総督府の柱は霜雪にも朽ちず。
【台湾】 「海岸緑化に成功」 日本統治時代、水利事業に尽力した邦人2技師の発想応用[06/14]
http://takeshima.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1245077717/
【日台】 「エコ先駆け"奇跡"のダム」 静岡・袋井市の偉人、鳥居信平~再評価され台湾から胸像[06/28]
http://takeshima.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1246206770/
【日台】 「水を使うたびに感謝」 台湾から寄贈された水利技師・鳥居信平の胸像、除幕式...静岡・袋井市[07/14]
http://takeshima.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1247671753/
もちろん彼らの他にも腕を振るった人たちがいたわけなのですが、15日はそんな中の一人、建築家、というか設計士の森山松之助の生誕140周年にあたりました(新暦で)。はい、この時点で誰だかわかったらけっこうすごいと思います。
台湾での彼の功績を挙げれば、その携わった建築物は総統府(旧台湾総督府/元設計は長野宇平治、後述)、台北賓館(旧台湾総督公邸/部分)、台中市政府庁舎(旧台中州庁舎)などなど。台湾の官公庁を中心に設計を行い、ヨーロッパ風の建築スタイルを持ち込んだ人でした。20世紀初頭に作られた彼の作品は、世紀を超えてなお今日も残っているというわけです。
ということで15日の自由時報から訳。
いつもだったらこれでもギリギリ(微妙にニュースっぽくないんだよね)東亜+にスレ立てしていたかもしれないんですが、珍しく聯合報も興味深い記事を2本載せていたのでさらに困ったことに。3本合わせ技にしても誰も読まないしなあ。でも、自由時報のだけだとニュースとしてインパクト弱いし、かといって聯合報のはどっちもいきなり核心だから「誰それ?」になりそうなんだよなあ。今日15日は、総統府の建物を設計した森山松之助の生誕140周年にあたる。彼は1906年に台湾に来て、その後16年間の台湾滞在期に多くの公共建築物の建設をリードした。主な作品としては台湾総督府(現在の総統府)、台湾総督官邸(現在の台北賓館)の改築、台湾総督府専売局(現在の台北公売局)、台中州庁(現在の台中市政府)、台北州庁(現在の監察院)などだ。森山は当時の公共建築の設計スタイルをリードした建築士であり、その作品は今もなお台湾に影響を与えている。
国史館と公共電視は14日、デジタルアーカイブ・デジタル学習国家型科学技術計画の成果を発表し、専門書と記録フィルムで台湾に優れた貢献のあった外国人、森山松之助、ジェームズ・マックスウェル、磯永吉をシリーズで紹介するという。
国歴館協修の欧素瑛は、「森山松之助は驚くほど効率的だった」と形容する。台湾にいた16年間に指標となる建築物を作り、代表作である総督府には60メートルの塔楼を築き、その地位は当時の台北101ビルに相当するもので、植民地帝国としての日本を示す意義を宣揚していた。国史館は、「森山松之助の設計スタイルは、装飾を重視し、様式化を強調し、ヨーロッパのルネサンス建築の色合いが濃かった。彼は台湾に来て総督府営繕課の課長を任ぜられ、ヨーロッパ式の建築設計と文化を台湾に持ち込んだ。さらに植民地の政府筋のニーズも建築の中に反映させており、これら日本人が作った建築は今も台湾総統府として存在している」と話す。
欧素瑛は、「総統府中央の60メートルの塔楼は、総督府を当時の台北で最も高い建築物とし、日本の台湾殖民統治の権威を象徴していた」と話す。
国史館は、「総統府の建築構造は、台湾が地震帯に位置していることを考慮して作られており、『耐震』が設計の重点に置かれていた。そのため建物本体は南北方向に見ると『日』の字の形になっている。この構造が高い耐震性能を持っていた」と指摘している。台湾総統府の設計士、生誕140周年を迎える (自由時報)
って、考え込んでしまったので、結局3つともこっちへ。
世間を賑わせた日本の台湾総督府の設計コンペは、もともと長野宇平治(訳註:明治期の建築家、森山と同じ辰野金吾門下の先輩にあたり、旧日銀広島支店や北海道銀行本店など銀行の建物の設計が多い)がトップを獲得していた。しかし、実際に建設するにあたっては、当初の設計では台湾の気候や材料の供給、建設のスピードが考慮されていなかったため、大幅な変更を余儀なくされた。このため、森山松之助はコンペに負けたものの実際の設計者となった。
