草泥馬は馬勒戈壁の夢を見るか?
ちょっと間が開いてしまったんですけど、「ヨット右翼は太平洋の夢を見るか?」に引き続き日経ビジネスオンラインに連載されていた「ネットは「中国式民主主義」を生むか?」についてのお話でも。
前回もそうだけど、タイトルが某SF小説を連想させるのは、遠藤さんの連載を読んで最初に湧いたフレーズが頭を離れなかったから。ちょっとしたダブルミーニングも噛ませられて、個人的にはその時点で満足していたりして。
あ、でもごめんなさい。ディックの原作は読んだことがありません。そしてπPの「電子羊の夢」よりも、なんとかPの「電気羊の夢」の方が(しかもrepriseの方が)好きだったりします。
あ。「草泥馬って何ぞ」「馬勒戈壁ってどこの三国志の武将?」と思った人は、比較的わかりやすいWikipediaか、内藤康のサーチナコラム「ネットの向こうの中国(3)悪趣味か、抵抗か」でどうぞ。自分が訳して立てたスレはしょぼすぎるので自重。あはは。
馬と言えばこのところ台湾のお馬さんに気を取られてしまっていたのですが、日本のネットでも馬こと中村イネさんが何やらとんでもないことに。詳しい話はそれこそ蚊帳の外のおいらが言うことじゃないのでやふうでぐぐってください。
それにしてもひどいっす。ことの経緯もさることながらネットの反応が、っっぱない。有名税なんていう言葉で片付けるにはあまりに理不尽な展開だなあ。なんていうかミツバチがわあああって集まるみたいにして、ああこれはひどい。でもあえて言おう、それでもおいらは中村イネの「演奏してみた」が好きなんですと。
一方、こういうのは3億人のネットユーザを抱える中国でもあります。人肉捜索っていうやつですね。はてなの人力検索に名前も似ていて、中身も「自分が知らないことを他のネットユーザが調べて教えてくれる」という点では近いんですが、その対象が「個人」になった時、特に話題になる背景を孕んだ人物となると、ハンパないことになります。個人情報云々とかプライバシー云々っていう概念よりも先にネットというツールが広まってしまったことにから来る弊害なのかもしれないけど、怖いことこの上ありません。
今年に入ってからだと毛沢東像にまたがって写真を撮った女性とか、新型インフルエンザを持ち帰ってしまった男性とか、あとスレはないけど観光地の岩に自分の名前を彫ってしまった男性とかがこの刃にかかり、個人情報は抜かれるはオンラインオフライン問わず責められるわでもう大変。それぞれに(だからいいかっていう話ではなく)原因というか理由というかがあるとはいえ、とんでもないことだなあと思う。
そういえば映画「誰も守ってくれない」で個人情報を啄ばむネットユーザたちの描写があって、おいらは最初「いや、そんなひどいことあるわけ無いって」と思って観ていたんですが、冷静に考えてあれは十二分に起こりうる状況なんだね。
【中国】ネット上で個人情報を暴かれる!恐怖の「人肉捜索」とは...[05/30]
http://news24.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1212127586/
【中国】毛沢東像にまたがった女子学生、猛バッシングに謝罪文発表[03/01]
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1235906978/
【中国】「故意にウイルスばらまいた」=感染者にネットユーザーの批判が集中[05/17]
http://takeshima.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1242535570/
さて、遠藤さんの連載に話を戻しましょ。遠藤さんはネットというツールを通じて中南海と市民がせめぎあっているとした上で、胡錦濤総書記が「マルクス主義の中に民主を求めようとしている(第12回より)」と同時に、「ボトムアップの民主を徹底して警戒し、トップダウンの民主を行おうという夢を持っている(同)」と仮説を立ててます。で、腐敗の排除なんかのためには先に述べたような網友たちの力を借りざるを得ず、結果として「むしろ「誘導されているのは中南海、中国共産党指導部なのである」ということを、私たちは見出すことができるだろう(第17回より)」と結論付けてます。つまり、リアルの政治構造なんかよりも先にネットの世界では民主化が進んでいて、そうした民意の反映の仕方が中国式民主主義なのだとおっしゃりたいようです。
