2009年5月アーカイブ
じゃあどこなら立つのかって言ったら、やっぱりアニメ・漫画ニュース速報板かな。このソースの情報だけで萌えニュース+って立てられるのかなあ。その昔、一瞬だけ萌え+の記者もやっていたはずなのに、やっぱりあの板はよくわかんないや。あはは。
あ、いつものことだけど、誤訳あったらごめん&謝罪はするけど賠償はしませんのであしからず。
「涼宮ハルヒ」シリーズや「らき☆すた」を手がけ、ヒット作品の制作を請け負うアニメーション会社となった「京都アニメーション」が、一連のブームの後、09年春に満を持して世に送ったアニメ作品が「けいおん!(台湾題:K-ON!輕音部)」だ。
音楽の要素と確立されたキャラクターの個性を融合させた「けいおん!」の放送が始まると、すぐにアニメファンたちによる激しい議論の対象となった。
この「けいおん!」の原作漫画は、既に台湾でも尖端出版によって代行販売されることが確定し、6月12日(木)に店頭に並ぶことになる。「けいおん!」は青春真っ盛りの高校生の少女たちの物語だ。
ストーリーは、まず田井中律が幼馴染の秋山澪と一緒に軽音部の見学に行くところから始まる。しかし元々いた部員は全員既に卒業してしまっており、もし新学期に部員が4人以上集まらなければ強制的に廃部になる運命にあった。ちょっとした間違いから3人目の琴吹紬をなんとか誘うことに成功したが、最後の一人を探さなければならない......。
学園生活と音楽、そして個性的な4人の美少女たちが織りなすマンガ作品は、間もなく幕が上がろうとしている。日本語での「軽音部」の性格は、台湾の学校における「熱門音楽社」に似ている。音楽を使った表現手法に定評のある京都アニメーションだが、「けいおん!」制作後には躍動感あふれるオープニングテーマと、バンドサウンドによるエンディングテーマにより、すぐさま日本中を「けいおん!」ブームに巻き込んだ(訳註:別に京都アニメーションが作ったわけじゃないけど原文まま)。これらOP曲とED曲は、ともに日本のオリコンシングルチャートでトップ5に入っている。
このほか、アニメの中で出てきた秋山澪の使うAKGのヘッドフォンは、日本円で7万円もするものだが、「けいおん!」効果によって日本で飛ぶように売れた!さらには各キャラクターが使う楽器すらも日本では争って買い求める現象が出ている!これは日本の楽器業界も驚きを隠せなかった。
各キャラクターが使っている楽器や小物のほか、「けいおん!」に登場する学校の制服にも関心が集まっている!日本の一部の学生グループの中には、「学校の制服の良し悪しによって、その学校に進学するかどうか考える」という意識がある。しかし、アニメやコスプレ文化といったブームの中で、アニメファンたちは特にアニメに登場する学校の制服に注目している。「けいおん!」に登場する桜が丘高校の制服にも多くのアニメファンに注目され、コスプレされている。学生の制服を着て街中を歩くというのは、特段不思議な感覚を覚えるものではないが、逆に、制服がさらなる流行のファッションになっている。このように「けいおん!」が日本でいくつものブームを引き起こしている。6月12日に「けいおん!」原作マンガが発売されれば、台湾のファンたちも音楽の魅力と威力に引き込まれてしまうに違いない!
(★ 追記 05/29 10:00)
以前、「台湾からすごいたくさんの訪問があって狼狽したけど飽きた寝る。」でもちょっと書いたけど、このブログに短時間に一定以上のアクセスがあると、中の人の隣の人にアラートメールみたいなのが入るらしいです。おいらにしてみれば謎の技術です。
その時ですら4時間で50件程度しかカウンタが回らなかった(って言ってもおいらとしては充分すごい)のに、昨晩は25時半から40分間で50件カウンタが回りました。嫌がらせのように夜中の2時に電話がかかってきたけど、ちょうど寝付いたところを叩き起こされた格好になっちゃったので、寝ぼけてどう反応したか全く覚えてないっす。っていうか、前回もそんな感じだったのでアラートメールの意味が無いという罠。
よくよく調べてみたら、
23 :風の谷の名無しさん@実況は実況板で:2009/05/29(金) 01:38:43
おまいらの悪行が台湾にも轟き、wktkされている件について
ttp://www.yauchi.net/2009/05/000152.htmlけいおん!紅茶212杯目 (アニメ板)
が原因みたい。
ちょうど放送直前で人が多かったとが言え、あれだけ流れの速いスレの中で、しかもあんな時間帯によくあれだけの人が踏んだなあって感心しきりです。アニメ板の人の本気を見たね。っていうか、非常に手を抜いて訳してるのでごめんなさい。
ちなみに、放送を挟んで上のレスから2時間(25時半から27時半)で90件弱のアクセスがありました。どんだけー。
えーっと、結局このブログって何のブログだったっけ?
前回もそうだけど、タイトルが某SF小説を連想させるのは、遠藤さんの連載を読んで最初に湧いたフレーズが頭を離れなかったから。ちょっとしたダブルミーニングも噛ませられて、個人的にはその時点で満足していたりして。
あ、でもごめんなさい。ディックの原作は読んだことがありません。そしてπPの「電子羊の夢」よりも、なんとかPの「電気羊の夢」の方が(しかもrepriseの方が)好きだったりします。
あ。「草泥馬って何ぞ」「馬勒戈壁ってどこの三国志の武将?」と思った人は、比較的わかりやすいWikipediaか、内藤康のサーチナコラム「ネットの向こうの中国(3)悪趣味か、抵抗か」でどうぞ。自分が訳して立てたスレはしょぼすぎるので自重。あはは。
馬と言えばこのところ台湾のお馬さんに気を取られてしまっていたのですが、日本のネットでも馬こと中村イネさんが何やらとんでもないことに。詳しい話はそれこそ蚊帳の外のおいらが言うことじゃないのでやふうでぐぐってください。
それにしてもひどいっす。ことの経緯もさることながらネットの反応が、っっぱない。有名税なんていう言葉で片付けるにはあまりに理不尽な展開だなあ。なんていうかミツバチがわあああって集まるみたいにして、ああこれはひどい。でもあえて言おう、それでもおいらは中村イネの「演奏してみた」が好きなんですと。
一方、こういうのは3億人のネットユーザを抱える中国でもあります。人肉捜索っていうやつですね。はてなの人力検索に名前も似ていて、中身も「自分が知らないことを他のネットユーザが調べて教えてくれる」という点では近いんですが、その対象が「個人」になった時、特に話題になる背景を孕んだ人物となると、ハンパないことになります。個人情報云々とかプライバシー云々っていう概念よりも先にネットというツールが広まってしまったことにから来る弊害なのかもしれないけど、怖いことこの上ありません。
今年に入ってからだと毛沢東像にまたがって写真を撮った女性とか、新型インフルエンザを持ち帰ってしまった男性とか、あとスレはないけど観光地の岩に自分の名前を彫ってしまった男性とかがこの刃にかかり、個人情報は抜かれるはオンラインオフライン問わず責められるわでもう大変。それぞれに(だからいいかっていう話ではなく)原因というか理由というかがあるとはいえ、とんでもないことだなあと思う。
そういえば映画「誰も守ってくれない」で個人情報を啄ばむネットユーザたちの描写があって、おいらは最初「いや、そんなひどいことあるわけ無いって」と思って観ていたんですが、冷静に考えてあれは十二分に起こりうる状況なんだね。
【中国】ネット上で個人情報を暴かれる!恐怖の「人肉捜索」とは...[05/30]
http://news24.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1212127586/
【中国】毛沢東像にまたがった女子学生、猛バッシングに謝罪文発表[03/01]
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1235906978/
【中国】「故意にウイルスばらまいた」=感染者にネットユーザーの批判が集中[05/17]
