中途半端な数字ですが、28日は日華平和条約、ちゃんと書くと「日本国と中華民国との間の平和条約」の調印57周年でした。ちょうどこの日、調印が行われた旧台湾総督官邸にあたる台北賓館の改装記念セレモニーが行われ、調印当時の様子の銅像が除幕されたほか馬英九総統の挨拶もありました。その前日にはRTIで久々に呂秀蓮前副総統の名前を見かけたのでスレを立てたんですが、28日の式典についてはあんまり深く考えていませんでした。
【台湾】呂秀蓮・前副総統「少なくとも馬英九総統は『二つの中国』を宣言すべき」日華平和条約調印57周年を前に[04/27]
http://takeshima.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1240848654/
【台湾】日華条約調印を再現した銅像がお目見え-台北市・台北賓館[04/28]
http://takeshima.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1240945986/
びっくりしたのはその式典での馬英九の発言を報じた時事通信と共同通信の記事。微妙に二つの記事でニュアンスが違うので、そこらへんにも気をつけて両方を引用してスレ立て。
【台湾】馬英九総統、「台湾の主権は57年前に日本から中華民国に移った」と台湾地位未定論を否定[04/28]
http://takeshima.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1240933722/
時事通信の記事にもある
当時の日本と中華民国(国民党)の両政府が1952年に締結した日華平和条約について、「台湾の主権は日本政府から中華民国に移譲された」とする見解を表明し、陳水扁前政権が台湾独立を補強する論拠にした「台湾地位未定論」を否定した。
「地位未定論」を否定=57年前に「移譲」と見解-台湾総統 (時事通信)
というのは素直にびっくりです。日華平和条約には確かに不可解な書き方の条文があったりするんですが、少なくとも日華平和条約から地位未定論を導き出すことはできても(それを独立の論拠にするかは別問題として)、「主権が移った」と解するのはかなり無理のあることだとおいらは思います。
あ、台湾地位未定論についてですか。やふうでぐぐるかWikipediaの項目を見てください。スレでは誰にも指摘されなかったけど、Wikipediaの日本語が随所で不自然なのは、何を隠そうおいらが訳して書いたからです。誰も直してくれないんだよなあ。
っていうわけで、台湾地位未定論というのは簡単に書くと、「第二次世界大戦終結後の台湾の地位や主権については未だ定まっていないという理論」というリード文そのまんまになります。根拠は大きく分けて二つあって、
・1951年調印のサンフランシスコ平和条約で「日本国は、台湾及び澎湖諸島に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する(第2条b)」とされているが、放棄された権利等の着地点が示されていない。
・1952年調印の日華平和条約でも、「(サンフランシスコ平和条約)第二条に基き、台湾及び澎湖諸島並びに新南群島及び西沙群島に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄したことが承認される(第2条)」とされているが、放棄された権利等の着地点が示されていない。
というものです。もっとも日華平和条約に関して言えば、「直接の言及が無いからといって、もはやそこにしか領土が無い国との平和条約を締結するのに、主権を宙ぶらりんにして他の条文を連ねるわけがないでしょ」という指摘はもちろんあるわけなのですが、これは後ほど。
一方、これを認めない人は中国側にも台湾側にもいて、「決まっていないってちょwwwおまwww、俺のものだろう」というその根拠は、
・1943年のカイロ宣言で、米英中の3ヶ国はその同盟の目的について「満洲、台湾及澎湖島の如き日本国が清国人より盗取したる一切の地域を中華民国に返還することに在り」としている。(中共は、さらにそれを引き継いでいるという二段構えの主張)
・1945年のポツダム宣言では、「カイロ宣言の条項は履行せらるべく又日本国の主権は本州、北海道、九州及四国竝に吾等の決定する諸小島に局限せらるべし」とされ、日本はカイロ宣言の主旨である中華民国への返還を受諾している。
というもの。