ま、そんなことより「この人はよっぽど胡錦濤が好きなんだな」というのが第一印象だし、「ということは、胡錦濤自身は遠い未来にせよ、やはり実現を夢見ているのだろうか・・・・・(第13回より)」を読んだときは、「いや、夢を見ているのはあなたでしょう!」と突っ込みたくなったし。
「ヨット右翼は太平洋の夢を見るか?」でも書いたとおり、おいらはいわゆる「ネットによる世論形成」というものを信用しません。ただ、このテーマが立脚するのは「中国において」というところ。遠藤さんの仮説の前半にある胡錦濤の政治的終着点はともかく、中国において網友の持つパワーが侮りがたいという点では同意せざるを得ません。
特に、前回もだだぁっと書いた「どうやってオンラインで多くの人を巻き込めるか」「どうやってオフラインでの動きにスライドできるか」というのを中国ではすでに4年も前にやってしまっています。そう、2005年の反日デモ(デモってレベルじゃねーぞ)です。胡錦濤がその反省を踏まえたのだとすれば、ツールたるネットをうまーく使ってひん曲げたくなるのもわかる気がするんですね。
もちろん、連載記事の中で紹介されているような中国式民主主義なるものの動きは、民意を吸い上げたり腐敗役人の摘発につながることもあると思う。けど、それで?という点では、まだまだ不充分な気がする。あえて言えば、地方をコントロールするために中央がうまく使っているような感じすらするし。
結局のところ、まだまだおいらの中では「単なるガス抜き」にしか見えません。先だっての08憲章にしたって図らずも謝韜氏が「あれは、精神は理解できるんですけどねぇ・・・・・。しかし、今の中国における実現性という点から考えると、実現性は非常に薄いでしょうねぇ、残念ながら・・・・・・(第12回より)」と述べているように、今の時点で「ガス抜き」としては成功しているのかもしれません(この反応に対する遠藤さんの意見というかまとめ方がちょっぴり残念だった)。
翻って、中国での政治的な意見の吐露や訴えの声が、日本のそれより大きかったり深刻だったりするのは、どこにも声を上げられないことが根っこなわけで、じゃあそれはなんでかって言ったら、結局中国共産党の一党体制とその権益にぶらさがった支配体制にほかならないのでっす。(手は入りつつあるけど)好き放題を重ねた地方の高級幹部を辞めさせたところで、次に来る幹部も党が送り込む人材だったりするわけで。代わりになる存在がないんだもの。
でも、そういうエネルギーをネット上で発散して終わってしまうんじゃ、中南海の手のひらの上で騒いでいるのと大して変わらないんだよね。まあ、そうやって上手く取り込んで動いていくのが「民意を取り入れたトップダウン」なのかもしれないけれど、それって何も変わってないと思うんだけど。
確かに遠藤さんは2020年という着陸地点を予測しているので、今の時点で否定するのは早すぎるかもしれない。けど、胡錦濤がはたしてそんなつもりで飛んでいるのかなあと思っちゃうんですね。時に烈火のごとく吹き上がる声をいなしにいなして、2020年までにあらたな政治体制を築くというのなら、それはそれでお手並み拝見っていうもんです。
あえて今後の展開で期待するとすれば、遠藤さんが一瞬だけ使ってすとんと消えた「和諧」っていう点だと思います。この和諧っていうのは日本語ではもっぱら「調和のとれた」って訳される単語で、早い話が「格差の無い」っていう意味です。主に農村問題(都市との経済格差が3~4倍と言われている)で使われますね。
おいらが遠藤さんの連載を読んでいて最初に「あれ?」って思ったのは、前にも書いたネットの普及率の話のところで、「2億5300万人というのは、都市におけるネット普及率の大きさを見せつけられる数値だ。彼らは経済力もあり、社会の中での発言意欲や問題意識も高い。そんな彼らのネットパワーを無視することはできない(第2回より)」って書いてたところ。経済力があって都市で安定した生活を営んでいるのなら、そうそう今の体制をぶっ壊すようなことをするわけないと思うんですけど。なんだかんだ言って一億総中流に近い日本ならいざ知らず、中国で、でしょ。
それを考えれば今なおネット上で浮かび上がってこない農村部の人たち、または農村部から沿海部に流れてきている人たちがいることを忘れちゃダメだと思う。そしてそれが発火点の1つになるような希ガス。
