2009年12月アーカイブ

2009年も残り僅かとなりました。ってごめんなさい。このエントリは思いっきり2010年に突入してから書いてます。嫌な大人の必殺技、日付遡りっていうやつでっす。

今年一年、「「逢九必乱」の年がやってきた。」に始まりこのエントリまで、えーと、うーんと、113回もの更新にお付き合いいただいた方、そして1回であってもこのブログに迷い込んでしまった方にも本当にごめんなさい。
年末恒例のっていうか去年の「書き納めも歌に乗せて。」に続いてたかだか2回目なんだけど、今年取り上げられなかった歌でも。あ。先日、「映画『海角七号』を観てきた。」で書いた「ちょっとだけ隠れてたVOCALOID曲10選」は除いています。そっちについては当該エントリで。

★ 精一杯(たまぁ~ずP)


今年一年を振り返った時に大きかったニュースと言えば、やっぱり八八水災は外せません。考えさせられることも多かったしね。そこから連想と連想を重ねてこの曲に行き着いたものの、なんとなく押し付けがましさを感じてずるずると今日に至ります。遠く離れたこの地で安穏と暮らしているおいらが「僕だって精一杯、今を生きているんだ」とはちょっと言えないしね。よしわかった。来年から本気出す。

★ ねこみみスイッチ(daniwellP)


daniwellPが76日もフライングしてアップした12月の曲。オーケーオーケー、ねこみみは量子力学。これをどういう形でブログに貼ろうかと思案していたら12月が終わってしまったという。こういうポップな曲は好きですね。

★ Toy Box(ジミーサムP)


初音ミクの悲しげな声は、少女であるがゆえに失ってしまうものへの哀しみに合っていると思う。逆に巡音ルカの悲しげな声は、大人になってしまったがゆえに失ってしまったものへの哀しみに合っていると思う。ルカが出た時は、その声にあんまりいい印象を持っていなかったんだけど、「ダブルラリアット」とこの曲で完全にやられました。あはは。

★ 機械仕掛けのサンタクロース(デッドボールP)


なんか去年も書いたけど、デッドボールPの歌詞は考えるとすごいよくできてるから。マジで。デPのクリスマスソングとしては、「総督府の柱は霜雪にも朽ちず。」で取り上げた「金の聖夜霜雪に朽ちて」にやや軍配が上がるかなって気もちょっとするけど。この曲とこすもたんの「R-18」を聴いてて改めて思ったんですが、やっぱりどうやらピアノとかストリングスが頑張る曲が好きみたいです。この2曲の間奏みたいなの。って、マイリストのところに書こうとしたら「どうや」で切れてしまっていたので、再主張してみたり。

うーん、今年は割と(無駄に)頻繁に使っていたのもあるし、上に書いたように「10選」なんていうのもやっちゃったから、ちょっと中途半端な感じは否めないですね。特に下半期はあまり聴く機会も多くなかったし。って言い訳ですね。

来年はどんな曲に出会えるんでしょうか。じゃなかった、どんなニュースに出会えるんでしょうか。皆さまどうかよいお年を。
台湾の漫画・雑誌業界に関するニコ生を聴いてふと思い出した記事があったので、いつもと毛色の違った話題ですが取り上げてみるテスト。でもごめん、ニコ生でのテーマとは少し違って、台湾のいわゆる「本屋さん」の話です。
言うまでもないことですが、日本でもいろんな要因が相まって「本屋さん」は減っています。日頃から密林をよく使っているおいらとしても耳の痛い話ですけどね。全国の小売書店で作られている日本書店商業組合連合会の調査によれば、昨年4月1日時点で連合会に所属する組合員(書店の数)は5,502店と、23年連続の減少。ピーク時の昭和61年と比べるとほぼ6割減になっています。また、アルメディアが調査した今世紀に入ってからの書店の数も、平成13年の20,939店から平成21年(10月現在)の15,482店と右肩下がりを続けています。
もともとは書店の後継者不足やいわゆる商店街の凋落に始まり、さらに店舗の大型化やオンライン書店の広まりによって小さな店舗や地方部の書店が打撃を受け、悪循環が続いています。ここにきて密林が始めようとしている新サービスで、さらにこの傾向が加速するんじゃないかなあと個人的には思っているのですが、そんな前振りよりさっさと28日の聯合報の記事でも。

ネットの影響を受け、伝統的な書店が全台湾の各郷鎮から急速にきえてしまっていっている。台湾全土のおよそ300あまりの郷鎮市のうち、少なくとも120あまりの郷鎮では、書店が既に失われてしまっている。

「かつての本の香りは今どこにあるのだろうか?」
20年以上にわたって「世界文明史」などの講義で教壇に立っている弘光科技大学の計文徳教授は、読書や本を買った在りし日の悠久の時間を思い感慨にふけった。「不公平な郷の人々は、しまいには記憶の中にのみ留めおくことができるようになるかもしれない」。書籍社会が都市部のみの現象となることがはっきりしてきており、ある種の「都市と農村の格差」になりつつある。
本誌の記者の取材によれば、屏東県の33の郷鎮のうち27の郷鎮では1軒の書店も見つけることはできない。彰化県、宜蘭県、高雄県などの県でも、半分以上の郷鎮で伝統的な書店に漂う本の香りを嗅ぐことは二度とできなくなってしまっている。計文徳教授は、書店の最もよいところは宝探しのように自由に眼を通すことだと話し、「一冊一冊の本の表紙が未知の領域の始まりだ」と語り、その空気感は「キーボードを打つ」だけでは手に入らないものだと感嘆した。

「本を売るだって?馬鹿言ってんじゃないよ」
嘉義県渓口郷には、10数年前まで5つの書店があったが、今では2つの「文房具店」が「残っている」だけだ。ある店の店内にはもう半分ほど本が無くなっており、小学生や中学生に最も人気があるはずの参考書すら売れていない。「みんなが本を読むことを嫌いになったのではない。ネットに対抗することもできない」と店主の陳さんは語る。農村部における読書人口は都会には及ばず、本も売れず、店の業務内容を変えるしかなかった。
高雄県には27の郷鎮があるが、そのうち15の郷鎮で書店がない。このうち田寮郷には書店が無いばかりか「文房具屋も無い!」という。県議会議員の張文瑞は、これは田寮の悲哀だと語る。
雑貨店を経営する朱さんは、店内には各種の商品が揃っているが「これまでずっと、文房具の販売はやってこなかった。誰も買わないからさ」と話す。記者は田寮国中や新興国小、崇徳国小の周辺の雑貨店を回ってみたが、本当にどこの雑貨店でも学生向けの文房具を売っていなかった。
偏った田舎の書店における一店一店の稼ぎは、文学の盛んな台中県清水鎮や高雄県美濃鎮でもこのような状況だ。