おいらはこの台湾地位未定論っていうのをすごく面白い机上の空論だと思ってます。意味は通るかと言われたら、これはけっこう筋の通った話で、なるほどなって思う。じゃあこれを為政者が口にするとどうなるかと言うと、その時点で「おいおい」ってなっちゃう。そういう意味で実際には使えない机上の空論。だって、仮にも中華民国憲法に則って選ばれた人たちがそんなことを言ってしまったら、自分たちが選ばれた根拠が根っこから崩されちゃうんだから。呂秀蓮は過去に台湾地位未定論を展開してるけど、よくよく考えるとこれはけっこう際どい問題提起だと思うんだよね。
【台湾】呂秀蓮・副総統、台湾地位未定論を展開[01/30]
http://news21.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1170171741/
その一方で、上にも書いたように日華平和条約から台湾地位未定論を否定するのはかなり苦しいです。かなりの詭弁を要します。さりとて日本と中華民国との間で戦後に結ばれた関係条約というのは(ほぼ)これしかない。肯定すると矛盾を抱え、否定すれば阿呆呼ばわりされかねないという、台湾の政治家にとってはけっこう扱いの難しいシロモノなのかもしれません。
さて、時事や共同で足踏みしても仕方ありません。馬英九がどんな風に否定したのか見てみることにしましょ。原文はビビるほど長いのでいつものようにはしょってます。
(前略:今日が中日和約(日華平和条約)署名57周年であることなど)
この立派な建築物である台北賓館は、1899年に建設が始まり1901年に完成、1913年に改修が終わった。ローマ風の廊柱、ギリシャ風の壁、バロック式の華麗なスタイルが結合しており、当時非常に著名だった建築家の松山森之助によって設計された。小学生の頃はよくこの建物を抜けて通っていたが、大きくなってから50年間台湾を統治した日本の19人の総督のうち16人がここに住まい、即位前の明治天皇(訳註:即位前の昭和天皇(1923年)の誤りか)もここで歓待を受けたことを知った。(中略:サンフランシスコ平和条約から日華平和条約を結ぶまでの歴史的経緯など)
人々の中には、なぜ日本は韓国、台湾、澎湖諸島、東三省(訳註:中国東北部、満州のこと)および太平洋の島嶼といった占領していた領土の放棄のみを行い、誰がそれを受け取るかを明らかにしなかったのか?これは台湾の地位が未だに確定していないということではないだろうか?と問う者がいる。その主な理由は「サンフランシスコ平和条約」の第2条の規定が領土の放棄のみで誰が受け取るかを書いていないというものだ。
これは当時のイギリスとアメリカによる非常に重要な理念と策略によるものだ。このことが非常に複雑に影響しているため、コンセンサスを得ている部分を先に決めてその他は二ヶ国間の条約に委ねたのだ。このことは我が国に限らず、日本は1956年にソ連とも類似の講和条約を締結し領土問題関係を処理している(訳註:日ソ共同宣言が領土問題を完全に処理したわけじゃないけど原文まま)。この「中日和約」の条文の行間を読めば明確に理解できるが、もし日本が領土を中華民国に渡すというものでなければ双方は署名を行わなかっただろうし、国籍の問題も含めて1945年10月25日の台湾光復時における状況の再確認であった。中には、日本最後の総督であった安藤利吉と行政長官の陳儀は1945年10月25日に台北公会堂で引継ぎの儀式を行い、台湾の人民は中華民国国籍を回復し、その後も地方政府の成立や選挙の実施など主権行為を行い、なぜ再確認をする必要があったのかと思う人もいるだろう。これについては国際法上、二国の戦争が終結した後、講和条約で総括する必要がある。しかし第二次世界大戦の状況は少しばかり特殊だ。実際のところ、中には中国と日本は1931年の九一八事変(訳註:満州事変のこと)で既に開戦し、1937年の盧溝橋事件で全面戦争になったと考える者もいる。しかし、当時我々は日本に向けて宣戦は行っておらず、真珠湾攻撃のあった2日目にあたる1941年12月9日に、当時の国民政府の林森首席によって日本、ドイツおよびイタリアに宣戦が布告されたのだ。この戦争が終結した後、台湾はすべて光復し、政府は主権を7年にわたって行使した後ようやく講和条約を締結したのだ。
このように情勢は非常に複雑だが、しかし状況がいくら複雑であっても講和条約を結んだ後には落ち着きを取り戻した。したがって「中日和約」の意義としては、まず法理上中日間の戦争状態を終結させることにあった。また事実上の扱いとして、1945年8月15日の時点で台湾人は再び日本人と見なされることは無かったが、我々がが国籍を回復したのは10月25日だ。しかし多くの日本学者はみな、天皇が投降を宣言した後、台湾人は日本人としてみなされなくなったと考えており、実際1946年に行われた選挙では日本にいる台湾人と韓国人は排除されている。中日和約の署名は一つの確認行為であり、戦争状態の終結の確認であるとともに、主権が中華民国に移転したことの確認である。また同時に、中華民国と日本との友好関係が展開されたことになる。(中略:米華相互防衛条約の話など)