その風船が弾けるのはいつか。昨年亡くなった小島朋之教授は「和諧をめざす中国」という本の中で、国務院の専門家チームのまとめとして2010年以降が危ないと紹介しています。その時の火種がネットを媒介としてリアルな炎上に結びつくか、はたまた胡錦濤がちょっと三農問題を頑張っちゃって農村にもネットが通じるようになり、かえって大きな火種を生む場所になるんじゃないか、と勝手に考えています。
ちょっと脱線しますが、この小島教授の「和諧をめざす中国」という本は、2005年から2007年にかけて『東亜』という月刊誌に連載されていた記事をまとめたもので、この時期のいろんなニュースが凝縮されたすごい本だと思ってます。あ、あれはここに結びつくのか!そういうことだったのか!っていう驚きでいっぱい。おいらは何もわかってないまま涼しい顔でスレ立てしていたのだと恥ずかしくなります。御家人さんも紹介してますね。ごめんなさい。おいらはその記事を読んで思い出しました。
さてさて、この「調和のとれた」社会っていうのは甘美なフレーズなんですが、そこは中国なので、当然「中国共産党によって調和がとられた」社会とほぼ同義になっちゃいます。うん、あれです。「国土の緑化」が、「とりあえず緑色にしておけ」と同義になるあれです。
遠藤さんは、ネット上の意見をコントロールしきることはできないので、政府に異を唱える意見が出てくるし、政府もそれに耳を傾けるようになったと話す。でもそれが根本的に何も変わっちゃいないっていうのは前述のとおりでっす。
むしろその枠のはめ方に「あれ?それっておかしくね?」って思う人がわんさか出てきた時が、もうひとつの山じゃないかな。その兆候はすでに出てきています。うだあっと長文書いてるけど、いちばん上の方に書いた草泥馬がそれですね。草泥馬の敵とも言うべき河蟹(he2xie4)は「和諧(he2xie2)」にひっかけたもので、政府によってコントロールされた、いわば調和のとれたネット空間に対する皮肉の産物です。人肉捜索で一般人を吊るし上げちゃう網友たちも予想の斜め上なんですが、中国のネット検閲もWWWの考えからすればやはり斜め上ですね。
そんなネット空間で、もし何か形が生まれそう(中国式民主主義がそれに含まれるかわかんないけど)に見えるんであればそれは幻想であり錯覚だと思う。むしろ、実はお釈迦様の手のひらの上にも及ばぬ作られた場所なんだっていう現実に、大陸の網友たちはもう気がついちゃってるんですね。なので、約束された茶番劇で満足が満たされないのであれば、やっぱり20年前に近いような火の噴き方をすることになるんじゃないかな。
あ、そうだ。すっかり忘れた頃に「夜は短し歩けよ乙女」だ。もともと「そもそも投げ返す球なんて持ってたっけ?(理系女子の話のところでセリフを拝借)」「詭弁踊りはまたの機会に。(タイトルで拝借)」「どいつもこいつも御都合主義者だ。(タイトルで拝借)」「ほんこーんの記事。(仮タイトル:「それはドミノ倒しのように広がる新しい朝のごとく。」で拝借)」「ほんこーんの記事その2。(仮タイトル:「夜明け前には寝床に戻らねばなりません。」で拝借)」と5連発でこの本から パクって 借りていたんですが、すっかり忘れていました。
この本の中で「おともだちパンチ」という不可解なパンチが登場します。ぶん殴るために拳を握るとき、親指を外に出すのではなく中に入れることで愛らしさが生まれ、それならば殴っても「満腔の憎しみを拳にこめることができようはずがない。かくして(略)世界に調和がもたらされ」るそうで、「愛に満ちたおともだちパンチを駆使して優雅に世を渡ってこそ、美しく調和のある人生が開ける」のだそうです。
もともとおいらよりもまどろっこしい文章が連発する上に奇想天外なストーリーなので、おいらの中ではけっこう苦手な部類に入る作品なんですが、どうしてもこの「世界に調和がもたらされ」というのがひっかかってました。
何が言いたいのかっていうと、和諧社会だなんだと言ってもそのパンチは鉄拳と変わらないっていうことです。事実錦鯉の東堂さんはどうなった?おともだちパンチでKOされて古池に沈んだじゃない。
「調和のとれた」という甘美なフレーズの裏に隠された鉄拳への抗議が、今は草泥馬なんていう(比較的)かわいらしい物に転化されちゃったんだけど、さてそれがいつまで我慢できるのかな。もっとも、「た かがネットじゃないか」「仕方ないね」という方に流れが転んじゃってそれっきりになることもありうる。それがツールとしてのネットの弱点だし、物質的に満たさ れつつある人たちがほとんどという中国のネットユーザ層のウィークポイントなんだけどね。