大樹郷図書館の陳世宗館長は、「ネット販売」という概念が栄えた後、伝統的な書店の現象が加速し、さらに日常的な割引により、田舎の伝統的な書店の客層は限りがあることもあって、「食い止める力が無いことも必然的だ」と語っている。

本の香りも今は昔/120の郷鎮では書店が一店も存在せず (聯合報)


高雄県美濃鎮は、これまで300人あまりの博士を輩出し、「博士のふるさと」という誉れを受けてきた。しかし、鎮内には数十年来わずかに2軒の本屋があるのみで、しかもだんだんと文房具店にスタイルを変えつつある。鎮内で「榮文書局」を構える鍾榮清は、「郷鎮の書店の役割は、文房具を売ることが主体だ」と打ち明ける。
榮文書局は美濃鎮で数十年にわたって営業を続け、まだらの壁でできた棚の上には文房具類が幅を利かせている。書籍の類はわずかに3列ほど「棚上げ状態」で並べられており、その多くは字典などで、ベストセラー作家の書籍などは見当たらない。
鍾榮清は33年前に父親が開いた書店を引継いだが、およそ10年前からすでに新書を入れることをやめている。鍾榮清は、25年前が書店の黄金期であり、冬至は三国志や紅楼夢などの中国の古典文学が最も好まれていたと話す。しかし鎮内の青壮年が鎮外に出て行くに連れ、また少子化の流れもあって「今の農村部では、書店に行って新しい本を買おうとする人が本当に少ない」という。
美濃博士人協会の古錦松秘書長は、小中学生は授業で本を読むことが中心になり、授業以外で読む場合には、大半が校内の図書館で借りている。しかも博士の学位を取得するのならば、教科書を理解するかどうかが鍵となり、さらに、それによって毎回の試験で好成績を収めることができるようになる」と話す。

「博士のふるさと」美濃鎮、書店では既に本を売っておらず (聯合報)


屏東県恒春鎮にある「春成書局」は、台湾最南端の書店だ。近年、オンライン書店やコンビニでの販売による挟撃により、経営は苦しくなっている。店主を支えているのは、「恒春古城から書店を絶やしてはならない」という使命感だ。
「あなたたち恒春では、なぜ書店が無くなってしまうのか?」
50歳になる春成書局の店主、呉威徳は、10年前の友人の一言が「火を点けた」と話す。ほどなく「その言葉にぶつかり、コストにこだわらず高級感ある書店を作ることを決心しました」という。

文化大学地理研究所の修士号を持つ呉威徳は、カナダで学び、台北でIT企業を経営した経験を持つ。既に父が他界していたこともあり、事業を捨てて老いた母親とともに帰省し、自らの書店を立ち上げたのだ。
恒春の人々に「時間つぶしの書店」という楽しみを与えるため、20坪近くのスペースに、当時の金石道書店クラスにならって内装を施した。当時、打ち合わせをした本の業者は、これをまったく良しと思わず、彼は頭がおかしいのではないかと訝ったという。
「本はめくられることを心配しない。誰にも読まれないことを恐れる」と呉威徳は笑いながら話す。田舎で書店を開くことは「功徳を施す」ことであり、彼が売ろうとしている本は、全て眼を通すことができる。幸いにも店先は自分の家で、家賃の心配もない。近年、書籍の販売はどんどん低下し、市場メカニズムに対応した結果、面積で8割を占めていた雑誌は7割にまで低下した。「それはもう、私の最低ラインです」という。

呉威徳の母親は82歳、日本統治時代には台南市の私立女子高で学んだ、鎮内でも極少数の高学歴老婦人だ。自分の息子が書店を開くと聞き、さらに100年前の雑貨店の名前から「春成」引用すると聞いて、「息子は本を忘れていなかった。私は諸手を上げて賛成しました。知識は力の源ですから」と話したという。
呉威徳は、恒春古城商圏発展促進会の幹部も担っている。時間があれば店内で最新の雑誌を手に取って最新の情報を入手し、進歩的な歩みを取る。「他人の利益は自分の利益ですから」という。
呉威徳はある時、辞典類の棚で置きっぱなしにされた「ハリー・ポッター」の最新巻を見つけた。彼は、もともとある女学生が誰かにこの本を買われてしまわないように、辞典類の棚に「隠し」、毎日来ては2章ずつ読むのを黙って観察していた。彼は店員に元の場所へと戻さないよう指示し、女学生が読み終わるのを待った。「5日後、彼女が読み終えて元の位置へ戻した時のあんな楽しそうな笑顔を、私は今でも覚えています」

彼は、電子書籍は必ず紙の書籍に取って代わると話す。「政府は書籍の社会を作ろうとするのではなく、知識産業を奨励するやり方を生み出すべきだ。小さな書店がしだいになくなってしまう。なぜ老世代の人は感傷的にならないのか」。

海角唯一/恒春で書店を開く使命感 (聯合報)


むむむむむむ。これは何を言うのも辛いなあ。「立ち読みこそ本屋の妙味」というのは激しく同意できるのですが、上に書いたように密林は便利だし、何より「『COLORFUL DREAMS 3』がやってきた。」みたく簡単に台湾から本が買えたのも、オンライン書店の恩恵だもの。
利用者からすれば、流通におけるショートカットや情報入手のデジタル化は、値引きだったり手軽さだったりをもたらすもの。同時に取捨選択を利用者がしなくちゃいけなくなるわけで、それは利用者がツールを使いこなすことも、確かな判断をすることも求められることを意味します。かたやすっ飛ばされる出版社や書店は、感傷的になるかどうかじゃなくて、いかにして彼らを町に戻すかを考えないと死活問題です。
オンライン書店や電子書籍は確かに便利だし魅力的。本っていう媒体が既に限界を迎えているはよくわかる。流通の進歩に伴いマンガ雑誌が月刊から週刊になったけど、今や週刊どころか一瞬での伝達が求められる世の中。新聞同様に雑誌の存在価値も揺らいでいるしね。
Amazonのアレも「年中無休のコミケがすぐそこにある」というのは言いえて妙だと思う。ただおいらは同時に、そのカオスさが持つ「底の見えなさ」が不安で仕方ありません。手を伸ばした先で、どこまで手探りすればいいのか?手探りできているのか?っていう漠然とした不安です。そして、玉石混交の情報の海を全ての人が泳ぎきれるのか、その海にもたどり着けない人はどうすればいいのか。すごく便利な世の中になるのと同時に、すごく不便になるような気がして心配なんだよね。本っていう媒体と、本屋さんっていう存在のレゾンデートルは、もはや王道ではなくそこらへんに活路を見出さないといけなくなっちゃうのかな。