http://takeshima.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1242535570/
さて、遠藤さんの連載に話を戻しましょ。遠藤さんはネットというツールを通じて中南海と市民がせめぎあっているとした上で、胡錦濤総書記が「マルクス主義の中に民主を求めようとしている(第12回より)」と同時に、「ボトムアップの民主を徹底して警戒し、トップダウンの民主を行おうという夢を持っている(同)」と仮説を立ててます。で、腐敗の排除なんかのためには先に述べたような網友たちの力を借りざるを得ず、結果として「むしろ「誘導されているのは中南海、中国共産党指導部なのである」ということを、私たちは見出すことができるだろう(第17回より)」と結論付けてます。つまり、リアルの政治構造なんかよりも先にネットの世界では民主化が進んでいて、そうした民意の反映の仕方が中国式民主主義なのだとおっしゃりたいようです。
ま、そんなことより「この人はよっぽど胡錦濤が好きなんだな」というのが第一印象だし、「ということは、胡錦濤自身は遠い未来にせよ、やはり実現を夢見ているのだろうか・・・・・(第13回より)」を読んだときは、「いや、夢を見ているのはあなたでしょう!」と突っ込みたくなったし。
「ヨット右翼は太平洋の夢を見るか?」でも書いたとおり、おいらはいわゆる「ネットによる世論形成」というものを信用しません。ただ、このテーマが立脚するのは「中国において」というところ。遠藤さんの仮説の前半にある胡錦濤の政治的終着点はともかく、中国において網友の持つパワーが侮りがたいという点では同意せざるを得ません。
特に、前回もだだぁっと書いた「どうやってオンラインで多くの人を巻き込めるか」「どうやってオフラインでの動きにスライドできるか」というのを中国ではすでに4年も前にやってしまっています。そう、2005年の反日デモ(デモってレベルじゃねーぞ)です。胡錦濤がその反省を踏まえたのだとすれば、ツールたるネットをうまーく使ってひん曲げたくなるのもわかる気がするんですね。
もちろん、連載記事の中で紹介されているような中国式民主主義なるものの動きは、民意を吸い上げたり腐敗役人の摘発につながることもあると思う。けど、それで?という点では、まだまだ不充分な気がする。あえて言えば、地方をコントロールするために中央がうまく使っているような感じすらするし。
結局のところ、まだまだおいらの中では「単なるガス抜き」にしか見えません。先だっての08憲章にしたって図らずも謝韜氏が「あれは、精神は理解できるんですけどねぇ・・・・・。しかし、今の中国における実現性という点から考えると、実現性は非常に薄いでしょうねぇ、残念ながら・・・・・・(第12回より)」と述べているように、今の時点で「ガス抜き」としては成功しているのかもしれません(この反応に対する遠藤さんの意見というかまとめ方がちょっぴり残念だった)。
翻って、中国での政治的な意見の吐露や訴えの声が、日本のそれより大きかったり深刻だったりするのは、どこにも声を上げられないことが根っこなわけで、じゃあそれはなんでかって言ったら、結局中国共産党の一党体制とその権益にぶらさがった支配体制にほかならないのでっす。(手は入りつつあるけど)好き放題を重ねた地方の高級幹部を辞めさせたところで、次に来る幹部も党が送り込む人材だったりするわけで。代わりになる存在がないんだもの。
でも、そういうエネルギーをネット上で発散して終わってしまうんじゃ、中南海の手のひらの上で騒いでいるのと大して変わらないんだよね。まあ、そうやって上手く取り込んで動いていくのが「民意を取り入れたトップダウン」なのかもしれないけれど、それって何も変わってないと思うんだけど。
確かに遠藤さんは2020年という着陸地点を予測しているので、今の時点で否定するのは早すぎるかもしれない。けど、胡錦濤がはたしてそんなつもりで飛んでいるのかなあと思っちゃうんですね。時に烈火のごとく吹き上がる声をいなしにいなして、2020年までにあらたな政治体制を築くというのなら、それはそれでお手並み拝見っていうもんです。
あえて今後の展開で期待するとすれば、遠藤さんが一瞬だけ使ってすとんと消えた「和諧」っていう点だと思います。この和諧っていうのは日本語ではもっぱら「調和のとれた」って訳される単語で、早い話が「格差の無い」っていう意味です。主に農村問題(都市との経済格差が3~4倍と言われている)で使われますね。
おいらが遠藤さんの連載を読んでいて最初に「あれ?」って思ったのは、前にも書いたネットの普及率の話のところで、「2億5300万人というのは、都市におけるネット普及率の大きさを見せつけられる数値だ。彼らは経済力もあり、社会の中での発言意欲や問題意識も高い。そんな彼らのネットパワーを無視することはできない(第2回より)」って書いてたところ。経済力があって都市で安定した生活を営んでいるのなら、そうそう今の体制をぶっ壊すようなことをするわけないと思うんですけど。なんだかんだ言って一億総中流に近い日本ならいざ知らず、中国で、でしょ。
それを考えれば今なおネット上で浮かび上がってこない農村部の人たち、または農村部から沿海部に流れてきている人たちがいることを忘れちゃダメだと思う。そしてそれが発火点の1つになるような希ガス。
その風船が弾けるのはいつか。昨年亡くなった小島朋之教授は「和諧をめざす中国」という本の中で、国務院の専門家チームのまとめとして2010年以降が危ないと紹介しています。その時の火種がネットを媒介としてリアルな炎上に結びつくか、はたまた胡錦濤がちょっと三農問題を頑張っちゃって農村にもネットが通じるようになり、かえって大きな火種を生む場所になるんじゃないか、と勝手に考えています。
ちょっと脱線しますが、この小島教授の「和諧をめざす中国」という本は、2005年から2007年にかけて『東亜』という月刊誌に連載されていた記事をまとめたもので、この時期のいろんなニュースが凝縮されたすごい本だと思ってます。あ、あれはここに結びつくのか!そういうことだったのか!っていう驚きでいっぱい。おいらは何もわかってないまま涼しい顔でスレ立てしていたのだと恥ずかしくなります。御家人さんも紹介してますね。ごめんなさい。おいらはその記事を読んで思い出しました。
さてさて、この「調和のとれた」社会っていうのは甘美なフレーズなんですが、そこは中国なので、当然「中国共産党によって調和がとられた」社会とほぼ同義になっちゃいます。うん、あれです。「国土の緑化」が、「とりあえず緑色にしておけ」と同義になるあれです。
遠藤さんは、ネット上の意見をコントロールしきることはできないので、政府に異を唱える意見が出てくるし、政府もそれに耳を傾けるようになったと話す。でもそれが根本的に何も変わっちゃいないっていうのは前述のとおりでっす。
むしろその枠のはめ方に「あれ?それっておかしくね?」って思う人がわんさか出てきた時が、もうひとつの山じゃないかな。その兆候はすでに出てきています。うだあっと長文書いてるけど、いちばん上の方に書いた草泥馬がそれですね。草泥馬の敵とも言うべき河蟹(he2xie4)は「和諧(he2xie2)」にひっかけたもので、政府によってコントロールされた、いわば調和のとれたネット空間に対する皮肉の産物です。人肉捜索で一般人を吊るし上げちゃう網友たちも予想の斜め上なんですが、中国のネット検閲もWWWの考えからすればやはり斜め上ですね。
そんなネット空間で、もし何か形が生まれそう(中国式民主主義がそれに含まれるかわかんないけど)に見えるんであればそれは幻想であり錯覚だと思う。むしろ、実はお釈迦様の手のひらの上にも及ばぬ作られた場所なんだっていう現実に、大陸の網友たちはもう気がついちゃってるんですね。なので、約束された茶番劇で満足が満たされないのであれば、やっぱり20年前に近いような火の噴き方をすることになるんじゃないかな。