えっと、こんなところでよかったでしょうか。約2ヶ月放置プレイかましてお忘れになっているかもしれませんが。
前回もそうだけど、タイトルが某SF小説を連想させるのは、遠藤さんの連載を読んで最初に湧いたフレーズが頭を離れなかったから。ちょっとしたダブルミーニングも噛ませられて、個人的にはその時点で満足していたりして。
あ、でもごめんなさい。ディックの原作は読んだことがありません。そしてπPの「電子羊の夢」よりも、なんとかPの「電気羊の夢」の方が(しかもrepriseの方が)好きだったりします。
あ。「草泥馬って何ぞ」「馬勒戈壁ってどこの三国志の武将?」と思った人は、比較的わかりやすいWikipediaか、内藤康のサーチナコラム「ネットの向こうの中国(3)悪趣味か、抵抗か」でどうぞ。自分が訳して立てたスレはしょぼすぎるので自重。あはは。
馬と言えばこのところ台湾のお馬さんに気を取られてしまっていたのですが、日本のネットでも馬こと中村イネさんが何やらとんでもないことに。詳しい話はそれこそ蚊帳の外のおいらが言うことじゃないのでやふうでぐぐってください。
それにしてもひどいっす。ことの経緯もさることながらネットの反応が、っっぱない。有名税なんていう言葉で片付けるにはあまりに理不尽な展開だなあ。なんていうかミツバチがわあああって集まるみたいにして、ああこれはひどい。でもあえて言おう、それでもおいらは中村イネの「演奏してみた」が好きなんですと。
一方、こういうのは3億人のネットユーザを抱える中国でもあります。人肉捜索っていうやつですね。はてなの人力検索に名前も似ていて、中身も「自分が知らないことを他のネットユーザが調べて教えてくれる」という点では近いんですが、その対象が「個人」になった時、特に話題になる背景を孕んだ人物となると、ハンパないことになります。個人情報云々とかプライバシー云々っていう概念よりも先にネットというツールが広まってしまったことにから来る弊害なのかもしれないけど、怖いことこの上ありません。
今年に入ってからだと毛沢東像にまたがって写真を撮った女性とか、新型インフルエンザを持ち帰ってしまった男性とか、あとスレはないけど観光地の岩に自分の名前を彫ってしまった男性とかがこの刃にかかり、個人情報は抜かれるはオンラインオフライン問わず責められるわでもう大変。それぞれに(だからいいかっていう話ではなく)原因というか理由というかがあるとはいえ、とんでもないことだなあと思う。
そういえば映画「誰も守ってくれない」で個人情報を啄ばむネットユーザたちの描写があって、おいらは最初「いや、そんなひどいことあるわけ無いって」と思って観ていたんですが、冷静に考えてあれは十二分に起こりうる状況なんだね。
【中国】ネット上で個人情報を暴かれる!恐怖の「人肉捜索」とは...[05/30]
http://news24.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1212127586/
【中国】毛沢東像にまたがった女子学生、猛バッシングに謝罪文発表[03/01]
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1235906978/
【中国】「故意にウイルスばらまいた」=感染者にネットユーザーの批判が集中[05/17]
http://takeshima.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1242535570/
さて、遠藤さんの連載に話を戻しましょ。遠藤さんはネットというツールを通じて中南海と市民がせめぎあっているとした上で、胡錦濤総書記が「マルクス主義の中に民主を求めようとしている(第12回より)」と同時に、「ボトムアップの民主を徹底して警戒し、トップダウンの民主を行おうという夢を持っている(同)」と仮説を立ててます。で、腐敗の排除なんかのためには先に述べたような網友たちの力を借りざるを得ず、結果として「むしろ「誘導されているのは中南海、中国共産党指導部なのである」ということを、私たちは見出すことができるだろう(第17回より)」と結論付けてます。つまり、リアルの政治構造なんかよりも先にネットの世界では民主化が進んでいて、そうした民意の反映の仕方が中国式民主主義なのだとおっしゃりたいようです。