長野の設計では、総督府の中央の塔楼は6階建てしかなかった。しかし、森山は帝国の力を形に表すため高さを増して11階建てにし、当時の台北で最も高い建築物とした。文化・歴史の専門家の李乾朗は、「森山は屋根の細部の設計に長けていた。建築スタイルは華麗にして複雑な繰り返し、日本政府から大きな信頼を得ていた」と話す。森山は続けざまに台中州庁(現在の台中市政府)、鉄道部、台北州庁(現在の監察院)、逓信部(交通部)、水道水源地(水道博物館)など10数個の公共建築に携わり、日本統治時代に最も影響力があった建築士であった。台湾の建築スタイルは、彼によって素朴なものから華麗なものへ一変した。
国史館協修の欧素瑛は、「明治維新で『脱亜入欧』を追求し、重要な公共建築物でも西洋の歴史的な外観で作られるようになり、モダンな現代社会に突入した社会的象徴となった。森山の設計した公共建築物には、ヨーロッパの華麗なスタイルが非常に濃く刻み込まれている」と話す。しかし一方で、森山は単に日本とヨーロッパの建築スタイルを台湾に持ち込んだだけではなく、台湾の建築スタイルを日本に持ち帰っている。李乾朗は「東京の新宿御苑にある赤い瓦の反ったひさし、ミン南の特色溢れる『台湾閣』は森山が日本に帰国した後、裕仁皇太子のご成婚を祝して建てられたものだ」と述べた。
確かにこれだけの建築物を残した設計士であるはずなのに、履歴書と写真しかないというのは意外すぎてびっくり。何か書き物を残すくらいなら図面を引いた、という可能性もありますが(そっちもカッコいいな)、ぜひ日台共同研究で再びスポットライトが当たればいいなあと思います。総統府、台北賓館、監察院、台湾文学館......これら日本統治時代を最もよく代表する建築物は、全て日本の建築士、森山松之助の手によるものだ。しかし、台湾人にとって、森山松之助という人物は依然として謎のままだ。
今日15日は森山松之助の140回目の誕生日にあたる。国史館と公共電視台は「異人的足跡」シリーズを合作で制作し、昨日台湾では初となる森山をテーマにした専門書、記録フィルムを出し、森山の神秘に包まれたベールを脱がそうとした。同時に登場する「異人」は、台湾蓬莱米の父・磯永吉と台南新楼医院を作ったジェームズ・マックスウェルだ。
森山松之助は貴族院議員の森山茂の長男として1869年に大阪の名家に生まれ、東京帝国大学工科大学建築学科を卒業した。38歳の年に台湾に来た森山は台湾総督府のコンペに参加するとともに、総督府営繕課に技師として勤務した。
国史館協修の欧素瑛は、「当時はまさに、日本が明治維新に成功した後、国力がピークに達しようというときだった。台湾は日本最初の海外植民地となり、多くの若者たちが台湾にやってきて、日本の帝国としての威風を発揮していた」と話す。森山が台湾にいた16年間、建築士として黄金期と言える時期を台湾の公共建築のために献じた。彼は10数棟の勇壮な迫力ある建築を残したが、個人としての史料はほとんど残されていない。欧素瑛によると、「現在、国史館のファイルにある森山に関する資料は、彼が総督府に残した履歴書と一枚の写真だけです」という。
森山は1921年に日本に帰国して、東京で森山松之助建築事務所を設立、その後1949年に世を去るまで再び台湾の地を踏むことは無かった。欧素瑛は「戦後、両国は隔たれてしまい、国民政府も日本の植民地時代の歴史を軽視したため、森山も一度は台湾の建築史の中で消されてしまったのではないか」と考えている。文化・歴史の専門家の李乾朗によると、十数年前に森山の孫にあたる森山治が祖父の足跡を尋ねて台湾を訪問し、案内を頼まれたという。日本でもかつてある大学院生が森山をテーマに論文を執筆したが、これはまだ中国語に訳されていない。李乾朗は「台湾の学界は日本と協力して森山松之助の全貌をもう一度明らかにしてはどうか」と建議している。
森山松之助/謎多き人物が台湾の名建築を作った (聯合報)
と同時に、すごくみみっちい心の持ち主のおいらは、こうやって自分がいなくなっても名前や手がけたものが後世まで残る人に対して、限りなく嫉妬に近い尊敬の念を抱かざるをえないのでした。とっほっほ。小さい、人間として小さいよ。あ、サイズじゃなくて器がだよ。
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まりちゃん、こんばんは^ω^/
昔の日本人は本当に凄いね、今のヘタレた私達は見習う所が多いような気がするよ。
石光真人と言う人の「ある明治人の記録」(中公新書)「城下の人」(中公文庫)と言う本あるけど、それら読むと精神的にも感情的にも昔の人の方が強かったように思うよ。良かったら読んでみてね(^_^)
今日は24時間勤務+8時間勤務だったよ…やっとゆっくり寝られる~\(^∀^)/
ホントに疲れた…お休み(-_-)zzz
> 雨彦さん。
こんばんは。本の紹介ありがとうございます。積ん読がやたら多いおいらなので、いつかできれば読んでみたいと思います。
> 精神的にも感情的にも昔の人の方が強かったように思うよ。
というのは大いに納得してしまうおいらなんですが、感心してばかりじゃなくて「いやいや、今の人だってこういうところがありますよ」と言えないといけないよなあと、思うだけ思っています。思ってるだけじゃダメなんですけどね。あはは。