★ 補記予定。
28日の夜、Twitterで「2009年のVOCALOID曲10選」みたいなものが流行っていたので、流れに完全に乗り遅れる形で翌昼に晒してみた。ご存知のように、このブログではエントリの内容と合っているかどうかも不確かな曲を末尾に貼っていたりするし、その機会がなかった曲については昨年に続いて大晦日にばばっと貼ろうと思っていたので、いわゆる「もっと評価されるべき」な作品を10曲選んでみました。
具体的には、今年ニコニコ動画にアップされたVOCALOID曲で再生数だいたい5万以下というアバウトな縛りだけ。蓋を開けてみれば、なんとなく毛色の似かよった曲が並んでしまったのでちょっと焦った。完全に趣味が出たね。しかも10曲のうち2月に発表されたのが6曲、上半期の曲が9曲という超絶的な偏り方。確かに今年の後半ってあんまり日刊も見なかったし、ランキングもよくわからなくなって敬遠しちゃってたし、仕方ないね。ふーん(AA省略)程度で観てもらえたら幸いです。



AA省略で思い出した。大昔に「ほんこーんのAA。」で、中の人の隣の人の作ったAAを晒しageしていたのですが、なぜか新作がメールで送られてきたので再び晒しage。先日ほんこーんがニコニコ動画にアップした「来年からがんばる」のサムネ絵がベース。ていうか、年末進行で泊り込みだったんじゃないんですか。まったく。
左が残念なAA、右がサムネ絵、下が残念なAAのソース。うん、そろそろ本気で怒られると思うんだ。

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頑張っている人に「頑張れ」なんて言うのは愚の骨頂だけど、「頑張る」って言ってる人に「頑張るな」って言うのも野暮この上ない話なので、なんというかいい年になりますように。と。



さてさて、本題ですよ本題。29日、都内では先週末から公開されている映画『海角七号』を観に行ってきました。かねがね観たいと思っていたので、スクリーンで鑑賞することができたというのが嬉しかったですね。ストーリーとか出演者とかは公式サイトを見てください。映画の評論みたいなのって苦手なので、さらっと感想だけ。
当たり前と言えば当たり前のことなんですが、登場する台湾の人たちの背景が豊かで複雑ではっとさせられたというのが大きなところ。日本人の多くが「日本人」と言われたときにイメージするそれと同じような感じで、「台湾人」という括りを作ってしまいがちだけど、実はそんなこともないわけで。あ、よくある「本省人と外省人」っていうあれじゃないです。中国語と台湾語が入り乱れる会話もそうだけど、客家も出てくれば先住民族も出てくる。都会と地方の話も出てくる。人口で言えば日本の1/5の島の中に多くのエスニックがあり、多くの違いがあるということをおいらはもっと勉強しなくちゃいけないなあと思った。そして、そんな世代も境遇も違う彼らが最後には同じステージに立つというところに、はっとさせられますね。うん。
現代の場面で即席バンドが一つになっていくさまを横の軸とすれば、時を経て届けられる手紙は縦の軸。以前「台湾と日本の間の海に、僕を沈めてくれれば良いのに。」で、その手紙の文面を拝借したんですが、読み上げられるとやはりどきっとしますね。現代の部分だけでもストーリーが出来上がるかも、と一瞬思ってしまったので、そういう意味では縦糸にもうちょっと頑張ってもらえるとなおよかったかな。まあ、あれ以上頑張られると涙腺崩壊なんですけどね。
というのも、観ていてどうしても1年以上前に書いた「もうひとつの「海角七号」。」の話がフラッシュバックして、スクリーンに映し出されるストーリー以上のことをどうしても考えちゃったから。そういう意味では、ちょっと映画の感想からはずれてるかも。あはは。泣いたり笑ったりで相当忙しかったです。
やや蛇足ながら最後に一つ。この縦糸と横糸にはそれぞれ日本の存在が欠かせません。でも、ことさらにそこだけ取り上げるのもどうかなあって思う。やれ日本統治時代の評価がどうだとか、日本人アーティストの描かれ方がどうだとか耳にするけれど、それはあくまで触媒というか、悪く言えば引き立て役みたいなものにすぎなくて、そういう意味では立派な脇役を務めたと思います。うん。
話のテンポや小ネタなど日本の映画のそれとは違う部分が多いので、前半は戸惑ったり退屈な部分があると思うけど、肩肘張らずに観られる映画だと思うので、機会があればぜひ。ってことで。
前々回の「ハジメテノオトのまま。」で紹介した「組曲『初メテノ音』」ですが、作者のsnowさんが動画説明文の中で言及してくださり本気で慌てました。こちらが感謝しなければならないくらいなのに、感激の至りです。本当に本当にありがとうございました。



本来ならばその説明文を見た後すぐに書くのが人の道というもの。ところが、完全にタイミングを逸した挙句、前回の「色褪せてく現実に揺れる絶望には負けたくない。」ではすっかり忘れるという不義理。どうしようもない有様です。この場を借りてごめんなさい。

さらにさらにタイミングを外して申し訳ないのですが、今回の話は2週間前の事柄から。正直、ニュースと呼ぶには賞味期限切れです。でもね、今月入ってからの4つのエントリともニュースのニの字も無いし、遡ると1ヶ月近く中国語を訳していません。はてなブックマークで「ブログ用」っていうタグまで付けておいて腐らせるのも忍びないので、先々週に台湾でちょっとした騒ぎになったお話でも。

ことの発端は馬英九総統がウォール・ストリート・ジャーナル・アジア版に対して答えたインタビュー記事から。まずはその内容を伝えた、14日香港電の中央通訊社の記事。

中華民国の馬英九総統は、ウォール・ストリート・ジャーナル・アジア版のインタビューを受けた際、台湾は中国大陸との交流というソフトパワーに大きく依存しており、その上、経済やその他の領域において大陸とのさらに密接な関係を築くことを試していると語った。