あ、そうだ。すっかり忘れた頃に「夜は短し歩けよ乙女」だ。もともと「そもそも投げ返す球なんて持ってたっけ?(理系女子の話のところでセリフを拝借)」「詭弁踊りはまたの機会に。(タイトルで拝借)」「どいつもこいつも御都合主義者だ。(タイトルで拝借)」「ほんこーんの記事。(仮タイトル:「それはドミノ倒しのように広がる新しい朝のごとく。」で拝借)」「ほんこーんの記事その2。(仮タイトル:「夜明け前には寝床に戻らねばなりません。」で拝借)」と5連発でこの本から
この本の中で「おともだちパンチ」という不可解なパンチが登場します。ぶん殴るために拳を握るとき、親指を外に出すのではなく中に入れることで愛らしさが生まれ、それならば殴っても「満腔の憎しみを拳にこめることができようはずがない。かくして(略)世界に調和がもたらされ」るそうで、「愛に満ちたおともだちパンチを駆使して優雅に世を渡ってこそ、美しく調和のある人生が開ける」のだそうです。
もともとおいらよりもまどろっこしい文章が連発する上に奇想天外なストーリーなので、おいらの中ではけっこう苦手な部類に入る作品なんですが、どうしてもこの「世界に調和がもたらされ」というのがひっかかってました。
何が言いたいのかっていうと、和諧社会だなんだと言ってもそのパンチは鉄拳と変わらないっていうことです。事実錦鯉の東堂さんはどうなった?おともだちパンチでKOされて古池に沈んだじゃない。
「調和のとれた」という甘美なフレーズの裏に隠された鉄拳への抗議が、今は草泥馬なんていう(比較的)かわいらしい物に転化されちゃったんだけど、さてそれがいつまで我慢できるのかな。もっとも、「た かがネットじゃないか」「仕方ないね」という方に流れが転んじゃってそれっきりになることもありうる。それがツールとしてのネットの弱点だし、物質的に満たさ れつつある人たちがほとんどという中国のネットユーザ層のウィークポイントなんだけどね。
えっと、こんなところでよかったでしょうか。約2ヶ月放置プレイかましてお忘れになっているかもしれませんが。
1つは、正しくは「パンダ氏ことkkryuさんが出演する朗読ライブ」である『オズの西遊記』だということ。
もう1つは、おいらもめちゃくちゃ行く気満々だったんですが、どうしても予定が合わなくて友達にピンチヒッターを頼んでしまったということ。
ということはどういうことかと言うと、おいらは行ってないっていうことですね。はぅぅ。
仕方がないので感想だけ聞いて我慢。事前情報ゼロで行ってもらった友達には本当に感謝です。ネタバレしない程度(ネタバレを防ぐ必要があるのかどうか今日となっては怪しいけれど)に書くとこんな感じ。
や「で、どんな感じだった」
友「面白かったよー」
や「(それじゃわかんないよ)サイト見ると『オズの魔法使い』と『西遊記』を足したものみたいだけど」
友「そうそう、だからみんな犬とかブリキな猿とか豚っぽいライオンとかどうみてもカカシなカッパの衣装だったし」
や「ということはパンダ氏もパンダの格好を!」
友「してなかったよー」
ですよねー。
ファンタジー全開な内容なんだけど、テーマ的には重たい部分もあって、面白いけどそれだけじゃないみたい。うん、おいらも聞いただけだから漠然としているんだけど。パンダ氏の役どころは、悟浄の過去にまつわるエピソードで登場したんだって。その友達いわく「んー、峰不二子みたいな感じの役」だったとか(わっかんねー)。公式サイトの説明によれば、
> なお、悟空たちの西遊記の時代から本作までの間の物語「BL編(Before Legend)」の一部が
> 今回の朗読ライブの毎月のゲストエピソードとして紹介される。
っていうこれ。そうかあ、BLかあ(違う)。
友「出番は短かったけど上手だったよ」
や「へー」
友「最後の挨拶で『実は外国人で』って言ったときは冗談かと思ったもん」
や「(←それすら事前に言ってなかった人)挨拶どんなこと喋ってた?」
友「あ。挨拶の内容よりも(中略)だったのが面白かった。緊張の糸が切れちゃったからかな」
(中略)部分は、もしパンダ氏がどこかで書いたら書きます。
聞いた限りだけど、演技もそのほかもひっくるめてパンダ氏らしい初舞台になったみたいでよかったよかった。機会があったら次こそはこっそり見に行きたいなあ。パンダ氏、お疲れさまでした。
じゃあ何かタイムリーなニュースでも取り上げるのかって言ったら、そもそもおいらにそんな即時性を期待しちゃいけません。ひどい+板の記者だなあもう。とはいえせっかくなので今日は久しぶりに陳菊おばさんの話でも。
22日の台湾各紙を賑わせたのが陳菊・高雄市長の訪中でした。今年7月に高雄で開催されるワールドゲームズ2009のPRのためなんですが、市長自ら渡ったというのが大きなポイントでっす。あ、ワールドゲームズが何なのかわからない人は調べてください。綱引きももちろん含まれてます。
さて、高雄市は台湾南部に位置して台北市に次ぐ規模を持つ行政院直轄市。そこの市長ともなれば行政院会議に出席できるなど、政治的なポジションという点では日本で言うはしげとは違うのだよはし(ry。おまけにそこに座るのは2006年の選挙で歴史的接戦を制した民進党の陳菊。さて、そういう肩書きとカラーの人が訪中したとなればいろんな意味や憶測が流れるってわけですね。
ちなみに、2006年の選挙時のスレで見かけた「陳菊おばさん」という単語がとてもお気に入りなので、上に書いたような人物なんですがおいらはそう書きます。これは本当にごめんなさい。
でも、さすがにこの動画での扱われ方に比べたら、「陳菊おばさん」っていう呼び方もかなりマシだと思うの。
これはひどい。
そんな陳菊おばさんは21日に北京入り、さっそく北京市長の郭金龍と会談したほか23日には上海の韓正市長とも会談の予定とのこと。
http://www.nikkei.co.jp/news/kaigai/20090522AT2M2103A21052009.html (日本経済新聞)
別にそれに合わせたわけじゃないと思うんだけど、同じ21日に中国外交部の馬朝旭報道官による定例記者会見でこんなやりとりがありました。
記者:馬英九が来週中米を歴訪をしようとしており、その際にアメリカも「通過する」。現在、両岸関係には改善が見られているが、大陸としてはこの馬英九のアメリカ「通過」に対して反対の態度を堅持するか?
答:重ねて申し上げたいと思うが、中国政府は一貫して一つの中国の原則を堅持しており、いかなる国家であっても台湾と政府間の往来を行うことに反対する。この立場には何の変化もない。
2009年5月21日外交部発言人馬朝旭による定例記者会見 (中華人民共和国外交部)
26日からの馬英九総統の中米訪問に関する質問ですね。両岸関係がいくら好転しようとも「一つの中国」という原則は変わらないし、台湾という(または中華民国という)国が他の国と関係を持つことは認めないっていうことです。もっとも大陸側のこういうスタンスなんて胡六点を出すまでもなく明らかなことだし、「一中各表」などという甘い言葉をいいことにここまで来てしまっているのが台湾側なんだけどね。
いわんや、今回の高雄市長の北京訪問なんていうのも、大陸側からしてみれば胡六点で「民進党が台湾独立という立場を変えれば、大陸は正面からこれに応えたい」と言った手前、「民進党籍の市長が恭順の意を示した」という構図がベスト、そんなことありえないのでせめて「中華民族がともに大会を成功させる」というなんとなく平和な構図がベター、さもなくば「台湾省の一介の市長が上京してきた」くらいにしないとまずいんです。陳菊おばさんが「こんどうちの国でこういうのやるから来とく?」とか言った瞬間に馬涙目、江涙目。
ちなみにこれに関する共同の記事で、
> ただ対中強硬路線を取った前総統の陳水扁氏の訪米時には
> 「中国への甚だしい内政干渉だ」などと強い不満を表明、米国を批判した姿勢とは一転させ、
> 対中関係改善を進める馬政権に配慮した。
【中国】「台湾総統の訪米」には反対だが、批判はせず-中国外務省報道官[05/21]