ま、そんなことより「この人はよっぽど胡錦濤が好きなんだな」というのが第一印象だし、「ということは、胡錦濤自身は遠い未来にせよ、やはり実現を夢見ているのだろうか・・・・・(第13回より)」を読んだときは、「いや、夢を見ているのはあなたでしょう!」と突っ込みたくなったし。
「ヨット右翼は太平洋の夢を見るか?」でも書いたとおり、おいらはいわゆる「ネットによる世論形成」というものを信用しません。ただ、このテーマが立脚するのは「中国において」というところ。遠藤さんの仮説の前半にある胡錦濤の政治的終着点はともかく、中国において網友の持つパワーが侮りがたいという点では同意せざるを得ません。
特に、前回もだだぁっと書いた「どうやってオンラインで多くの人を巻き込めるか」「どうやってオフラインでの動きにスライドできるか」というのを中国ではすでに4年も前にやってしまっています。そう、2005年の反日デモ(デモってレベルじゃねーぞ)です。胡錦濤がその反省を踏まえたのだとすれば、ツールたるネットをうまーく使ってひん曲げたくなるのもわかる気がするんですね。
もちろん、連載記事の中で紹介されているような中国式民主主義なるものの動きは、民意を吸い上げたり腐敗役人の摘発につながることもあると思う。けど、それで?という点では、まだまだ不充分な気がする。あえて言えば、地方をコントロールするために中央がうまく使っているような感じすらするし。
結局のところ、まだまだおいらの中では「単なるガス抜き」にしか見えません。先だっての08憲章にしたって図らずも謝韜氏が「あれは、精神は理解できるんですけどねぇ・・・・・。しかし、今の中国における実現性という点から考えると、実現性は非常に薄いでしょうねぇ、残念ながら・・・・・・(第12回より)」と述べているように、今の時点で「ガス抜き」としては成功しているのかもしれません(この反応に対する遠藤さんの意見というかまとめ方がちょっぴり残念だった)。
翻って、中国での政治的な意見の吐露や訴えの声が、日本のそれより大きかったり深刻だったりするのは、どこにも声を上げられないことが根っこなわけで、じゃあそれはなんでかって言ったら、結局中国共産党の一党体制とその権益にぶらさがった支配体制にほかならないのでっす。(手は入りつつあるけど)好き放題を重ねた地方の高級幹部を辞めさせたところで、次に来る幹部も党が送り込む人材だったりするわけで。代わりになる存在がないんだもの。
でも、そういうエネルギーをネット上で発散して終わってしまうんじゃ、中南海の手のひらの上で騒いでいるのと大して変わらないんだよね。まあ、そうやって上手く取り込んで動いていくのが「民意を取り入れたトップダウン」なのかもしれないけれど、それって何も変わってないと思うんだけど。
確かに遠藤さんは2020年という着陸地点を予測しているので、今の時点で否定するのは早すぎるかもしれない。けど、胡錦濤がはたしてそんなつもりで飛んでいるのかなあと思っちゃうんですね。時に烈火のごとく吹き上がる声をいなしにいなして、2020年までにあらたな政治体制を築くというのなら、それはそれでお手並み拝見っていうもんです。
あえて今後の展開で期待するとすれば、遠藤さんが一瞬だけ使ってすとんと消えた「和諧」っていう点だと思います。この和諧っていうのは日本語ではもっぱら「調和のとれた」って訳される単語で、早い話が「格差の無い」っていう意味です。主に農村問題(都市との経済格差が3~4倍と言われている)で使われますね。
おいらが遠藤さんの連載を読んでいて最初に「あれ?」って思ったのは、前にも書いたネットの普及率の話のところで、「2億5300万人というのは、都市におけるネット普及率の大きさを見せつけられる数値だ。彼らは経済力もあり、社会の中での発言意欲や問題意識も高い。そんな彼らのネットパワーを無視することはできない(第2回より)」って書いてたところ。経済力があって都市で安定した生活を営んでいるのなら、そうそう今の体制をぶっ壊すようなことをするわけないと思うんですけど。なんだかんだ言って一億総中流に近い日本ならいざ知らず、中国で、でしょ。
それを考えれば今なおネット上で浮かび上がってこない農村部の人たち、または農村部から沿海部に流れてきている人たちがいることを忘れちゃダメだと思う。そしてそれが発火点の1つになるような希ガス。
その風船が弾けるのはいつか。昨年亡くなった小島朋之教授は「和諧をめざす中国」という本の中で、国務院の専門家チームのまとめとして2010年以降が危ないと紹介しています。その時の火種がネットを媒介としてリアルな炎上に結びつくか、はたまた胡錦濤がちょっと三農問題を頑張っちゃって農村にもネットが通じるようになり、かえって大きな火種を生む場所になるんじゃないか、と勝手に考えています。