馬英九総統は、台湾が現在抱える最も喫緊の課題として、ASEANと中国との間での自由貿易協定が2010年1月に発効した後、台湾の中国への輸出に影響を及ぼすことだと述べた。その理由として、東南アジア10ヶ国の構成国の一部の品物が中国に入る際、中国は関税を免除しようとしていることがあり、これは台湾にとって石油化学、機械、一部の紡績品への影響が比較的大きいという。
さらに、台湾は米国や日本、韓国など主要な経済国と自由貿易協定を締結したいと考えているが、台湾が類似の協定を締結しようとすることを中国が邪魔しているため望みどおりにはならないと語った。そのため、政治的な影響を受けず、中国資本により埋もれてしまわない良策として、台湾は中国経済の巨大化に対して恩恵を見つけ出そうと狙っているところだという。
台湾の市場開放について馬英九総統は、台湾はとても慎重な方法により中国に対して市場を開放することがたいへん重要であり、現在のところ台湾は既に中国企業の台湾への投資を認めているが、それは約100の産業に限っていると話した。
金融業の開放についても馬英九総統は、相互の銀行業の進出を認めることについて、目下のところ両岸は異なる条件の下でおおよそ合意に達したと語った。今後、両岸が署名する「両岸経済協力枠組協議」(ECFA)では、いくらかの条項を盛り込み、台湾の金融の秩序がそれによって損なわれないように確保するという。

両岸関係について馬英九総統は、両岸の緊張局面は緩和し、台湾への武器提供を継続することがアメリカにおいて非常に高いレベルで決定されており、もし台湾に国家の安全を守る十分な国防力が不足しても、自信をもって交渉のテーブルに向かうことはないと語った。
馬英九総統はさらに、台湾の防衛のために、軍事手段は用いることのできる数ある手段の中の一つではあるが、最も重要な手段ではないと強調した。両岸大三通や大陸観光客の訪台をより便利にするなど台湾は大陸との往来というソフトパワーに大きく依存していると述べた。
また、台湾は今後も両岸の現状を維持し、緊張関係を緩和していくと述べ、同時に経済やその他の分野で大陸とより密接な関係を築く試みを行うと話した。さらに、両岸の開放を通じ、両岸がどちらの制度がより中国文化や中国人に適合しているかを見ることができるようになることを期待した。
馬英九総統はさらに、台湾は貧しい農業国で比較的不自由な社会から、民主的な社会と近代的な経済を持つまでに変化し、これは中国大陸に対して大きな影響力があったと述べ、大陸もより多くの経済的自由を得る努力をしており、政治的な自由にも達しようとしていると語った。
両岸の統一問題について馬英九総統は、「大陸側が期待している両岸統一をするか否かは、今後10年間の展開を正しく見て出てくるもので、現時点でこの問題に答えうる者はいない」と指摘した
馬英九総統は、中華民国総統の身分として、2,300万人の台湾の人々が自分たちの世代や次の世代の者にとっての平和と繁栄を維持したいと願っていると信じていると強調し、台湾海峡両岸の人々に十分な時間と自由を与え、問題を理解するとともにどのようにすべきかを決定すると述べた。

アメリカ議会がアジア太平洋地域の安全を変えないことを承認したことについて馬英九総統は、アメリカのオバマ大統領の地域政策はこれまでの大統領の方針から逸脱していないという考えを示し、オバマ大統領が11月に訪中した際にも北京に対し、台湾の国防のためアメリカ議会は引き続き武器を提供することを伝えており、この点について台湾では疑念が払拭されていると述べた。

馬総統:台湾は大陸との往来というソフトパワーに依存している (中央通訊社/強調は引用者)


この「10年間」というのが今回の騒動のキーワードです。というのも元々「不統、不独、不武」という方針を掲げていわば「現状維持で判断そのものを先送り」していただけに、ここにきて具体的な判断時期を示したというのはやはり大きなことです。台湾でも「最終的にどうなるか」という世論調査は見かけますが、「今から10年後どうなっているか」という問いはちょっと見たことないし(勉強不足だったらごめんなさい)、あったとしてもきっと「相変わらずだね」という見方がほとんどになるはず。そこにきてこの話だから、ちょっとしたインパクトだったことは想像に難くありません。日本だと温室効果ガスの「2020年までに1990年比で25%削減する」という目標と、スパン的にも衝撃度的にも近いかな。いや、問題の大きさとしては国そのものの存否が掛かっているから比べものになりませんね。
また、答え方についても統独という二択ではなく「大陸の望む両岸統一が成されるかどうかは」という、独立(まあ何から独立するかというのはあるけれど)という選択肢を引っこ抜いた形だけにこれも刺激的なもの。これについて15日の自由時報から抜粋で。

今回の発言は馬英九が相当に就任して以来、初めて「両岸統一問題が起きるかどうか?」という問題について触れたもので、今後「10年」の展開を正しく見るという明確な「観察期間」を提起したものだ。馬英九は2005年に国民党主席に就任していた時にも、統一は中国国民党の最終的な目標であると示し、この「最終的に統一」論は当時大きな論争を招いた。今回、総統と国民党の主席を兼ねている中で、新たに統一するか否かの「10年間の観察期間」という話を提示したことは、「最終的に統一」論の変形版かどうかということで既に台湾派の人々の大きな懸念を招いており、馬英九に対してはっきりとした説明を求めるつもりだという。

ウォール・ストリート・ジャーナルアジア版のインタビュー/馬総統:両岸統一をするかどうかは、今後10年を見て (自由時報)


ところが、翌15日は「『十年』ではない。『数十年』だ」と総統府が報道を否定。どういうことかというと、実はこの記事ってもともと英字紙のものだから、馬英九も英語で受け答えしたものなんですね。総統府曰く、「decadesと喋ったのにdecadeとして載っている」と。

アメリカのウォール・ストリート・ジャーナルアジア版が今月14日に発行した馬英九総統のインタビューの記事の中で、総統の談話に誤って食い違いが生じてしまっている。調査したところ、総統はインタビューの中で「大陸側が期待している統一の達成を両岸が果たせるか否かは、今後数十年(decades)の状況の展開を正しく見なければならない。現段階ではこの問題に答えうる者はいない」と語ったところ、当該記事の中では十年(decade)と記述されてしまった。

数十年(decades)は十年(decade)にあらず―ウォール・ストリート・ジャーナルアジア版の総統インタビュー記事を明らかにする (中華民国総統府)


となると英文を見てみないとなんとも言えないですね。まずはもともとの原文をセルフ魚拓してくれた聯合報の記事から英語のみを抜粋して。いやあ、こういう形で残っていると助かるなあ。同じようなことを二度も三度も書いても仕方ないから訳さないけど、意味はだいたい上に書いたとおりです。

"Whether there will be reunification as expected by the mainland side depends very much on what is going to unfold in the next decade. This is a question no one can answer at this stage."

「ウォール・ストリート・ジャーナルアジア版」が報じた馬英九インタビューの原文 (聯合報/強調は引用者)


ところが、実際のWSJ-A紙のサイトを見ると、当該部分はこうなっています。

"Whether there will be reunification as expected by the mainland side depends very much on what is going to unfold in the next decades. This is a question no one can answer at this stage."