http://takeshima.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1242902954/
ってあるので、あれ?前回はどうだったっけ?って思ったので調べてみると、昨年8月の馬英九中南米初外遊の際の劉建超報道官の回答はこんな感じ。
台湾海峡情勢にどんな変化があろうとも、一つの中国という原則は変わることはない。中国は一貫してアメリカと台湾当局とがいかなる形式であっても政府間の往来を行うことに反対している。我々は、アメリカが一つの中国政策を堅持し、米中三共同コミュニケの約束を遵守することを適切に実行し、慎重かつ適切にこの問題についてあたることを願っている。
2008年7月15日外交部発言人劉建超による定例記者会見 (中華人民共和国外交部)
さらに、2007年に当時の呂秀蓮副総統が同じようにアメリカを通過した際には、
中国は、アメリカと台湾当局がいかなる形であっても政府間の往来を行うことに断固として反対する。この立場は一貫し、かつ明確である。我々はこれについて既に厳正な交渉をアメリカに提示し、アメリカが一つの中国政策を厳守し、米中三共同コミュニケと「台湾独立」への反対の約束を遵守するよう要求した。
また、いかなる名目や口実であっても呂秀蓮がアメリカにおいて中国の分裂に関わる活動をすることを認めないこと、「台湾独立」勢力に向けていかなる誤ったシグナルも発しないことを求め、現実的な行動によって台湾海峡情勢の安定と米中関係の大局を維持するよう求めた。2007年7月5日外交部発言人秦剛による定例記者会見 (中華人民共和国外交部)
あ。だいたいあってる。っていうか、わかりやすいなあ。
脱線したので再び陳菊おばさん。というわけで、陳菊おばさんがどういうスタンスで大陸の要人と会うかが注目となりました。で、それを伝えた産経の記事で立ったのがこれ。
【中台】台湾・民進党幹部に異例の待遇 中国、穏健派取り込みか[05/22]
http://takeshima.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1242997123/
今回、陳菊氏が中国訪問を決断したのは中国から観光客や投資を呼び、来年の高雄市長選で再選を果たしたいとの思惑があるためとされている。中国側もこれを理解し、政治的な話題に一切触れないうえ、メディアなどを使って高雄市を宣伝。「訪中大成功」を演出しようとしている。
台湾・民進党幹部に異例の待遇 中国、穏健派取り込みか (産経新聞)
そうだったのかー。と棒読み。
確かに報道を見ていても、郭金龍を開会式に誘い、郭金龍が「チャンスがあれば」と答えたのに対し「嬉しいことです」と返したりだとか(これは流石に社交辞令も大きいけれど)、北京市民の高雄訪問を歓迎し「身の安全は私が守ります」と発言したりだとかしてます。
じゃあ、陳菊おばさんが例えば江丙坤のような国民党サイドの人間のような話しかしなかったのかと言うとちょっと違う。ホスト都市の市長としての発言に終始しつつ、それでいて発言のそこかしこで国境を引いていました。いや、この産経の記事だけ読むとかなり厳しいんですけど。
http://www.udn.com/2009/5/22/NEWS/NATIONAL/NATS2/4919860.shtml (聯合報)
というのも、22日の台湾紙を賑わせたのが、陳菊おばさんの郭金龍との会談時に出たこんな発言。
「今年は高雄だけではなく台湾のほぼ全土でマイナス成長となり、まさにその真っ只中にいます。中央政府の我らが馬英九総統は、『我々台湾は台湾経済を改善しなければならない』という非常に大きなプレッシャーを受けている」
北京市長と会談 陳菊「馬総統、中央政府」と発言 (TVBS)
と、北京政府と異なる政府が台湾には存在し、その政府は台湾の経済回復に向けて頑張らないといけない状態だと言ってしまいました。あ、でもこれは馬涙目。
さらに続けて陳菊おばさんは大陸を指して「中国」「中国」と連呼。台湾は大陸とは異なる国なんです、いわゆる「中国」っていうのとは異なる国なんですということを巧みに表現しちゃいました。あ、郭涙目。え、いちおう郭金龍って中国共産党中央委員なんすけど。
「これまでのところ、中国代表団を含む100以上の国と、200あまりの都市が我々高雄を訪れてワールドゲームズに参加する」
北京市長と会談 陳菊「馬総統、中央政府」と発言 (TVBS)
このほかの媒体でもこんな感じ。
http://www.udn.com/2009/5/22/NEWS/NATIONAL/NATS2/4919844.shtml (聯合報)
http://news.ftv.com.tw/Read.aspx?type=Class&sno=2009522P08M1 (民視)
この発言、藍緑問わず比較的好意的に受け止められています。特に緑サイドからは訪中そのものに対して批判的な声もあったんですが、
しかし、陳菊と北京市長の会話の内容が伝わると、多くの緑系網友たちは「陳菊は藍陣営に比べてガッツがある」という賞賛の評価に変わった。藍陣営は中国であえて「一中」だけを話すが、陳菊は「各表」を行い、両岸それぞれにそれぞれの中央政府があることを示したのだ。
主権を宣言 陳菊訪中で「我々の馬総統は...」 (自由時報)
とのこと。
民進党の立法委員からは「どんな場所にも台湾の主権を確立する民進党の勇気を体現した(潘孟安)」「国民党の男たちはあんなにたくさんの人数で中国大陸に行っているのに、我々民進党の女性一人に誰も及びもしない。陳菊のようにはっきりと中共北京の者の面前で『馬英九総統』などといえる人なんていない(張花冠)」との声が上がり、これにはさすがに気まずい国民党。呉敦義副主席は「もっと地位の高い人物の前でも馬総統と言っている」と言っているけど、TVBSによれば江丙坤海基会董事長は「『馬先生』を特に強調」し、呉伯雄国民党主席は「馬英九『先生』」、馬英九総統自身も陳雲林海協会会長が来た際、「馬『先生』」だったとか。ダメじゃん。
http://www.tvbs.com.tw/news/news_list.asp?no=arieslu20090522123028 (TVBS)
おいらも別に訪中そのものには反対しません。そして陳菊おばさんのスタンスを素直に「おお」と思います。中国とのつきあいを完全に遮断するというのは非現実的だし、それならば国と国としての関係にどうやってもっていけるかだと思ってます(その上で傾中かどうかっていうのは別問題として残るけど)。その意味で、陳菊おばさんは(本来それが目的ではないので)間接的な手法でもそれができることを示したし、何より党対党という藍陣営のやり方ではなく国民と国民というやり方を通したところがいちばん大きいんじゃないかな。
一方で、民進党の鄭文燦も言っているとおり、今回の陳菊おばさんの立場はあくまで「ワールドゲームズという国際大会を行う都市の市長」です。確かに産経の記事が言うような危惧もわかるんだけど、陳菊おばさんの立ち位置や中国側の出方といったものが通常とは異なることは、やっぱり考慮しないとダメだと思うなあ。
また、一部で報道されているように、民進党内における中国に対するスタンスの転換点になるかも、というのもありえなくはないなと思ってます。ただし、それは決して胡錦濤や産経の変な記事の望むような方向に向かうとは到底思えないっすけど。
http://news.chinatimes.com/2007Cti/2007Cti-News/2007Cti-News-Content/0,4521,50101154+132009052200832,00.html (中国時報)
http://news.chinatimes.com/2007Cti/2007Cti-News/2007Cti-News-Content/0,4521,50101154+132009052201018,00.html (中国時報)
おお、ほんこーんがワンツーフィニッシュだ。うーん。Mukkeさんじゃないけれど、
・・・・・・このブログって何のブログだったっけ?