しかし、1972年に日本が中共と国交を結ぶ際、日本の大平正方(訳註:どう見ても大平正芳の誤りだけど、発音は同じなので馬が喋った時はこれでもセーフ。文字にするとアウト)外相は「中日和約」の無効を宣言した。しかし、実際のところ戦争終結の講和条約には二種類に分けられ、その一つは処分性条約、言い換えれば確定後は変わることのないというもので、特に国籍や財産などが該当する。もう一つは執行性条約であり、両国の関係にけりをつけるというものだ。しかし、1952年当時の「中日和約」の果たす役割には何の影響も与えない。
(以下略:斉藤交流協会代表などへの謝辞や、羽田松山便への期待など)
総統、「百年回顧 - 台北賓館の物語」の除幕式に出席 (中華民国総統府)
まあ、明治天皇と昭和天皇を間違えたり、大平正芳の草かんむりが飛んでいたりするのは、「こまけぇことはいいんだよ!!(AA略」なのでいいんですが、というかいちいちそんなことにケチをつける人たちはネット上に山ほどいるのでお任せしますが、いかんせんそれ以外の突っ込みどころが多すぎて困ります。
何よりびびったのは、時事通信などが報じた「日華平和条約により台湾の主権は中華民国に移譲された」というのはどこで読むかというところ。弁護士の肩書きを有する馬英九総統は、いったいどんな口調と表情でこう言ったんだろう。
この「中日和約」の条文の行間を読めば明確に理解できる
(從「中日和約」條文的字裡行間可以清楚瞭解)総統、「百年回顧 - 台北賓館の物語」の除幕式に出席 (中華民国総統府)
はい?期待させておいて(勝手にこっちが期待したんだけど)、長々とした文章読ませておいて(同じく勝手に(ry)、根拠はそれかよ!
ごめん、語句の解釈云々ならともかくそれって条約を明文化して交わす意味がないじゃんか。一つの言い回しにあれこれ考えてる外務省の中の人とかどうでもよくなっちゃうね。これだったらまだ日華平和条約に関する交換公文、つまり両全権代表同士で交わされた公文(とその議事録)でこの条約が「中華民国政府の支配下に現にあり、又は今後入るすべての領域に適用がある」ことを確認したやり取りを引っ張ってきて、「日本は中華民国が台湾で主権を行使していることを認めている」とでも言ってくれたほうがまだマシってものです。
ちなみにこれはそっち系の人がよく指摘しているんですが、日本政府の見解としてはここから長々しく引用する国会の会議録の引用を見てもらうしかないかと思います。「そんなのかったるいよ」という人のために、昭和39年の衆議院予算委員会で当時の池田勇人首相の答弁を用意しました。
○ 池田勇人:(前略)われわれはサンフランシスコ講和条約によりまして、台湾というものは日本が放棄した。日本が放棄したものを、いや、日本はどこにやろうなんということを言うほどわれわれはやぼな国民ではないのであります。(後略)
昭和39年2月29日 第46回国会衆議院予算委員会
というわけで、日華平和条約における主権の扱いについて、まずは同年の参議院予算委員会における戸叶武参院議員(日本社会党)と大平外相とのやり取りから。
○ 戸叶武:この現に支配する地域というものが、非常に明確化されていないところに中国問題の混乱があると思いますが、(中略)「又は今後入るすべての領域」とは何を意味するか、今の大平外務大臣の説明を聞いてもはっきりしないのですが、この間(註釈:交換公文におけるやり取りのこと)の日本側の立場を説明してもらいたい。
○ 大平正芳:(前略)これらの規定は、国民政府がこれらの地域(註釈:「現にあり、又は今後入るすべての領域」のこと)を施政している事実を前提としたものでありまして、これらの地域に領土権を有することを意味するものではないことは明らかでございます。コントロールという文字を用いたのも、こういう趣旨をあらわすためのものであると私どもは解しております。昭和39年2月12日 第46回国会参議院予算委員会
そして同じく2月29日の衆議院予算委員会における岡田春夫衆院議員(日本社会党)と池田首相とのやり取りから。
○ 岡田春夫:(前略)明らかに(註釈:日華平和条約第3条や第10条などにおいて)台湾などに対する国民政府の支配権を認めている、これはそのとおりですね。いいですか、そうすると一つの政府の実効的な支配が国際法上適法として認められている地域は、この国の領土、領域外にはありません。(中略)したがって、日本は法的にも台湾などを中国の領域と認めて、いわゆる日華平和条約を結んだと言わざるを得ないではないか。
○ 池田勇人:概念法学的にいろいろのお説でございますが、第二次世界大戦後のいまの状態は、あなたのような考え方では説明できない、現実の問題を。(中略)そういう概念的な問題でなしに、いまひずみのある状態であるのであります。だから戦後におきまして、領土がはっきりしていないが、施政権を行なっておる事実上のもとに、事実を認めた上においての条約を結ぶことはあり得るのであります。昭和39年2月29日 第46回国会衆議院予算委員会