台湾のデタントの賭け (THE WALL STREET JOURNAL/強調は引用者)


「10年間」を意味する「decade」が複数形になっているか否かという違いですが、これはとても大きいもの。当該記事を下にぐぐっとスクロールすると、「訂正と補足説明」ということでこんな文章が付け加えられています。こっちは前後部分を訳して貼り。

台湾の馬英九総統は、11月25日に行われたWall Street Journal Asiaとのインタビューで、"Whether there will be reunification as expected by the mainland side depends very much on what is going to unfold in the next decades."と話しました。この記事の旧バージョンでは"decade"と誤って引用していました。

台湾のデタントの賭け (THE WALL STREET JOURNAL)


むー。実際にどう言ったかはWSJ-Aを信じるしかないのですが、肝心なところで言い間違った、ということで落ち着くのでしょう。これら一連の騒動による影響としては恐らく三点ほどあって、「馬英九の考えは結局『統一するかどうか』というもので、『最終的に統一』論から大して変わっていないんじゃないか、という疑念」「仮に両岸関係の立場を変えるのは数十年後として、任期中の両岸政策はどこまで突っ走ろうとしているのか、という不安」「っていうかもう『十年』で広まっちゃったよ、というやっちまった」かと。
このうち3つ目については、15日の中央通訊社北京電でこんな記事も。

馬英九総統が先日受けたウォール・ストリート・ジャーナルアジア版のインタビューで、両岸統一をするかどうかについて「今後『十年』の展開を見る」と答え、今日の時点で総統府を通じて『数十年』と修正されたものの、前者の内容が既に大陸メディアで広く報じられてしまっている。
大陸で最も流行っている検索エンジン「百度」を使って調べると、「馬英九:両岸統一できるか否かは今後十年の展開を見て出てくる」というタイトルと同じニュースが99件ほどになった。これは「新華網」「人民網」「中国新聞網」といった政府系メディアがこのタイトルで報じたばかりではなく、地方の「千龍網」「上海新聞網」「魯中網」「紹興網」「洛陽網」「廣州視窗」なども掲載している。
しかし、総統府が今日正しい内容にした「馬総統:両岸統一するか否かは今後数十年の展開を見る」については、「百度」の検索ではわずか2件しか出てこない。

馬総統が論じた両岸統一の可否、大陸メディアが広く報じる (中央通訊社)


確かにこれで誤った情報が伝播するのは困ったお話。報道を見ていると「馬英九の英語力ってイマイチじゃね」とか「やっぱり国語で答えるべきでは」という声も上がっているそうですが、ぶっちゃけた話、肝心なのはそういうことじゃないと思うんですけど。本質的な危険性は前半の二つ。
民進党は15日、馬英九のこうした発言は、胸中の「最終的には統一」という考えを遂行しようとしているもので、台湾の民意の主流とは異なると批判しています。中でも民進党の立法委員である黄偉哲は、

民進党の立法委員、黄偉哲は、「十年統一論であろうと数十年統一論であろうとも、とても理解できるものではない。台湾の人々は馬英九に台湾の未来を決める権利を与えていない。馬英九の話は片方から台湾海峡の現状を改変するものであって、これが馬英九の失言かうわ言であり本当のことではないことを願う」と述べた。

馬英九は最終的に統一を目指す 緑系、民意に反すると騒ぎ立てる (自由時報)


と非難。ところが残念ながらというかなんというか、定められた範囲を逸脱しない限りにおいて、馬英九は台湾の将来を決めうるのです。というか責任を持って決めないといけないんです。それが総統という職であり、それを有権者が選ぶという間接民主主義なのだから。
ということで、そんな馬英九総統の両岸政策について16日の聯合報から。

馬英九は15日午後、中国国民党主席として国民党中山会報を開き、ウォール・ストリート・ジャーナルの報道について再度説明を行った。その中で、インタビューの時に話したのは「今後数十年(decades)」であり、「今後十年(decade)」ではなく、一つのsの違いが数十年の違いであると強調した。
馬英九は、就任後の両岸政策は「統一せず、独立せず、武力行使せず」と現状維持であり、この立場はこれまで変わっていないと述べた。また、台湾の前途は当然2,300万人の台湾の人々によって決められるものだが、現時点においては両岸は多くの交流、多くの橋渡し、多くの理解をすることにより、両岸の平和と繁栄を促進するべきだと語った。
さらに馬英九は、元旦の談話の中で両岸政策の基本理念を再び説明すると明かした。

総統府がアメリカメディアに反論:馬総統の話したのはdecades、1つのsで数十年の違い (聯合報/強調は引用者)


あくまで「基本理念」ではあるようですが、民国99年の元旦文告はちょっと注目かもしれません。まあもっとも、去年に続いて新しいことは言わなそうな予感がするんですけどね。そういう意味ではWSJ-Aのインタビューで「今から10年後はどうなっているか?」という問いかけがあったら逆に面白かったかもしれない。無論、10年後の台湾の人たちが描く世界には、見つめるその先には、光が射しているのだという答えが伴ってくれるといいのですけれど。

★ 補記予定。

はてなハイクでも触れたんですが、先月の「「自分だけの現実(パーソナル・リアリティ)」と「あきらめたらそこで試合終了ですよ」。」目がけてGoogleなどから迷い込む方々には本当に申し訳ありません。うん、「またそういう話題」なんだ。済まない。

月曜日には「パーソナルリアリティを他人に委ねるような人達に負ける気がしない」というキーワードでやって来た方がいました。前回もちょっと書いたセリフの一部なんですが、すいません、それ微妙に間違っています。というか、それで検索すると「今日もやられやく」の『漫画版『とある科学の超電磁砲』AIMバースト戦の本誌とコミックの違い』よりも上にくるってどういうことよ。あれ?このブログってそういう位置付けだったっけ?などと、そこまで深刻に考えたりはしていないのだけれど。
幻想御手編がクライマックスを迎えた第12話『AIMバースト』が先週後半に放送されていたのですが、実はちょっとドキドキしていました。「またアクセス急増したらどうしよう」という矛盾したドキドキ。でも思ったほどアクセスが無かったので、ちょっと胸をなでおろしてみたり。

なのですがなのですが、アクセスが危惧したほど多くなかった理由の一つとして、そして同時に、観ていて腑に落ちなかった理由として、件の台詞がまるっと変わっていたことがあるんじゃないのかなあと思っています。前に書いたときに「数多の人の心を貫いたんじゃないでしょうか」なんて大げさに書いたこの台詞、