あはは。
本当ならば、以前から書くつもりでいた(マジで)日経ビジネスオンラインに連載されていた「ネットは「中国式民主主義」を生むか?」についてそろそろ取り上げるつもりでした。だけど、なんだか
だってさ、遠藤さんは
> 2.5億ともなると、十分に世論を形成する力を持っており、すさまじい言論パワーとなり得る。
って言ってるけど、日本のネット世帯利用率は90%を超えているけど、それが「十分に世論を形成する力を持って」いるかと問われると、完全に同意する人っているのかな。改めて言うほどのことじゃないですが、無数の発信源があって無数の受信者が取捨選択を繰り返して情報の受け渡しをするのがネットっていうやつです。
おいらのこのブログだって理論上は日本人のおそらく1億人以上が容易にアクセスできるはず。実際には、となると、そりゃたまには「台湾からすごいたくさんの訪問があって狼狽したけど飽きた寝る。」みたいな異常事態も発生するけど、基本的に左のカウンタを見れば一目瞭然のとおり過疎ブログです。えへん。
おいらのこのブログを例に出すのはあんまりよくないんですが、単にネット総人口とツールとしてのネットの持つ力を強引に掛け算したらダメだと思うっていうことです。みくみくにしてあげるが600万再生でメルトが400万再生、お互い10万MLを記録しているけど、それが日本全体で見たときに実際にどれほどの知名度か。っていうような感じです。
確かにネットの世界は広いし、思いのほか遠くまで届かせる力を持っていると思う。でも、それを過信する発信者や受信者は、そのクモの巣の網目が意外にでかすぎることに、そして誰もがそんな遠くまで放り投げる力を持っているわけじゃないことに、いずれ絶望するんじゃないかな。ネットの世界に無限の可能性が秘められているとしても、使おうと思って使える部分なんてたかだか知れているんだから。
となると、ネットが何らかの力を発揮するためには、まずはびっくりするほどの数と勢いが必要不可欠なんじゃないかと思ってます。すごいマイナスなイメージの言葉でくくってしまえば「祭り」っていうあれ。ネットにドン・キホーテが一人で活躍する場はほとんど無いと思う。というか、そういう人はネットを使わない方がいいと思う。創作者や発案者は一人であってもどれだけの人を巻き込めるかが大事なんだと思う。それはコンテンツに拠るものもそうだろうし、伝搬性に拠るものも必要でしょ。
ただ、例えば毎日変態新聞騒ぎや朝日新聞の荒らし祭りの時、あれほどニュー速+板で継続されていたけど何が変わったかって言ったらご存知のとおり。
つまり、確かにネットはツールとしては優秀だけど、それを形にしたり何かを変えたりするには結局オフラインの力を借りないとやってけないっていうことなんじゃないかな。当たり前だけど。
密林使えばこっそり
かたやいろんな活動をしてほうぼうに迷惑かけて、とかく縦横無尽の活躍をされている国士さまたちに足りないのは、無鉄砲に発散されるエネルギーじゃなくてそもそもの数。あの人たちの動きで謎なのは、どうしたら賛同してもらえるのかというより、どうして賛同してくれないのかっていう方に走っちゃうところ。より多くの支持を得るためには真ん中の方に寄っていくはずなのに、あの方たちはさっぱり動かない。すごい。その無垢なまでの視野狭窄っぷりは、あえてそうすることで安住の地を築いているのかもしれないけれど、尊敬に値するなあ。
先日来、台湾関係でもいろんなネット上での動きや実際に街に出ての活動もあるようです。元来「やらない善よりやる偽善」派のおいらだけど、そういう残念な動きを見ているとどうも腰が上がりません(って書くと怒られるわけだけど)。
ちょっと季節外れだけど、オタマジャクシってもの凄い数が集まると壮観だし、よく見ればうようよ良く動いてるよね。国士さまたちのレスの応酬や武勇伝をリアルタイムに見つけちゃうと、おいらはどうしてもあの光景を思い浮かべちゃうんです。
もっともね、ジェバンニになりたいとは思っていないし、なれるとも思っていないんだけどね。
というわけで眠いながらも前回の「ほんこーんの記事。」に引き続き、香港の明報に掲載された記事を訳してみた。ジェバンニになれなかったのは言うまでもありません。
今回はごめんなさい、まともに訳していません。頭じゃなくて手が止まってしまった部分があるし、それ以外でも意訳のオンパレードです。そしていつものお約束で誤訳あったらごめん&謝罪はするけど賠償はしませんのであしからず。
ただ、ほんこーんが控えめにも、
> 今回はほんこーんの紹介じゃなくて、
> 執筆者さんがほんこーんのネタで自分の日本への感想を書いているね。
と書いている通り、なんていうか、そういう記事です。正直なおいらの感想としては、「この人は何を書きたいのかなあ」というか「妄想乙」っていう感じなんだけどね。あ、後半は言いすぎかな。
言うまでもないことなんですが、確かにこれは香港の人が書いた日本観ではあるけれど、必ずしもこれが「香港から見た日本」の全てじゃないです。おいらたち日本人が三者三様に香港を捉えるように、彼らもまた十人十色の日本観を持っているのです。
【メディア】香港の「明報」に出た(第2弾)
http://www.noborustation.com/blog/index.php?op=ViewArticle&articleId=95&blogId=1
近現代の日本社会の歩みは、世界の舞台における一つの神聖な悲喜劇であった。本欄「日本を読む」では、その中のいくつかの喜劇の部分を抜き出してきた。今の香港における現代社会の各種の自由に対する渇望と期待は、様々な日本への夢や現実の絡み合ったものの上に表われている。消費、アニメ、言語、文学、生と死、飲食、旅行、愛情、彩り、音声、これら全てが感覚器官の解放だ。私たちはずっと日本についての知識を渇望している。しかし実際のところ、好きと嫌いという考えが根っこにあり、そもそも「本当の日本」を知り、認識することを必要としておらず、専門の学者の力が入ることなしに私たちにに正確な日本の知識を与えている。私たちは、この一点だけははっきりさせる必要がある。日本に対して好きや嫌いと感じる気持ちは、またこれらの日本に対する夢は、その裏で現代生活のどんな心理状態、すなわち理想、期待、希望といったものを体現しているのだろうか?
前回の本欄では、日本に行って成功したいと考えている未来の歌姫ほんこーんをインタビューした。彼女の香港での成長の歴史を分析することは、香港で普及した日本式文化の発展の歴史を表している。彼女の例は、第3,4世代の香港の若者における性格の成長の代表的なものだ。これらの日本に対する想像と誤解が混じったイメージは、その陰の何を表しているのだろうか?
○ 日本料理における日本のイメージ
「去年、日本のメディアの招待を受けて、初めて一人で日本に行き、その際に一緒に歌の基本的なレッスンもしてきました。対応してくれた友人から『どんな日本料理が食べたい?』と聞かれたので、私は『日本に来たのだから、もちろんラーメンを食べたい!』と答えました。すると、その友人は笑いながら大騒ぎしました。『ラーメンは間違いなく中華料理でしょ。なんであなたみたいな香港人が、日本に来て自分の地元のものを食べたいと思うの?』と言われました」私たちが売り買いしているラーメンは日本料理だとされているが、日本ではラーメンは中華料理として扱われる。「日本ラーメン」は戦後の日本が中華料理を真似てできたものだ。これらの「中華」や「日本」といった形容は、何を表しているのだろうか?「それで、私はカレーを食べたいと言ったのです」ほんこーんはアニメの「カレーの歌」をアレンジして歌ったこともあり、これは日本のネットユーザたちに大いに好評だった。ちょうど私たちもかつて本欄で紹介したとおり、インドのカレーは日本の新宿中村屋による革命的な経緯により、新アジア精神とつながりを持った。この少し甘くて辛くはない日本式の「純印度式カリー」の裏にはどんな現代史の秘密が隠されているのだろうか?
これらの「日本の伝統」はどのようにして生まれたのか?なぜ日本人は信じるのか?なぜ私たちは信じるのか?日本人は絶えず国際社会の流れにしがみ付いてきたと同時に、何事も「外人」に対して、特に私たち「文明開化」していない「支那人」に対し、恐れていたようだ。これは私たちの歌姫が初めて日本に入国しようとした際の出来事にはっきりと表れている。
○ 入国の際の心得
「入国する時、私は友人の住所や電話番号を忘れてて、泊まるホテルのことも手持ちに無かったんです。私は別の部屋に通されてしまい、かなり怖い思いをしました。30分ほどあれこれ聞かれ、私はふいにノートPCに入っていることを思い出して、職員の人に見せてその場を出ることができました...」もしあなたが「明報日曜生活」の熱心な読者であれば、筆者がかつて書いた、旅行で日本を訪れた際には入国時に書き込む用紙に渡日目的を「天皇訪問」と書いてはいけない(天皇は神事で忙しくあなたと会うことはできない)という記事を覚えているかもしれない。ある友人がこれを試したところ、当然のごとく「不審人物」とみなされ30分ほど問い質されたという。旅行というのは現代の巡礼の儀式であるとともに、消費、買い物が目的でもある。単純に用紙の上には「ラーメン、ショッピング」と書けば、安全に通過できること請け合いだ。(中略)○ 魅力と恐怖の代名詞
日本人は近代の歴史の中で、「国家」と「世界」の大きな流れの中で迷い続けてきた。このような集団心理の上での対極とアンバランスは、例えば西洋社会から見た日本の「菊と刀」のような文化イメージに表れている。また、今の香港人にとって、あたかもケロロ軍曹と映画「南京!南京!」の情報が同じであるかのようなのは、私たちの「日本」の文化消費の憧れと同時に、あたかもいつまでもつきまとっている軍国主義への警戒心を表しているようだ。異なる時代、異なる社会の人にとって、「日本」は今の世界で魅力と恐怖の代名詞であるということだ。今後、もし機会があれば、私たちは日本の別の一面である悲劇について、現代社会の闇の部分についても話さなければならない。日本を読むことは、必ずしも専門家や知識が必要ではない。少しばかり日本語を勉強し、自分の関心のある分野でいくつかの大切な本を選んで読むこと、そして自分の生活の現実に対面する少しの勇気を持つこと、異なる人と付き合う忍耐力を持つこと、これらが英知となるだろう。
特集 - 日本を読む:現代の夢の地平線 (明報)
ごめん。香港メディアの中国語がどうこうって言うよりも、この人が何を言いたいのかさっぱりわかりません。たぶん、同じテーマでほんこーんが同じ分量だけ 書いたほうが、よっぽど面白い文章を書いてくれる気がします。
とは言え、想像以上にひどい訳だというのは、きっとそれは事実に違いありません。なので精査はまた明日。いろいろと直すべき細かい点があったら、容赦なく言ってください。とりあえず寝ちゃいます。やっぱりジェバンニは無理でした。
(★ 追記:05/18 20:50)
なんとなく完成。なんていうか、前回は「あってるかどうかわからなくて不安」な「なんとなく完成」だったけど、今回は「なんだかあってても違っててもいいや」な「なんとなく完成」。恐ろしくクオリティが低い翻訳でごめん。
この文章が国語のテストで出てきて「作者の伝えたかったことを50文字以内で書きなさい」っていう問題があったら1点ももらえない自信があるよ。って威張るなよ。えへん。
> 初めて香港のメディアに紹介された...!!