そこからなおも食い下がる岡田議員は日本語文にある「領域」が中国語訳だと「領土」、英文だと「territories」になっていると指摘し、領土権を認めているじゃないかと追撃。これに対して外務省の中川条約局長は、
○ 中川融:(前略)どういう趣旨で使ったか、その条約全体の精神を勘案して考えるべきでございまして、それから見まして、このサンフランシスコ条約で、すでに日本はあらゆる権利、権原を放棄しておる台湾、澎湖島を、あらためて中華民国のものにするということは、法律的に不可能事でございます。(中略)そういうことからいって、これは主権を中華民国に認めたと解釈することは論理上合わないわけでございまして、日本政府の解釈は、その交渉の当時から、日華間の交渉でもその点は明らかにしているわけでございますが、交渉の当時からはっきり主権問題とは別だ、切り離しているんだということを、一貫してそういう解釈できておるわけでございます。
昭和39年2月29日 第46回国会衆議院予算委員会
と、いずれも日華平和条約が台湾における中華民国の主権を認めた上で結んだものではないというなんともギリギリな回答をやってのけています。冷静に考えてこれはすごいなあ。あ、ついでなのでそっち系の人が必ず引っ張り出す根拠として双璧をなす米華相互防衛条約についても国会議事録から引用しておきましょう。同じく2月29日の衆議院予算委員会から、岡田衆院議員と外務省の中川条約局長とのやり取り。
○ 岡田春夫:(前略)それでは、台湾、澎湖島について、領土は帰属未確定だとおっしゃいますけれども、アメリカは、台湾、澎湖島は中華民国の領土であると確定しております。(中略)それは米華相互防衛条約の第六条、ここにこう書いてあります。第六条に、「第二条及び第五条の規定の適用上、領土及び領域とは、中華民国については、台湾、澎湖諸島をいう。アメリカ合衆国については、その管轄権下にある西太平洋の属領諸島をいう」となっている。いわゆる中華民国の領土は台湾、澎湖島だとある。台湾帰属未確定と違うじゃありませんか、どうですか。
○ 中川融:(前略)米華相互防衛条約、領土及び領域とは何々という規定があるわけでございますが、これは領土及び領域というような字句を使っておることから見ましても、主権のある領土ということ、あるいは主権のある地域ということを予想しているわけじゃないのでありまして、現実のコントロールにある地域という意味であるのでございまして、これは、この条約がアメリカの上院で批准されます際に、上院のほうの意思表明がはっきりしておるのであります。附帯決議さえついておるのでございまして、この条約によって、何ら台湾、澎湖島の領土権について規定したものではないと了解する、こういうはっきりした了解事項がついておるのであります。
○ 岡田春夫:付帯条項については、私も知っております。しかし、ただ条約上の解釈からいって、主権のある領土と主権のない領土と、そんなのはあるのですか。(後略)
○ 中川融:領土という場合には、もちろん通例主権のある場合を当然の予想としておるわけでございますが、この米華条約では、岡田先生御指摘になりましたとおり、領土及び領域という、わざわざ領域という字句も使っておるのでございまして、領域という字句を使う際には、むしろ主権云云の問題を離れて、現実に支配するところ、こういう意味も含めてわざわざ領域という字句を使っておるわけでございまして、この米華条約については、決して主権というものを前提とした規定ではない、かように解釈するのが自然ではなかろうかと思います。昭和39年2月29日 第46回国会衆議院予算委員会
ということです。
無理があるかと言われるとかなりギリギリの解釈だなって思うんですが、日華平和条約が有効であった時代にはこのように日本側は解釈していたのでした。今回の馬英九発言に触発されてもう一回国会で取り上げるような議員さんはいないかな。いないな。
さらに馬英九が恐ろしい勘違いをしているのは、日華平和条約が1945年10月25日の台湾光復における状態の再確認であり、その時点で行政権の移譲や国籍の回復がなされていると言ってしまっているところ。前者は百歩譲って認めてもいいけど、馬英九が言うように主権移譲を前提にした引継ぎではないでっす。というのもこの台湾光復は、決して「台湾を中華民国に返還する」という主旨で行われたものじゃありません。っていうかそんなのを台湾総督がサインする権限なんかあるわけないじゃん。
じゃあなんでこのようなセレモニーをやったかというと、連合軍側から出されていた一般命令第1号で、