「悪いけど『自分だけの現実(パーソナルリアリティ)』を他人に委ねるような人達には負ける気がしないわ
こんなとこで苦しんでないでとっとと帰んなさい」

冬川基,鎌池和馬,灰村キヨタカ「七月二十四日(6)」『とある科学の超電磁砲』第3巻,2009,pp88-89


これが、アニメではばすっと改められ、「気がついてあげられなくてごめん、でもまた頑張ろうよ」的なものになっていました。そりゃあ台詞が変わっていたら検索で来る人も少ないという罠。それにしても、なんていうか、「しまった、そう来たか」という感じ。

「ごめんね......。気付いてあげられなくて......。頑張りたかったんだよね......。
うん、でもさ。だったら、もう一度頑張ってみよ。
こんな所でくよくよしてないで、自分で自分に嘘つかないで。もう一度!」

冬川基,鎌池和馬,灰村キヨタカ,長井龍雪「AIMバースト」『とある科学の超電磁砲』第12話,2009



確かに第8話『幻想御手<レベルアッパー>』あたりから微妙に原作とずれていたのも、この〆め方のための伏線だったと考えればすんなりいくんだよね。そういう意味では上手くしてやられました。ただやっぱり、角が取れてしまったというか、丸く収めたなあっていう残念な気持ちは払拭できないんですよね。

アニメ版のような後押しの台詞は、痛いほどに優しい。けれども、仮に手を携えながらだとしても、単にもう一度ハードルの前に導く行為というのは残酷なもの。頑張ろうとしたけどハードルの前で足がすくんでしまう者の気持ちを慮れなかったのとさして変わらないんじゃないかな。
「あきらめたらそこで試合終了ですよ」と「あきらめなかったら試合はひっくり返りますよ」は同義じゃないって前回書いたけど、道標なき後押しっていうのは後者のように見えていささか無責任じゃないかなあ。まあ、「現実はそんな甘いもんじゃないよ、頑張ったって叶わない夢は山ほどあるよ」なんていう中学2年生を見たいかっていうとそんなこともないので、あれはあれで落しどころだったのかもしれないね。ネットの感想をぱらぱら見ていても意外に賛否両論だし。

む。賛否両論?ということであれば、やっぱり原作派に寄ってもいいかなあ。「悪いけど『自分だけの現実(パーソナルリアリティ)』を他人に委ねるような人達には負ける気がしないわ」というのは、見方によってはひどく上から目線にも捉えられてしまいそうだけど、それは最大のヒントでありアドバイス。ツンデレだとかそういう安い形容じゃなくてね。その後の「こんなとこで苦しんでないでとっとと帰んなさい」も含め、これも立派な優しさだと思うんだけど。それゆえの原作のあの表情だし、原作のエピローグはそれゆえに成り立っていたのだし。
ちょろっとフォローすると、じゃあその辺がアニメ版に無かったかっていうとそうでもなくて、その思いを込めたのが「もう一度!」であり超電磁砲の一撃だった、っていうことなんだと思う。また、逆に「ごめんね。気付いてあげられなくて」的な要素が原作版では欠けていたかっていうとそんなことはないのは、繰り返しになるけどあの表情しかり、「苦しんでないで」という表現しかり。単行本化したときに描き直したのはGJと言わざるを得ません。要は、どちらに重点を置いたのかっていうことだと思います。

さて。ここで、このブログでもよく引用する『ダービージョッキー』からも少しだけ。

みぃんな言うんだよな。"自分だってこんなに努力してるのに".........ってよ。
学校で習うのかねその言い回しは、ええ?
気づけや、真田。上杉はな、お前とは違う努力をしたんだ。
だから、たった半年のあいだに立ち位置がまったく変わっちまった。
半年前と同じ勝負をしたつもりなのは...お前のほうだけさ。
(略)特別な人間が、これから何をやらかすのか目を見張りやがれっ!!
今見とけば、明日特別になれるチャンスがあるんだよっ!!

武豊,一色登希彦「真田と上杉」『ダービージョッキー』第11巻,2002,pp110-117


「自分だってこんなに努力してるのに」で諦めてしまえば、そこで試合は終了しちゃいます。そこで諦めなかった者の代表として、レベル5という高みというか目標というかに位置する人は、やっぱり本物らしく凛と輝くべきだと思う。だからこそ本当にそうなりたいと思う偽物が試行錯誤と悪戦苦闘を繰り返すのだから。

最後に蛇足だけど再び『ダービージョッキー』から。上の引用で省略した部分には、こんなセリフがあります。

特別なものにはな、敬意を払えや。

武豊,一色登希彦「真田と上杉」『ダービージョッキー』第11巻,2002,p111


あえてもう一回書いておきましょ。おいらはその確固たる気高さに魅せられるのです。と。

★ 追記(12/26 15:45&01/02 16:30)。
はてなのid:denta_221さんが、「アニメ美琴とマンガ美琴:傲慢と優しさ/『とある科学の超電磁砲』12話感想」でソフトにかつ簡潔に書いてますね。読みながらなんとなく近いかなと思ってみたりして(その後の展開と掛けるのはどうかなあと個人的には思うのですが)。おいらはどうも筆が走るのでいくないです。
同じくはてなのid:kkobayashiさんによる「とある科学の超電磁砲 第12話「AIMバースト」」は、アニメ版から割と似たような結論を導いていてこれも興味深いでっす。

★ 補記予定。
ニコニコ動画には数多のVOCALOID曲メドレーがありますが、個人的にいちばんだと思うのは、snowさんの「組曲『初メテノ音』」。



タイトルのつけ方もさりながら、39曲という曲数、オワタで始めてハジメテで終わるところ(「トルコ行進曲 - オワタ\(^o^)/」~「ハジメテノオト」) 、それから選曲とつなぎ方は何回聴いても飽きません。「あー、だからおめーは保守的なんだよ」と言われちゃいそうだけど、公開されてから1年半近くがたっても色褪せない曲だらけです。

この動画、公開して約2週間後には画面上部に曲名と紹介を入れたコメントが書かれます。1行目に曲名と投稿者、2行目に曲紹介っていうスタイル。以来、途中まったく入らない時期も経ながら8回目が投じられたのが先ほど。っていうかごめんなさい。6回目からはおいらが書いてます。
自分のバックアップ用も兼ねてメモ。過去8回で微妙に変化がつけられている曲紹介の変遷も面白いので、無駄に縦に長い紹介文をスクロールして、興味が湧いたらぜひ聴いてみてくだしあ。いずれにしても、素敵な39曲の原曲の作者のみなさんとsnowさん、そして解説文というものを考え出した先人にありったけの感謝を。