> しかも新聞...!!
と、「すごく...大きいです...」な写真と共に明報の記事を紹介してました。
【香港の明報】に紹介されました。
http://www.noborustation.com/blog/index.php?op=ViewArticle&articleId=92&blogId=1
これをスルーしちゃダメだよね。
去年の7月に
> 個人的には、そろそろ香港のメディアが取り上げてくれてもいいんじゃないかなと思っているんですが、
なんて書いてたけどそれから10ヶ月、ようやく時代が追いついたって感じですね。って、おいらはそうやって先見の明を気取るからよくないんです。しかも「時報うぜええええええ。」では、
> というか、明報とか文匯報とかが取り上げる光景がさっぱり思い浮かばない
なんて書いてるくらい、明報っていうのは予想外だったしね。
「やらないか」っていうことで、悪戦苦闘しながら全文翻訳(仮)。いつものお約束で誤訳あったらごめん。あくまでおいらの訳だからね。そして謝罪はするけど賠償はしませんのであしからず。
あと、本人も上のブログで、
> *この新聞の内容は執筆者の意見ですから、私の意見とは関係ありません。
とか、
> あと、これは「論文」で、「紹介文」じゃないから、前のインタビューとは大きい違いがあるよね。
> だから、私が言いたいことや想い方や、文章の内容に合わるために、ちょっと変えられたこともあるですね。
と書いているので、そこらへんも了解ください。もっとも、これはどんなメディアのどんな紹介記事でもあることなので、仕方ないね。
筆者の知る限りでも、日本に行って夢を探したいと思っている若者の友だちがたくさんいる。日本に行って日本語を学びたい、日本の大学で勉強したい、漫画の同人誌を描きたい、声優になりたい、日本人と結婚したいなどなどだ。本欄ではこれまで15回にわたって日本での経験を紹介し、「日本」という二文字が現代社会の夢と理想であることを物語ってきた。夢の終着点に近づき、筆者は、大学入試が終わったばかりだが既に日本の音楽の世界に身を投じた香港の女子学生を探し当てた。今回のインタビューを通じて、私たちのジャパニーズ・ドリームの一つの区切りとしたい。
今回のインタビューの相手は、その名に恥じない「香港小姐」だ。なぜなら、彼女はネット上でのニックネームは「ほんこーん」(発音はHong Kooong)だからだ。彼女は大学受験の終わった中学7年生で、実に「香港らしい」中学生だ。しかし、この「どこにでもいるような」香港の女子学生は、中学6年生の時に既にNHKや日本の3つのネット誌によるインタビューを受けており、日本の音楽界における明日の歌姫だと言える。
このような言い方はもしかすると誇張している部分があるかもしれない。なぜなら、彼女の活動やファンの範囲は、主に「ニコニコ動画」(ニコニコは日本語で微笑みの意味の形容詞、微笑動画と訳すことができる)と呼ばれるネット上(http://www.nicovideo.jp/)に集中しているからだ。ニコニコ動画はYoutubeに近いが、登録して会員になれば簡単に無料で閲覧することができる。その最大の特徴は、閲覧した人がコメントを書き込み、動画上にそのコメントを表示することができることだ。この簡単な機能によって、参加者がリアルタイムに動画上で評価をすることができ、あたかも多くの閲覧者とあなたが同時に観たり参加したりしているように感じることができる。私たちの小さな歌姫は、この閲覧者が深く参加できる新興媒体の中で、彼女にとって最初の日本人ファンを得たのだった。○ 人の声をモニタリングしてできた歌うソフト、創作者たちがステージを作る
「最初に自分の歌をニコニコ動画にアップしたきっかけは、台湾のニコニコ動画ファンたちによる『組曲 ニコニコ動画』を観たからです。そのときとても心を打たれて、なんだ他にも外国人が日本語で動画サイトを観ていたんだと思いました。そこで、私もすぐにお返しをしたいと思い、香港人としてこの初めての歌を歌ったのです」彼女のデビュー曲に対する反応は非常に大きく、累計で10万回以上の閲覧を数えた。
ほんこーんは、中学校の時に、数年間にわたって日本語の初歩を学んだ。しかし、彼女の日本語の発音は日本人にすら「この美声が香港人?マジで?」と思わせるものだ。2008年、人の声のように歌うコンピュータソフト「初音ミク」が日本でブームになって以来、多くの無名作曲家たちや同人絵師が、電子の歌姫である初音ミクのために創作活動を行った。ほんこーんは「初音ミクブーム」に乗り、電子の歌姫の初期の名曲「メルト」を歌い、現在までに30万再生以上の閲覧数を重ねている。「この新しい媒体のおかげで、多くの有名無名の人たちが発表できる場を持てたと言えると思います。歌、絵、作曲、映像、とにかく新しいアイディアがあれば機会も生まれる。私もただ外国人だということがアピールポイントになった。日本人が、なぜ外国人がこんな上手に日本語の歌を歌えるのかと思ってくれた。もし私が日本人によく知られるようになったら、同じような魅力を何か持てるかどうかはわからない」彼女のMixi(日本版Facebook)とニコニコ動画での熱心なファンの数はおよそ1~2千人ほどになっており、これだけでも既に非常に珍しいことだと言えよう。
○ 自分のMVのために絵を描く
ほんこーんは、自分の動画の背景画像も自分で描いている。多くの香港人と同じように、彼女の日本との接点はやはりアニメによるものだった。彼女によれば、小学校1年生の時には既に日本のテレビゲーム「サクラ大戦」で遊び始めていたという。「その頃は日本語を見ても理解できなかったけど、6年生になるとわかるようになって泣いてしまうこともありました。中学に上がる頃になって、ようやく日本に行って「サクラ大戦」のステージを観ることができました」筆者が最初に日本に行ったのは大学時代のことだった。第4世代の香港の若者は、私のような世代よりもかなり早く日本を経験をしているようだ。「中学校で同人誌を描き始めました。6年生までずっと香港の同人誌活動に持ち込んで売ったりしていました。歌を歌うというのは、実際のところかなり偶然の出会いだったんです」○ 思い描いていた理想の日本に飛び込む
日本に対する考えを聞かれれば、もちろんある種の期待と待望がある。特に成長していく中で香港文化と比較し、さらに香港を出て夢を掴みたいと願う気持ちが湧き上がるのだ。「学校の音楽の授業では、当たり前のようにみんな不真面目に受けて、適当に間に合わせています。香港の流行曲に心を奪われたこともあったけれど、中学校では四天王のブームも終わり関心が湧きませんでした。日本のゲームとアニメにはもちろん親しみがあったけど、特に親しみがあったのがアニソンでした」日本はなぜ現代社会における「理想」の代名詞や「自由」の象徴となるのか?カラーの解放であり、声の解放であり、感覚の解放だ。ある友人は、まるで「何も知らずに成り行きで」日本の音楽界でデビューしてしまったみたいだ、香港では多くの芸能人が日本の芸能界でデビューしたいと言っているのに、と話す。「ニコニコ動画が、私が日本の創作者たちに認識された転機だったことは間違いありません。私は初めから歌手になりたいなんて言っていませんでしたが、もし機会があれば試してみたいと思っています」チャンスというものは確かに大切なものではある。しかし、最初の理想、興味、熱心さ、能力といったものがこれまでの成功の必要不可欠な条件であったようだ。
「もともとは、こっちで大学に通い日本のことを勉強したかったんです...。でも、今では両親も許してくれて、やっぱり日本でまず日本語を一年間勉強してから、向こうで大学を受験したいと思っています。日本での活動は必ずしも成功するとは限らないけれど、試してみたいと思っています」日本は現代社会の理想を投射したものだ。この若き香港の歌姫による日本への夢は、どんな現実の試練に直面しているのだろうか?私たちは次回も引き続きこの話を続けたい。
ごめん、やっぱり香港メディアの翻訳は泣きそうなほどに骨が折れます。こんな時間にするもんじゃないね。午前2時にするべきは、やっぱり望遠鏡担いで踏切にダッシュ。これだね。
想像以上にひどい訳なので精査はまた明日。いろいろと直すべき細かい点があったら、容赦なく言ってください。
(★ 追記:05/11 02:20)
21 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2009/05/10(日) 10:25:55
香港メディアデビューキタ
ttp://www.mingpaonews.com/20090510/vzi1h.htm
読めねえ・・・だれか広東語出来る猛者いない?
