天安門、報道記者たち。
そんなわけで、おいらの中では残念なことに「教科書の中の出来事」に近いんですね。となると、どんな媒体を経るかはともかく、見たり聞いたりして知識にしないといけないわけです。ところが、当時の中国政府は今と変わらず報道管制を行い、結果としてどの程度の規模だったのかすら「中国共産党のみぞ知る」状態です。
20年目にあたる今年、BBC中文版で目を引く記事を見つけました。元BBC北京駐在記者のJames Milesによる検証記事で、タイトルは「天安門事件:メディアは正確に伝えられていたのか?(天安门屠杀:媒体是正确的吗?)」というもの。中国政府の対応や学生たちの動きを見るのではなく、メディアが当時の報道について検証するというのはちょっと気になっちゃうのです。
本当ならこういう記事の翻訳は「中南海ノ黄昏」のタソガレさんに激しく期待をするんですが、せっかくなので拙訳でも。異様に長いのでごめんなさい。いつものお約束ですが、誤訳あったらさーせん。謝罪はしても賠償はNon Non N(ry
メディアによる「六四天安門事件」の報道は、中国に対する世界の見方に大きな影響を与えた。では、メディアの伝え方もまた改めて振り返るべきものではないだろうか?
歴史的事件の第一報というものは、往々にして手落ちの部分がある。仮に、当時現場にいた記者が事件のあらましを描写していたとしても、その中の一部については手を加えたり、正しく改めなければならないものがあるだろう。
1989年6月3日と4日に北京で発生した虐殺もまさにこれにあたる。私もまた、その日の晩に現場で惨殺事件を目撃した外国人記者の一人である。総じて言えば、我々はありのままの報道を行った。しかし一部については、私やその他の記者たちが誤った印象を伝えてしまっている。実際には、天安門広場のまさに広場においては虐殺は起きていないからだ。当時、私がBBCに送ったニュース原稿を見ると、6月4日の早朝2時半に送った1本の原稿が際立って目に付く。
「午前2時頃、人民解放軍の装甲車が、天安門広場の周りに住民たちが立てたバリケードをなぎ倒した。目撃者によれば、その後数千人の兵士が広場になだれ込み、前進しながら発砲し、数多くの学生や労働者たちが広場の中心でうずくまっていたという」報道の初稿というものは、常に公になる前に最後の修正を行う。しかし、最終的に放送される決定稿はこれらと非常に大きく異なることはない。6月4日の昼、死傷者の報道がなされた際、私は別の初稿の中でこのように書いた。「多くの人が天安門広場内で亡くなった。発砲によるものだけではなく、縦横無尽に走り回った戦車によって轢かれて亡くなった者もいた」
その他の外国人記者の報道も似たような内容を伝えていた。◆ 確かな報道
証拠から、当時北京で虐殺が発生していたことに疑いの余地はない。多くの記者が違った場所で皆見ていたからだ。6月4日の朝、天安門近くに近い北京飯店に泊まっていた記者たちは、長安路で軍隊が何も武器を持たない市民らに向けて有無を言わさず発砲したのを見た。これらの市民と軍との距離は離れていて、市民は軍に対して何の脅威にもならなかった。
軍の乱射の後、路上には3、40体の遺体が横たわっていた。
この北京飯店の外で発生した一幕をもって、「虐殺」という言葉を使うことに対する理由があることは充分だろう。しかし、学生たちが私やその他の記者に語った広場で大虐殺が発生したという話については、裏づけに誤りがある。軍が広場に突入した際、その場の抗議者たちと戒厳部隊との間で談判が行われ、彼らが広場を離れることが認められた。抗議者たちが広場を去った後、一部の学生が広場からある程度離れた場所で、装甲車に潰されたのだ。ある確からしい情報によれば、あの晩、数名の市民が天安門広場周囲で銃殺された。しかし、厳密に言えば、これは広場の外で発生したものだ。
天安門広場内で殺人事件が発生したかどうかについて、私たちはやはり明確にすることができない。もし、間違いなく誰かが広場で殺されていたとしても、それはわずか1、2人だろう。
◆ 天安門のタブー
今日に至るまで、結局何人があの晩に命を奪われたのかということを私たちは未だにはっきりさせることができていない。
中国当局は200人ほどの市民が死亡した――流れ弾や暴徒の発砲によって、と述べ、それとは別に数十名の兵士が死亡しているという。実際の数字はそれよりも多いことだろう。「ニューヨーク・タイムズ」のNicholas Kristofは六四天安門事件の後、北京の各大学の病院で、敬服すべき調査活動を行った。彼は1989年6月21日に発表した報道の中で、「信憑性のある数字として、およそ10数名の兵士と警察官が死亡し、400から800人の市民が殺された」と伝えた。現在、外国人記者が用いる標準的な数字は「数百、あるいは数千人に至るかもしれない」人が殺された、というものだ。
中国当局は、素早く私たちの報道に潜む弱点を見つけだした。彼らは、広場内に話の焦点を集中させた。現場を見ていない中国人たちに、西側メディアの真実性を疑う声を広めたのだ。
最初、そこにはいかなる変化も無かった。なぜなら多くの北京市民は、仮にその場にいなかったとしても、貴重な友人や友人の友人がその目で虐殺の現場を見ていたからだ。しかし、かくも長い年月が去り、新世代の中国人たちはこの信じるべき目撃者の記録を拠りどころにすることはない。