ときに、さっき投げたそのコメント、全部終わったあとに見てみたら、各曲の1行目、つまり曲名と投稿者といういちばん重要な情報がぽこーんと抜けてる。あれ?やっちゃった?と思ってコメント欄見てみたら、

yaguyagu091.jpg

なにこれこわい。っていうか、どうしてこうなった!
綺麗に1つ飛ばしでコメントが表示されるという不思議な状態に。あれ?これっておいらの設定の問題?それともバグか何かですか?1行目だけ再投稿しようかとも思ったけど、後で復旧することがあったらよりカッコ悪くなるので自重。うー、なんか思いっきりヘタこいたみたいだ。

ついでなので、歌詞もメモっておこうかな。こっちはいつも記念日のたびにポストする方がいるんだけど、今歌詞がない状態なんだよね。前回投げられていた歌詞にちょっと手を加えて載せています。もっとも、歌詞が表示されなくたって多くの人が知っているような曲のラインナップなんですけど。

そろそろニコニコ界隈の人が、VOCALOIDを使って「Level Upper」なる曲を作ってくれるんじゃないかと密かに期待していたりします。 イメージとしては、なんとかPのエレクトロニカ系かなあ。kiichiさんがあれ観てるとは思えないんですけどね。
一方その頃、先週の『とある科学の超電磁砲』第10話「サイレント・マジョリティ」を観てわーきゃー大騒ぎしたおいらは、佐天さん×ダブルラリアット+ガチという動画に行き当たって、それはそれは再び大騒ぎなのでした。心のどこかをぐりぐりされるのを感じるあたり、「ああ、自分はやっぱり有象無象の一人なんだなあ」って思っちゃいます。



とか書いていたら本文より長くなってしまったので、以降はカット。えーと、何の話をするつもりだったんだっけ。

あ、そうだ。ラマーズP、ラマーズP。アンチと誤解されるのは嫌なので最初に書いておきます。11月18日にラマーズPのベスト盤CD『EXIT TUNES PRESENTS THE COMPLETE BEST OF ラマーズP feat.初音ミク』が出ているので、皆さんちゃんと買うように。騙されたと思ってこのエントリ読み終わるまでに10枚買うように。おいら1枚しか買ってないですけど。

CD買っちゃうくらいですから、ラマーズPは好きな作り手さんの一人です。ちょっと不安なくらい一本気なところがあるけどそこがまたいいし。そして、とても多作な人。とりあえず今時点で初音ミクWikiに(高血圧ガール除いて)37曲も入っているというのでわかるんじゃないかな。
そういう人を見ると、ある程度伸びてる曲は片っ端から入れたくなるのが悪い癖。記憶の限りで数えてみたけど、少なく見積もっても半分以上の項目を立てているなあ。こんなことならログインユーザになっておけばよかったかも。まあ、非ログインユーザなので、信じられないと思う人は話半分に聞いておいてください。

と、ここで脱線。なんでそんなことを覚えていられるのかっていう話なんですが、自分の耳と手と頭を使って打った言葉って、ゼロから紡いだ言葉じゃなかったとしても結構覚えていられるものですよ。これはスレ立てにも言えることだけど、自分でちゃんと記事を読んで選んで、長さと文の意味を考えて改行整形して、タイトルも考えて立てたスレっていうのは、タイトルを見ただけでも自分の立てたスレかどうか大抵わかるものです。それは何千本立てても同じだし、むしろ長くやるほど否応にも自分らしさがスレタイに出るからわかっちゃうもんだと思います。ましてや翻訳したものならなおのことね。
初音ミクWikiの場合はちょっと違くて、作り手さんによってバラバラだったりします。あれの項立ては結局歌詞に左右される部分が大きいので。あ、先に謝らせてください。勝手に転載してごめんなさい。
いちばん作業量が少ないのはblogやPIAPROに歌詞を載せている作り手さん。極端な話、CとVとCtrlキーで話が済みます。っておい。次が動画に歌詞を表示させている作り手さん。スローテンポな曲の場合、再生しながら速記人よろしくテキストを打つことすらあります。これなら、そもそも聞き間違いをすることはないし、後述する使用する漢字の違いも発生しません。後はどこで歌詞を改行させるか、改段落させるか、名詞が連なる場合にスペースを入れるか、繰り返しはどう表記するか、みたいなので項立てする人の個性が出てきます。微妙に悩むのは歌を聞き取って書き起こさないといけない場合ですね。まず言葉の音があっていないとお話にならないし、同音異義語も回避しなきゃならない。その上で、「思い」なのか「想い」なのか、「君」なのか「きみ」なのか「キミ」なのかを想像して創造しなきゃいけない。
その曲が好きであるかどうかっていうのも大きいですけど、そういう余計な手と耳と頭を使用した産物なので、後者であればあるほど覚えていられるんですね。もっとも、「探しものは見つけにくいものでした。」のように、どうしても逆方向に思い出せなかったりすることもあります。

今回のラマーズPのCDに収録された曲で言えば、既発表12曲のうち「でんわにでんわ」「小さな世界に恋をして」「つよがり」「continued」の4曲はほぼ間違いなくそう。歌詞の表記の仕方を見ると「ストロベリー」「ぽっぴっぽー」ももしかしたらそう。っていうか、今気づいたよ。「運のよさ-A」が入ってないじゃないですか。あ、入れたらfeat.初音ミクにならないね。



と、思い入れのある作り手さんのCDに、(超特殊な思い入れの仕方だけど)思い入れのある曲が入っているというのは嬉しいものです。嬉しいものなんですが、歌詞カード見てびっくりした。これ、ほとんど初音ミクWikiから逆転載してないっすか。

いや、もちろん、「1」や「小さな世界に恋をして」のようにラマーズPがPIAPROや配布zipで発表した歌詞があるなら、正式版の歌詞=初音ミクWiki=CDの歌詞カードになるので問題ないです。ところがラマーズPの場合、そういう風なものが逆に少ないから「あれ?」って気がつく。中には繰り返しの部分を全部書いた「有言実行」や、合いの手を省いた「驫麤~とりぷるばか~」「ぽっぴっぽー」なんかもあってそれなりに手が加わっているけど、実は大半がそう。

最初に「あれ?」って気がついたのは、個人的に今回の収録曲の中でいちばん好きな「continued」。しっかり「振り返りながら」と1音足している以外は、初音ミクWikiと同じです。「いやいや、この曲のfullバージョンは動画に字幕が出てるんだから同じになっても不思議じゃないじゃないか」っていう話もあるんですが、動画では分割している歌詞を1行にしてみたり、「両親」を「おや」って読むのをカッコ書きで補ったところまで同じなので、「あれ?」って気がついた。しかもこの曲の場合、ラマーズPがPIAPROに歌詞を載せているのに、それをスルーして初音ミクWikiのバージョンが使われる。えーと。本当ならPIAPROから転載しないで初音ミクWikiに項立てたことを責められてもいいくらいなのに、なんでこんな展開に...。本当によかったんでしょうか。ごめんなさい。



