60年目の国慶節を傍目に「その発想はなかったわ」。

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去る10月1日は、中国の国慶節でした。今年は特に建国60周年ということもあって特に気合が入ってたみたいですね。って、慌しくてニュースすらまともに見てないでっす。
この国慶節、日本から見れば海の向こうの国の建国イベントなのですが、台湾からすればこれはちょっとばかし扱いに困るもの。それこそ「海の向こうの国の建国イベント」と割り切ることもできそうだけど、当の北京サイドはあくまで「台湾地区の中華同胞が共に祝った」と扱うし、そもそも中共の成立は中華民国政府が南京から台湾に転じたことに起因するわけで、国民党としても面白いものじゃない。
そんなわけで、当初4人の国策顧問が国慶節に呼ばれていたのですが(1日の自由時報の記事では工総理事長の陳武雄が抜けている)、与野党からの猛反発の末、結局は北京まで行ったものの出席を取りやめています。そこで「個人の問題だから」と言う総統府もかなり苦しいところですめ。

中国では今日、建国60周年の国慶節と閲兵式典が行われる。統一戦争の効果により、広く台湾から100人あまりが招待されているが、その中には弁護士の許文彬、電電公会の許勝雄理事長、功文文教機構の蔡雪泥など3人の総統府国策顧問の名前が載っており、争議を招いている。与野党の立法委員は共に不適当だと非難し、すぐに国策顧問の職を辞するべきだと呼びかけている。
総統府は30日夜、「これは国策顧問の個人的な行動であり、総統府はこれら個人の行動に対して論評しない」とコメントした。

国民党の立法委員、呉育昇は、「もし国家の職位に就いていなければ大陸の国慶節への出席も彼らの自由であるが、国策顧問を兼ねた身で出席することは、非常に不適当な行為だ。特に今年は台湾が水害のために国慶式典を取りやめているのに、大陸は建国60周年で規模を拡大して行っており、彼らが自らの立場をこのように表明することは、人々を混乱させ、中華民国を辱めることになる。ただちに国策顧問を辞任するべきだ」と非難した。
(中略)民進党の立法委員、蔡煌瑯も「これらの者は、中国が統一戦争の手本となる人物として利用されているのであり、中国が台湾に対して主権を有するということを明らかにするために使われているのだ。総統によって国策顧問に任ぜられている彼らが、敵味方をはっきり意識していないことは、はなはだ遺憾だ」と痛烈に批判した。

国策顧問が中国の国慶節に列席へ 立法委員が辞職を促す (自由時報)


この国慶節の催しのうち、華やかな軍事パレードは日本でも報道されていますが、胡錦涛が講話の中で台湾海峡問題について触れたことも忘れてはいけません。お約束だけどね。

我々は、「平和的統一、一国二制度」の方針を確固不動に堅持し、香港・マカオの長期にわたる繁栄と安定を維持する。また、台湾海峡の両岸関係の平和的発展を推進し、祖国の完全なる統一という中華民族の共通した願いを実現するため、努力することを続ける

共和国成立60周年大会が盛大に行われる 胡錦涛が講話を発表 (中華人民共和国政府・強調は引用者)


これに対し、台湾では大陸委員会が当然反発、行政院で頼幸媛主任委員が「受け入れられない」と断言します。まあ、これも含めてお約束。セレモニーにお約束はつきものだ。

行政院大陸委員会の頼幸媛主任委員は、立法院内政委員会での答弁の中で、「彼の述べたことは、我々の政策と異なる」と述べた。頼幸媛は、「台湾は一国二制度を認めることはできず、両岸政治の現状に高度な主権争議があることは事実である。中華民国は主権独立国家であることも事実である。また、台湾の多くの人々と政府は、中国の言う一国二制度は受け入れられない」と強調している。

胡錦涛が完全統一を提言 大陸委員会:受け入れることはできない (自由時報)


一方、呉敦義行政院長は、中国が軍事パレードの規模を拡大させたことについてこんなコメントを。

呉敦義行政院長は、「大陸が建国60周年式典の中でどのような形式で行うかは我々の干渉できるものではなく、またすべきものではなく、彼らを尊重しなければならない。私は、両岸の平和的発展がすでに皆さんの共通認識となっていると固く信じている。我々は大陸の指導者当局がこの点で非常にはっきりとした確固たる方針を持っていると確信している」と述べた。

呉行政院長は、両岸の平和的発展こそが両岸の政局の安定と国民の福祉に対し、最大の意義を持つものであり、アジア太平洋地域の平和と安全、また全世界に対しても大きなプラスの価値を持つと指摘した。

中共建国60周年 呉行政院長:両岸の平和的発展は共通認識 (中国時報/一次ソースは中廣)


そうは言ってもやはりあの軍事パレードは「これが何のために使われるのか」を考えると、気にしないわけにはいきません。そんな状況に対して馬英九総統は、

中共は建国60周年の国慶節の規模を拡大し、閲兵を通じて国力を見せ付けた。馬英九総統は1日、中秋節の軍隊慰労のため宜蘭に向かい、国軍が戦闘準備を抜かりなく行うことを期待し「我々は決して戦いを恐れない。しかし決して戦いを求めてもいない。防衛を固め、効果的に国境を守るのだ」と述べた