支那(満洲を除く)台湾及北緯十六度以北の仏領印度支那に在る日本国の先任指揮官並に一切の陸上、海上、航空及補助部隊は蒋介石総帥に降伏すべし
一般命令第1号(陸、海軍) (「映像で見る占領期の日本-占領軍撮影フィルムを見る-」から孫引き)
ってあったからです。あくまで無条件降伏に基づく武装解除の手続きの一環として指令され、実行されたものであって、その後の主権帰属の問題とかとは切り離して考えるべき。
ついでにもう一つ書くと、台湾人が国籍を完全に回復したのはやっぱり日華平和条約の発効日で、このことは日本の最高裁の判例(S37.12.05最大判)でも示されてます。また、1946年の選挙で在日韓国人や在日台湾人の選挙権が停止されていたのにはポツダム宣言や台湾光復は関係なく、1945年12月の衆議院議員選挙法改正によるもの。しかもその論理というのは、「現時点で彼らは確かに参政権は有しているものの、将来平和条約が締結された暁には喪失することが明らかだから」っていうことみたい。やっぱりちょっと認識がずれてるみたいだね。
いったいどういう詭弁で「日華平和条約によって台湾の主権は中華民国に移譲された」というのを展開するのかと期待していたのに、まさかの「行間嫁」にはびっくりしました。
これじゃ東亜+に持っていっても粗悪燃料で片付けられちゃうよなあ。これだったら、彼らが大好きな盧武鉉や韓国の新型インフルエンザの方がダンスも盛り上がるっていうものです。もしかしたらちょっとはスレが盛り上がるかもと思っていたけど、これじゃ次回以降にwktkするしかないね。って次回っていつだ?何の話の時だ?どんな詭弁だ?っていうか踊るのがおいら一人だったら嫌だよ。
★ 追記その1。(05/02 13:00)
地位未定論について、「最近ではマッチーが触れていた」という指摘をいただいたので調べたところ、ありましたありました。平成17年の衆議院外務委員会での増子輝彦衆院議員(当時は衆院議員・民主党)と町村信孝外務大臣のやりとりから。おや、と思ったのはこのやり取りがいわゆる日中共同声明の「理解し、尊重する」の話から始まっていること。この増子議員というのは、この「理解し、尊重する」について
○ 増子輝彦:私の理解では、今の大臣の御発言であれば、やはり台湾は中国の一部と理解してよろしいんでしょうか。
平成17年5月13日 第162回国会衆議院外務委員会
という発言が飛び出すくらい(まあ狙ってやってるのかもしれないけどさ)のそういう理解力の方のようですが、それを受けて以下マッチーとのやりとり。
○ 町村信孝:再三申し上げているとおり、まさにこの共同声明第三項の、私が申し上げている中国の立場を理解し、尊重する、これに尽きる。これ以上でもこれ以下でもないわけでございます。
○ 増子輝彦:大臣、それでは実はこの後の質疑ができなくなるんです。(中略)もう一度お伺いいたしますが、(中略)台湾は中国の一部であると理解してよろしいんでしょうか。大臣はそう認めるんでしょうか。
○ 町村信孝:これは、日本はサンフランシスコ平和条約によって台湾を放棄いたしました。(中略)日華平和条約においては同放棄が承認をされた。ただ、その場合、どこの国に対して放棄したかは明記していないわけでございます。したがって、台湾がどこに帰属するかについて、これは専ら連合国が決定すべき問題であり、日本は発言する立場にない、これが日本側の一貫した法的な立場であります。
したがいまして、さっき申し上げた、中国が、中華人民共和国がそういう考え方であるということについて、日本政府は理解し、尊重をする、こういう表現に結局ならざるを得なかったというか、ここに落ちついたというのは、その当時のサンフランシスコ平和条約からの、ずっとこの条約の解釈をしながらここに行き着いたんだということでありまして、その点は大変先人が御努力をした部分でございますから、ぜひ増子議員にも御理解をいただきたいと思います。平成17年5月13日 第162回国会衆議院外務委員会
と、より正確に言えば「未定」とまでは言ってないんだけどね。むしろ、「日本は放棄したし、その後のことについて発言する立場にない」というのは池田首相の「やぼな国民」発言に近いかもしれません。そういう意味では従来の踏襲、なんて言うと身も蓋もないんだけど、ではあるんですが、単に台湾の帰属問題という点だけではなく、(実態としては必ず出てくる視点の)対中国という面でも「法的な」点でこれだけ明確に示したのはなかなかないものだと思います。極めて理論的なお話だけれども。ちなみに、増子先生はこれに対し、
○ 増子輝彦:残念ながら、理解できません。(後略)
平成17年5月13日 第162回国会衆議院外務委員会
と。
よし、がんばれネクスト経済産業大臣。
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