さらに言うと、今回azuma@ボクPが手伝ったという2番の歌詞が加わった「ストロベリー」。なんで1番と2番でサビのストロベリーが片仮名だったり平仮名だったりするのか(それは1番の歌詞を打つときに、平仮名を使っている動画字幕じゃなくて片仮名を使っているタイトルの方を尊重したからなだけで)とか、なんで1番と2番とで改行・スペースがあまりに違うのか、木に枝な感じがまた、なんていうか、こう、ごめんなさい。



そしてもっとごめんなさいなのが「でんわにでんわ」。動画に表示される歌詞をタイプして初音ミクWikiに載せたはずなんですが、動画の1分4秒、「たどりついたの。」の句点がWikiでは抜けてます。で、なぜか今回の歌詞カードでも句点が抜けてます。っていうか、おいらそれ直してなかったんだっけ?本当にごめんなさい。



普通に考えて、ラマーズが詩を書いて曲を作って歌わせた音楽がCDになるのだから、その歌詞カードもまたラマーズPの手から出されるものであるべきだと思うんですよ。どうしてそういう使い方をしなかったのかは定かじゃありませんが、これは本当に申し訳ない思いでいっぱいです。そこで申し訳なく思うっていうのも思い上がりなんだけどね。

せっかくなので、最後に最大のごめんなさいでも。ラマーズPの作品で最も伸びたものと言えば、幸か不幸か「☆ゲッダン☆」と言わざるをえません。これが恐ろしい勢いで伸び始めた当初は、それこそラマーズPも動揺こそすれ余裕がまだあったように見えたのですが、さらに加速する頃には、投稿者のコメント欄も悲痛なものになってきてました。自分の作った曲も聴いてくれ。いや、自分の作った曲を聴いてくれ。それは痛切な願いでした。その気持ちはよくわかるし、なのでその頃しばしばつけられていた「ゲッダンP」っていうタグも見つけ次第消してたしね。
ところが、「ちゃんとラマーズPが作った曲も聴いてるよ」というのを伝えたいと思う一方で、それだけを生温く表現するのもどうかなあ、とどうでもいい葛藤を自分の中で抱えていました。思案に思案を重ねた結果のコメントがこれ。「30万ゲッダンおめwwwwwwざまぁwwwみたかwwwバーカ↑」。
祭りのエネルギーに乗っかるけど、でもそれだけじゃないっていうのを自分なりに出したかったんだけど、気がついたら動画内では後半の「ストロベリー」の部分が消えて「○○万ざまぁwww」で流行ってしまう結果に。前に「函館山の不思議なチャイ語案内。」で、「ラマーズPの「☆ゲッダン☆」が「ざまぁ」弾幕だらけになった原因の4割くらいはおいらにあると思っている」って書いたのは、そういう理由からです。本当に本当にラマーズPにはごめんなさい。



ということで、長々と「☆ゲッダン☆」の話でした。ちゃんと10枚注文しましたか?え、歌詞カードの話だっただろって?細けぇこたぁいいんだよ!
深夜26時を回ったというのにご機嫌でっす。以前、「ちょっくら『たくろく!』と『COLORFUL DREAMS 3』買ってくる。」で書いたVOFANさんの『COLORFUL DREAMS 3』が、ようやく我が家にご到着です。結局さんざん迷った挙句に、中の人の隣の人に手伝ってもらいました。いつも迷惑かけてばかりですね。もうちょっと前向きに生きようと思います。じゃなかった、パスポート取り直そうと思います。

というわけで、『COLORFUL DREAMS 3』です。きたこれー。

yaguyagu090.jpg

って、えええええええええ。なんで二冊も届いているんですか。確かに中の人の隣の人から「おいおい、台湾から昨日と同じ本がまた届いたぞ。これってもしかして儲った??」っていうメールが来たときから薄々感じていたんですが、どう見てもお得意の二重注文です。本当にありがとうございました。
実際にネットで手続きしたのはおいらなので、責めることなんてできないしね。一冊は保存用にしたいと思います。それに定価500元のところが395元に割引になってるしね。って、送料だけで371元もかかってるじゃないですか。しかも2回に分けて送られてきているので、2冊で1,500元以上かかってるじゃないですか。誰がいけないんだろう。おいらですかそうですか。ま、まあ、円高だしね。好きなものが手に入ったんだからそれくらい痛くもも痒くも......、若干痛かったりします。はい。

っていうか、よく考えたら前に二重注文の話をした「ショートカットの眼鏡っ子にはなれないけれど。」の時もノッツさんの話をしていたっけか。って、全然関係ないですね。ごめんなさい。ちなみに、その時触れていた2冊モノのうち、なぜか『別ジュリ』の方はめでたく 押し付ける 贈呈することに成功したんですが、『傷物語』は題名とは裏腹に無傷で本棚に収まっています。

あ。もといもとい、『COLORFUL DREAMS 3』。
ビニールの封を開けて取り出しては歓喜し、レターセットを手にして歓呼してみたりして。真夜中にいい近所迷惑っす。わー、もったいなさすぎて絶対このレターセットで手紙なんか書かないよ。あはは。
それにしても、なんていうのかな、すごく不思議な紙の匂い。全部目を通す前に何回パラパラパラって指で弾いてみたことやら。台湾の空気なんだね。

わー。いちばん好きな『雨天的尾巴』(ちなみに指は直ってた)を筆頭に、どれもこれも改めて素敵すぎる。やばい。VOFANやばい。
『COMIC FAUST』や『FAUST』に出張して載った特別付録2作品も、20Pにわたって惜しげもなく交わされている3人の対談も(太田さんが登場しているっていうのも、さりげにぱないことですね)、「買ってよかった」って思える。むしろ、二冊買ってよかった、みたいな。ごめん、ちょっと無理してテンション上げてみました。
ちゃんと読むのは(特に巻末の対談)明日......週末になっちゃいそうだけど、落ち着いて見たり読んだりしたいと思います。それにしても、なんであの対談は本を90度回転させた向きで書かれているんだろう。そこだけ意表を突かれたというか、解せないというか。
まあ、とにかく日本の皆さんは、『COLORFUL DREAMS 3』を手に入れてVOFANのやばさをもっと知るべきだと思います。

えへへー。いや、本当に上機嫌な夜です♪

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