ちょっと脱線しますが、この小島教授の「和諧をめざす中国」という本は、2005年から2007年にかけて『東亜』という月刊誌に連載されていた記事をまとめたもので、この時期のいろんなニュースが凝縮されたすごい本だと思ってます。あ、あれはここに結びつくのか!そういうことだったのか!っていう驚きでいっぱい。おいらは何もわかってないまま涼しい顔でスレ立てしていたのだと恥ずかしくなります。御家人さんも紹介してますね。ごめんなさい。おいらはその記事を読んで思い出しました。
さてさて、この「調和のとれた」社会っていうのは甘美なフレーズなんですが、そこは中国なので、当然「中国共産党によって調和がとられた」社会とほぼ同義になっちゃいます。うん、あれです。「国土の緑化」が、「とりあえず緑色にしておけ」と同義になるあれです。
遠藤さんは、ネット上の意見をコントロールしきることはできないので、政府に異を唱える意見が出てくるし、政府もそれに耳を傾けるようになったと話す。でもそれが根本的に何も変わっちゃいないっていうのは前述のとおりでっす。
むしろその枠のはめ方に「あれ?それっておかしくね?」って思う人がわんさか出てきた時が、もうひとつの山じゃないかな。その兆候はすでに出てきています。うだあっと長文書いてるけど、いちばん上の方に書いた草泥馬がそれですね。草泥馬の敵とも言うべき河蟹(he2xie4)は「和諧(he2xie2)」にひっかけたもので、政府によってコントロールされた、いわば調和のとれたネット空間に対する皮肉の産物です。人肉捜索で一般人を吊るし上げちゃう網友たちも予想の斜め上なんですが、中国のネット検閲もWWWの考えからすればやはり斜め上ですね。
そんなネット空間で、もし何か形が生まれそう(中国式民主主義がそれに含まれるかわかんないけど)に見えるんであればそれは幻想であり錯覚だと思う。むしろ、実はお釈迦様の手のひらの上にも及ばぬ作られた場所なんだっていう現実に、大陸の網友たちはもう気がついちゃってるんですね。なので、約束された茶番劇で満足が満たされないのであれば、やっぱり20年前に近いような火の噴き方をすることになるんじゃないかな。
あ、そうだ。すっかり忘れた頃に「夜は短し歩けよ乙女」だ。もともと「そもそも投げ返す球なんて持ってたっけ?(理系女子の話のところでセリフを拝借)」「詭弁踊りはまたの機会に。(タイトルで拝借)」「どいつもこいつも御都合主義者だ。(タイトルで拝借)」「ほんこーんの記事。(仮タイトル:「それはドミノ倒しのように広がる新しい朝のごとく。」で拝借)」「ほんこーんの記事その2。(仮タイトル:「夜明け前には寝床に戻らねばなりません。」で拝借)」と5連発でこの本から
この本の中で「おともだちパンチ」という不可解なパンチが登場します。ぶん殴るために拳を握るとき、親指を外に出すのではなく中に入れることで愛らしさが生まれ、それならば殴っても「満腔の憎しみを拳にこめることができようはずがない。かくして(略)世界に調和がもたらされ」るそうで、「愛に満ちたおともだちパンチを駆使して優雅に世を渡ってこそ、美しく調和のある人生が開ける」のだそうです。
もともとおいらよりもまどろっこしい文章が連発する上に奇想天外なストーリーなので、おいらの中ではけっこう苦手な部類に入る作品なんですが、どうしてもこの「世界に調和がもたらされ」というのがひっかかってました。
何が言いたいのかっていうと、和諧社会だなんだと言ってもそのパンチは鉄拳と変わらないっていうことです。事実錦鯉の東堂さんはどうなった?おともだちパンチでKOされて古池に沈んだじゃない。
「調和のとれた」という甘美なフレーズの裏に隠された鉄拳への抗議が、今は草泥馬なんていう(比較的)かわいらしい物に転化されちゃったんだけど、さてそれがいつまで我慢できるのかな。もっとも、「た かがネットじゃないか」「仕方ないね」という方に流れが転んじゃってそれっきりになることもありうる。それがツールとしてのネットの弱点だし、物質的に満たさ れつつある人たちがほとんどという中国のネットユーザ層のウィークポイントなんだけどね。
えっと、こんなところでよかったでしょうか。約2ヶ月放置プレイかましてお忘れになっているかもしれませんが。
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