中国において、公に六四天安門事件について語ることは一つのタブーになっている。あの経験をした人たちにとっても、だんだんと話したいとは思わない話題になっていった。◆ 中国によるフィクション
急速に発展した中国経済は、ヨーロッパの旧共産国家たちをはるか後方に置き去りにした。このことは、中国政府によって人々にこのような確信を与えることを助けた。「もし六四を鎮圧していなかったら、中国はあんなふうに混乱の中に陥っていただろう」と。六四事件の前、北京のムードは平和なものだった。多くの学生は既に抗議に対して飽き飽きし始めていた。しかし、多くの中国人は政府によって作られたフィクションを信じている。――6月3日に発生した武力暴動に政府は干渉しないことはできなかった。こうした見方をしている人は、決して珍しくはない。
武力暴動は間違いなく発生していた。しかし武力暴動に参加したのは、軍によって野蛮にも市内に突入され残酷にも鎮圧されたことに怒る市民であった。
私は、政治変革の一部として、いつの日か中国当局が六四天安門事件を再評価すると信じる。記者として、私たちはすぐさま自分たちの報道を修正した。しかし、ミスリードを招く見解は依然として存在している。このような言い方の細部は非難の対象となるだろう。しかし、彼らの失敗もまた事件の規模を過小評価していると言われることがある。
天安門では虐殺は発生しなかった。しかし北京では虐殺は行われた。「天安門の抗議」という略称も、これが単なる北京だけでの問題だったと思わせてしまう。これは不正確なものだ。当時は中国のほとんど全ての都市でこのような抗議活動が起きていた。1989年の六四天安門事件は、共産中国の歴史上で最も広く広まった民主化運動だった。同時に、平和的な抗議に対する最も血なまぐさい鎮圧活動でもあった。
天安門事件:メディアは正確に伝えられていたのか? (BBC)
って、ほとんどはしょれなかったよ!あまりに長いのと2日も3日も経過しちゃったので、スレ立ては無しってことで。
ごらんのとおり、内容は嫌中派の方々が非難するいわゆる「天安門広場の中では虐殺は無かったよ」派のもの。派っていうか記者なんだけどね。タイトルに釣られたとはいえ微妙にがっかりしているおいらがいます。とはいえ、そこだけに焦点を合わせて論を重ねるのは、記事にもあるとおり中南海の思惑通りじゃない。人民解放軍の銃口が人民に向けられたことは揺るぎない事実だし、皮肉なことに同じ日にドミノ倒しが始まった東欧の旧共産国家が、記事のような混乱を経つつも民主化を果たしたっていうのもこれまた事実なんだから。
この報道に関することとか、学生たちは持て余したパワーをどうするべきだったのかとか、いろいろ思うことはあるんですが、あまりにカオスな展開になりそうなのでまた今度に。
そういえば、去年観たロウ・イエ監督の『天安門、恋人たち』もあまりにカオスすぎて、「よくわかんないや」という印象だったけど、あれはあれで空気感が出ていたのかもしれないなあと今さらながらに思った。1995年のドキュメンタリー映画『天安門』も観てみたいと思ってるんだけどね。そっちはまだっす。
あと最後にごめん。今さらながら英語版が先に出ていたのを発見しました。うわん。こっちから訳した方が速かったじゃん(実際どうかは分からない)。ていうわけで、英語で読みたい人はこちらからどうぞ。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/asia-pacific/8057762.stm (英語)
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天安門事件の時は私は二十歳だったから、あの時の事は覚えているよ。
天安門事件の時は衝撃を受けたよ、人民の為の軍隊が民衆を銃を向けるなんて…。
あの頃は共産党政府に大なり小なり幻想を抱いていたからね(>_
でも天安門事件はこれからも支那にとっては脛の傷となるだろうね、だんだん経済も悪くなってきているようだし、何時また大規模な民主化を求める抗議行動が起きるか分らないね。
それにしても時の立つのは早いね、東西冷戦の緊張した空気も、前面核戦争の危機からくる虚無感もやうちちゃんの世代は体験していないのだものね。
世界がこのまま平穏であると良いのだけど…。
> 雨彦さん。
そうですね。気がついたときにはソ連も東ドイツもなくなる直前でしたし、最初の「戦争」は湾岸戦争、っていう世代(それこそ、子供頃に流行り始めたファミコンと絡めて、「テレビゲームでしか戦争を知らない」って揶揄される世代)なので...。
時間軸の上でも、地図上の距離においても「遠い出来事」になってしまっているおいらは、そういう空気みたいなものを体感することはできないです。だからこそ、そういうものを捉えるために、想像力という投げ縄をえいやあと投げないといけないと思ってます。近くで感じたことがあるのと遠く離れてわからなくなってるのと、どちらが幸せなのかはわからないんですけどね。
「ザ・ワールド・イズ・マイン」っていうマンガ(せっかいでー♪の歌じゃないほう)があるんですが、その中で「究極の罪は想像力の欠如」っていう台詞があるんですが、なるほどなって思います。