漢字でなんとなく意味は分かるんだが・・・27 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2009/05/10(日) 23:01:08
>>21
AAの人が訳してくれると期待【歌ってみた】ほんこーんを語るスレ Part3【ニコニコ】 (YouTube板)
ちょ、おま。ここですか?ここのことですか?
確かに「ほんこーんのAA。」なんて記事も書いてるけど、少なくともあれっておいらが作ったAAじゃないっす。しかも期待しないで。おまけになんだか>>27はおいらの自演みたいに見えるじゃないっすか!
恥ずかしいので本スレにも投げないでおこう...。拙訳で本当にごめんなさい。
(★ 追記:05/12 13:20)
このブログでほんこーんの話をすると急激にアクセスが伸びるのでちょっとだけ嫉妬。あはは。
明報の拙訳ですが、いろんな人のアドバイスもありなんとなく完成に。まあ、誤訳は残ってると思うんだけどね。訳したことでもしかしたらほんこーんにとっては迷惑だったかもしれないと思ってしまったり。
なお、明報は時間がたつと会員登録しないと読めなくなっちゃうので、原文を読みたい人は新浪網でどうぞ。
そういえば本スレで
30 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/11(月) 12:29:39
>>21>>27
廣東語は苦手みたいだな
暫定版だが訳がうpされている
http://www.yauchi.net/2009/05/000146.html【歌ってみた】ほんこーんを語るスレ Part3【ニコニコ】 (YouTube板)
と書かれちゃいましたが、香港のメディアの記事は苦手もいいところですね。文法の癖の差なのかもしれないけれど、なんだか読んでいてぐるぐる回ってしまうんです。あれ?この言葉はどこに掛かるの?みたいな。おまけに広東や香港独特の言い回しや単語もあるしね。お手上げでっす。ばんじゃーい。
> 微妙にチャチなような気がするのがすごく悩む。
なんて書いてたけど、期待を裏切るほどにしっかりしたマグカップで、これはかえって使い道に困っちゃうなあ。
連休こそは日経ビジネスオンラインの話をしようと思っていたのに、前回の「詭弁踊りはまたの機会に。」に引き続いて台湾地位未定論のお話。そしてもっと言ってしまえば、その前の「そもそも投げ返す球なんて持ってたっけ?」から3回連続して森見登美彦の『夜は短し歩けよ乙女』からネタを拝借するというワンパターン。
いや、本当は前回と今回は予定外で、すらーっと『夜は短し~』ネタで日経ビジネスオンラインの話につながるはずだったんですよ。伏線を張ったら常々意識しないと回収し忘れるおいらの一身上の都合です。わかりやすく言えば備忘録。これはひどいタイトルだ。
さて、「日華平和条約の行間を読めば、台湾の主権が日本から中華民国に移ったことは明らか」という安っぽい燃料を放った馬英九ですが、それを野放しにしておくこともできません。報道によれば、日本の在台湾大使に相当する齋藤日本交流協会台北事務所代表は1日に行われた講演会で、先の馬総統の発言を否定して台湾地位未定論を展開したとのこと。産経ソースで立ったスレにあるように外交部から厳重抗議があり、東京新聞によれば当該発言について
> 「個人的な見解であり、日本政府の公式見解ではない」として発言を撤回した。
とのことでした。
【日本・台湾】台湾外交部、日本代表発言に厳重抗議[05/02]
http://takeshima.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1241258817/
http://www.tokyo-np.co.jp/article/world/news/CK2009050302000066.html (東京新聞)
ここで「あれ?」と思うのは台湾地位未定論を展開することが「日本政府の公式見解ではない」と慌てて否定することなのかな?っていうところ。今回の件の余波が台湾でも残っているようですが、ひとまずはここについて。
前回も少し書いたんですが、台湾地位未定論というのは「終戦後に日本が放棄した台湾の主権は、どこにも帰属していない」というもの。これに対して馬政権が主張するのは「終戦後に日本が放棄した台湾の主権は、中華民国に帰属した」というもの。つまり、前者は「日本が主権放棄(1)→まだどこにも帰属していない(2)」で、後者は「日本が主権放棄(1)→中華民国に帰属した(3)」っていうそれぞれ2段階を踏むわけです。
ここで、産経も引用した平成17年の町村外相の答弁を再度引用すると、
○ 町村信孝:これは、日本はサンフランシスコ平和条約によって台湾を放棄いたしました。(中略)日華平和条約においては同放棄が承認をされた。ただ、その場合、どこの国に対して放棄したかは明記していないわけでございます。したがって、台湾がどこに帰属するかについて、これは専ら連合国が決定すべき問題であり、日本は発言する立場にない、これが日本側の一貫した法的な立場であります。(後略)
平成17年5月13日 第162回国会衆議院外務委員会
ということで、基本的に前者の流れに乗ってます。ただ、ひっかかるのは、前者の流れをもうちょっと解いた時に「サンフランシスコ平和条約等で日本が主権放棄(1)→日本以外の連合国に決定は委ねられてた(2-1)→とは言え決められていないので、実際にはまだどこにも帰属していない(2-2)」ってなることです。町村発言はこの(2-1)まで触れているんですがその決定については「日本は発言する立場にない」と言っている。ここでバツンと切ってしまうと、「連合国に委ねて以降、それが決まったか決まっていないかまで日本は立ち入る立場にない」と読めなくもないんですね。歴史的事実として、(2-1)→(2-2)はゆるぎない事実。さりとて、「(2-1)から先については日本は積極的に発言する立場にない」と厳しく判定すれば、(2-2)まで踏み込んだ齋藤発言は、若干の勇み足になっちゃうんです。
「おいおい、(2-1)→(2-2)なんてゆとりでもわかるジャマイカ」という声もあるでしょう。確かに日本政府の答弁を見ていても、あえて言ったり言わなかったりしているのかわかりませんが、その辺はけっこう揺れています。
あ、いきなり脱線していますが、実は過去に(1)→(3)発言をしたのが(日華平和条約発効後では恐らく)二人だけいます。まず昭和30年3月26日の衆議院予算委員会で川上貫一(日本共産党)の答弁に答えた鳩山一郎首相が、
○ 鳩山一郎:(前略)台湾は国民政府の領土であるということは認めます。しかしながら中共のものであるということを認めるわけにはいかない。(後略)
昭和30年3月26日 第22回国会衆議院予算委員会
と答えたもの。また同じく昭和30年の7月26日、衆議院外務委員会で岡田春夫(日本社会党)の質問に答えた重光葵外務大臣。
○ 重光葵:(前略)実際台湾と澎湖島を持っておるのは台湾の国民政府だから、それと平和条約を結んできたのだから、当然台湾の国民政府にこの領土は属しておるものだ、こういうふうに考えることが順序じゃないでしょうか。それが法律論というものだと思います。
昭和30年7月26日 第22回国会衆議院外務委員会
ところがこの「国民政府に領土は属している」発言について、岡田春夫から確認の声が上がります。助け舟は外務省の下田武三条約局長。
○ 岡田春夫:外務大臣の御意見は全然誤まりであります。なぜ誤まりかというと、今、国民政府に領土権が帰属すると御答弁になった。間違いありませんか、その点もう一度確かめておきたいと思います。それは間違いないなら間違ないでいいです。領土権が帰属するなら帰属するとおっしゃって下さい。(後略)
○ 下田武三:大臣が国民政府とおっしゃいましたのは、中国という抽象的なものに帰属するという点を岡田委員がおっしゃったのだろう、そう念を押されたのではないかと思いますが、私の考えを申します、サンフランシスコ平和条約で日本は樺太や千島あるいは台湾、澎湖島に対する領土権その他の請求権を放棄しております。サンフランシスコ条約は放棄したというところですべてストップであります。あとはまだ未決に残しておるわけであります。