馬総統が大閲兵:戦いを恐れず、戦いを求めず (聯合報)


と。ある意味これまでと変わっていません。うーん。この国慶節の軍事パレード、日本同様台湾のメディアも装備などに強く着目しているんですが(そりゃ矛先になりうるわけですから)、個人的にツボだったのは、1日の中国時報がさりげなく「言えない秘密」を入れてきたこと。

多くの自国開発の武器装備、中でも外部の者がことのほか注目する2つの砲撃部隊のロケット弾および長年にわたって準備されてきた「空警2000(KJ-2000)」と「空警200(KJ-200)」の早期警戒機がある。しかし、中共の軍備倉庫の中には、なおも多くの「言えない秘密」があるようだ。今回の閲兵のリストにもまだ含まれておらず、世間の目に触れたことのない2種類の大陸間弾道ミサイル「東風41(DF-41)」と潜水艦発射弾道ミサイル「巨浪-2(JL-2)」だ。

中共建国60年 言えない秘密? (中国時報)


で、逆に個人的にいちばん驚いたのが1日の聯合報の社論。うん、「また」なんだ。済まない。正直なところ、まさか中国の国慶節でそういう視点の話が出てくるとは思っていなかったので驚いた。うーん、そうかあ。って。いろいろと突っ込みどころはあろうかと思うのですが、うんざりするほど長いのでちょっとはしょりながら転載して今夜のところはおやすみなさい。

両岸は1949年の分裂統治から既に60年が経過した。台湾独立論からすれば、1949年は台湾の災難の発端となる。なぜなら中華民国中央政府がこの年に台湾に移ってきたからだ。しかし大きな歴史観から言えば、1949年はより重要な意味を持つ。この年に、台湾は中華人民共和国の一部分ではないことが決まったからだ。

(中略)1949年は台湾においてこれまでずっと一つの社会的タブーなテーマだった。例えば、明らかにそれは大敗走だったが「転進」と言ったりすることだ。こうした類のタブーによって、異なる政治的人物が、それぞれ偏った理念によって1949年を解釈したり操作したりし、一般国民は1949年にについて深く考えたことがなかった。しかし、60年後の今日、だんだんとより多くの志を持った人たちが1949年に立ち返ろうとしている。例えば齊邦媛の『巨流河』であったり龍應台の『大江大海一九四九』だ。また、一部の学者も試みに学術討論を提起し始めている。その趣旨は、「1949年は台湾の苦難だったのか恩典だったのか?」だ。
もし、双方の異なる意見に対して妥協するのであれば、「苦難の伴った恩典だった」あるいは「恩典を伴った苦難だった」などと言っても差し支えない。しかし、もし大きな歴史のマクロな視点で見れば、1949年は台湾が中華人民共和国の一部分ではないことが決まったのである。これは台湾の恩典であるばかりではなく、中国の恩典でもある。1949年がなければ今日華人の世界で唯一総統を直接選挙で選んだり、罪を犯した総統に刑罰を科す自由民主国家たる中華民国はなかったのだ。公平に論じれば、中華民国は1949年に台湾を頼ってようやく生き延びることができ、台湾は中華民国によって「三十年間の災難」(三反五反運動から文化大革命まで)を免れることができ、今日の自由で民主的な地位に達することができたのだ。(中略)当然、台湾ではこの60年の間に苦難(228事件、白色テロ)も経験したが、大きな歴史観から論じれば、1949年は台湾にとって主要な一つの恩典でなければならない。1949年がなければ、今日の台湾はなかったのだ。

今日に至るまで、実は台湾はずっと「1949年は苦難だったのか、恩典だったのか」という相違の中に陥っていた。「災難説」を擁する者は、このように考えている。「『終戦』後に外省人(今では中国豚と言う)が台湾に侵入した。1949年は『外来政権』をもたらし、『中華民国』は『亡命政府』だ。台湾を国共内戦に深く落とし入れ、抜け出せなくした」と。
一方、「恩典説」の論者は、「1949年は台湾を赤禍に陥れなかった。冷戦時代も反共保台で、『中華民国』により中共の政権と軍事・外交対立(823砲戦)を行った。ポスト冷戦時代の中華民国は、ちょうど戒厳解除により完全な民主政治が実現し、中共政権との『平和的発展』の立脚点を勝ち取ることができた」と主張する。

(中略)この文章の見地は、「台湾は1949年によって多くの苦難を受けてきたけれども、多くの恩典もまた得ている」というものだ。そればかりか、1949年は中国に対しても苦難と恩典の化合物である。この60年間、大陸は山河から悲惨な経緯を経て共産主義の教義を持ち出してきた。台湾は自由で民主的な社会を実現させ、北京の新思考の手本となった。両岸はまた、食うか食われるかという状況から「平和的発展」に向かっている。もし1949年が無かったのなら、もしこの60年が無かったのなら、今日という日はありえなかったのだ。

1949年:台湾の苦難か恩典か? (聯合報)

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このページは、◆YAUCHInowAが2009年10月 4日 03:57に書いたブログ記事です。

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