○ 岡田春夫:そうすると今大臣のおっしゃったのと違いますね。国民政府に帰属するということではないということを今はっきり言ったわけです。サンフランシスコ条約に基いて日本は権利、権原を放棄したのであって、その帰属の関係ということはサンフランシスコ条約自体にはうたっていないし、それから日華条約においても、これはうたってあるかどうか、この点伺いたかったわけですが、日華条約において領土権がどこに帰属するとうたってあるか、私はうたっていないと思うのですが......。
○ 下田武三:日華平和条約では領土権の帰属をうたっておりません。(後略)昭和30年7月26日 第22回国会衆議院外務委員会
これ以降、日本では(1)→(3)を公式の立場で喋った人はいないはずです。つまり、馬英九の理論に日本政府は乗っていないっていうことですね。じゃあ、(1)→(2)ラインにどこまで乗っかっているかというと、よくて(2-1)まで、稀に(2-2)まで踏み込んでいたりいなかったりといったところでしょうか。(2-2)まで踏み込んだ例としては、まず昭和46年3月18日の愛知揆一外相が衆議院外務委員会で戸叶里子(日本社会党)の質問に対して
○ 愛知揆一:(前略)しかし同時にサンフランシスコ平和条約、それから次いで日華平和条約、多数国間あるいは二国間の条約として、台湾の帰属が未決定であるということは、これは条約上一つの判こをついた証文のことばでございます。
(中略)私は、日本国政府がサンフランシスコ平和条約を忠実に守っていく立場にある限りにおいて、台湾という領域がどこの地域に帰属したということを日本の政府は主張するという立場にはないという、日本政府としてはそういう立場をとるべきであると思います。昭和46年3月18日 第65回国会衆議院外務委員会
と答えたもの。あるいは同年7月19日の衆議院本会議で佐藤栄作首相による
○ 佐藤栄作:(前略)私はもう何度も申し上げましたように、われわれはサンフランシスコ条約でこれは権利、権原を放棄したその地域でございます。先ほど私が申しましたように、その帰属が国際的にはっきりきまったとは私はまだ認めることはできない。日本自身は、放棄したのですから、何にも言うことはございません。これだけはもう間違いのないことです。(後略)
昭和46年7月19日 第66回国会衆議院本会議
というものがあります。このあたりを見ると、日本が「どこそこに委譲する(orされる)べきだ」と主張する立場に無いことと、「どこに委譲されるか決まってない」といういわゆる未定論を展開することは両立できるようにも思えるんですね。
ただ、どうにもいわゆるアルバニア決議以降、つまり中華民国という存在がマイノリティに転落してしまって以来、政府側が未定論まで踏み込んだ例というのはちょっと見当たりません。放棄という原則まで示した上で、入り口から先は触れていないように思えます。むしろ、直で言っているのであれば教えてください。今回の騒動で、一部の人たちは先の町村発言が(2-2)まで踏み込んだものとして解釈しているようですが、それは行間を読みすぎというもの。むしろかえって馬英九と同じ力技ロジックを展開してしまっているんだけど、気がついていないのかなあ。
ちなみに、最新の政府の答弁としては、おそらく平成19年4月11日の衆議院外務委員会で麻生太郎外相が長島昭久(民主党)の質問に答えたものになるでしょう。ここにおいても、
○ 麻生太郎:(前略)日本は、御存じのように、サンフランシスコの平和条約に基づいて、台湾に対するすべての権利等々を放棄いたしております。したがって、台湾の法的地位に関して、日本として独自の認定を行う立場にはないというのが、いわゆるサンフランシスコ講和条約のとき以来の一貫したところであります。(後略)
平成19年4月11日 第166回国会衆議院外務委員会
と、きわめて限定的(というか、これだけだと(1)しか言っていないなあ)に答えてますね。
その斎藤代表、いったいどんな発言をしたのかが気になるのですが、「馬英九総統のいわゆる『日華平和条約によって台湾の主権は日本から中華民国に引き渡された』という主張に同意できないことを公にし、台湾地位未定論を展開した」(自由時報)としか報道されていないのでちょっと残念。聯合報でも「講演では、サンフランシスコ平和条約および日華平和条約により、日本が主権を放棄したことが強調され、それにより台湾の国際的地位が未定であるという」としか書かれておらず、具体的な内容まではよくわからない。これは実際に抗議を行った外交部のサイトでも同様で、「台湾地位未定論に関する主張」としか書いていません。
http://www.libertytimes.com.tw/2009/new/may/2/today-p6.htm (自由時報)
http://www.udn.com/2009/5/2/NEWS/NATIONAL/NATS3/4881420.shtml (聯合報)
http://www.mofa.gov.tw/webapp/content.asp?cuItem=37960&mp=1 (中華民国外交部)
どうも報道を見る限り、斎藤代表が馬英九の主張する(1)→(3)を否定したのは間違いないでしょう。これだけで馬政権的には面目丸つぶれだよね。帰属問題は既に60年近く前に解決済み、って言いたかったのに締結相手国から「ねーよ」って言われたわけだから。
そもそも日本の選択肢としては、「独自の認定を行う立場にはない」以上、中華民国が「主権はうちにある」と主張すること自体は「そうね、その主張は理解し尊重するよ」って言うこともありえなくは無い。ところがその根拠を日華平和条約に求められてしまうと、日本の公式な解釈として「No」であることはゆるぎない。この点で斎藤代表は正しいです。
また、単に日本のスタンスをオフィシャルに求められたら「独自の認定を行う立場にはない」のだからそもそも(1)→(3)は絶対にありえない。というか「独自の認定を行う立場にはない」って言った時点で、(1)→(3)ルートは不成立だし。
恐らく斎藤代表の意図は、(1)→(2)を展開することよりもまず(1)→(3)を否定することにあったんじゃないかな。ということは、ここで「斎藤は馬理論の(1)→(3)を否定した。ということは(1)→(2)か」と台湾側が解釈して、かような批判を展開したという可能性も無くはないなあと考えてしまったり。
まあそれは想像の域を出ないんですが、仮に斎藤代表が(2-2)まで触れていたとして、そこまで従来の政府見解と異なるかって言われるとかなり難しいなあと思います。
だけど、上にも書いたように、日本は主権を放棄したという(1)に加え「独自の認定を行う立場にはない」というスタンスを示すだけでも(3)に向かうルートのフラグは折れているわけだから、それで充分だったんじゃないかなと弱気なおいらとしては思うわけです。むしろ、フラグが折れるだけに「じゃあ(1)→(2)」という前述の曲解を招きかねないくらいなんだから。その上、もしもそれ以上に(2-2)まで実際に言及していたとしたら、嬉々として持論を展開した馬英九の鼻っ柱を折るこの上ないカウンターを放ったわけですから、タイミングと場所を考えれば、それは若干力を入れすぎたようにも見えて拳のほうが心配になってくるのは仕方の無いことです。産経のように「不適切」とまでは言わないけど、「無茶しやがって」というのが正直なところ。
いずれにしても、今回の騒動の根っこをたどれば馬英九の超絶解釈にたどり着くのは間違いありません。となると、さほど事が荒立てられることは無いんじゃないかなあ。この件で、むやみやたらと波風立てることによって台日間で得られる利益なんて無いしね。日本側が解釈を変更することなんてあり得ないわけだし。むしろ、これを機に台湾で地位未定論について考える人が多くなれば馬英九の立場が危うくなることも充分ありうるわけっす。馬英九としては内心さっさと終わらせたがっているんじゃないかなあ。などと勝手に考えてしまうおいらがいちばんの楽観主義者であり、御都合主義者なのかもしれません。
★ 追記その1。(05/07 01:00)
今回の一件で抜け落ちている視点というか存在がある、という指摘を受けて、率直に「あ。そっか」と思った。途中の全部が全部を同意することはできないんですが、そのことを考慮に入れないでうだうだ書いてしまったのは、手抜かり以外の何物でもないなあとちょっと反省。少し前に「そもそも投げ返す球なんて持ってたっけ?」で、まったく逆の立場で似たような指摘を取り上げていたのにね。ちょっとどころじゃなく反省だ。

