希望も絶望も逃げ道だと言うのなら。
さて、いろいろ考えているうちに話題の鮮度は下降気味ではあるものの、2回か3回に分けていわゆる在外被爆者訴訟のお話でも取り上げようかと思います。きっかけは、というと7日の朝日新聞電子版に載った(紙面では3日に掲載されてたみたい)台湾人被爆者が集団訴訟に参加するという記事。
長崎で被爆しながら、国外に出ると援護の対象外とされる旧厚生省の違法な通達によって精神的苦痛を受けたとして、台湾人や遺族が国に慰謝料などを求めて5月にも提訴する。これまで5カ国約2,800人が訴えている在外被爆者の集団訴訟に台湾から参加するのは初めてだ。
提訴するのは王文其さん(91)=嘉義市=と陳新賜さん(95)=高雄県=の2人と、施景星さん(2007年死去)の遺族。在外被爆者支援連絡会共同代表の平野伸人さんらによると、3人は長崎医科大(現長崎大医学部)に留学し、その後、王さんは産婦人科医、陳さんは皮膚科の臨床医、施さんは放射線技師として同大付属病院(爆心地から700メートル)に勤務中に被爆した。戦後、台湾に戻った。施さんは90年代に、王さんと陳さんは昨年、それぞれ被爆者健康手帳を取得したという。
集団訴訟で原告代理人を務める足立修一弁護士が4月に台湾に渡り、委任状を受け取るなど提訴の準備を進める。
集団訴訟の原告は韓国人が多い。平野さんは「台湾のように被爆者の数の少ない国や地域を放置してはならない。訴訟をきっかけに世界中の孤立している被爆者に救済の道を開きたい」と話している。(枝松佑樹)在外被爆者集団訴訟 韓国在住の被爆者らが2008年12月に広島、長崎、大阪の各地裁に一斉提訴。その後、ブラジルや米国の被爆者らも加わった。国外に出た被爆者には健康管理手当を支払わないとする旧厚生省通達(74年)を違法とした07年11月の最高裁判決を受け、国側は訴訟で事実認定されれば和解に応じる方針を打ち出した。昨年12月~今年1月に、国が韓国人の原告に対し1人110万円を払うとした和解が成立。残る原告も順次、同様の和解が図られる見通しになっている。
台湾人被爆者ら、国を提訴へ 賠償求め5月にも (朝日新聞)
これについては東亜+にもスレが立っているんですが、なんというか、案の定な流れ。
【国内】 被爆援護の対象外にされて精神的苦痛を受けた...在外被爆者の集団訴訟に台湾人が初参加 [03/07]
http://yutori7.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1267959384/
スレタイにも入っている「精神的苦痛」というのがよくないのか、どうも被爆したことに対する損害賠償だと勘違いしてる人が多いみたい。もちろん、これはそれとは異なり、被爆者が「受けられる」公の補償を「受けられるかどうか」という点について。これって決して度を越した要求でもなんでもないんだけどね。そもそも被爆者に対する補償というのがどういうものなのか、そしてその補償制度が抱えていたの問題点にどんなものがあったのか、という点については次回以降で。
まず今回は、今回の訴訟参加に関する台湾メディアの記事から引っ張ってきて、
第二次世界大戦中、アメリカが長崎に投下した原子爆弾の被害に遭った台湾人2名と、別の台湾人1名の遺族らが、5月にも集団訴訟に参加し日本政府に賠償を求めることとなった。
「朝日新聞」電子版が7日に報じたところによると、嘉義市に住む王文其(91歳)、高雄県に住む陳新賜(95歳)、そして2007年に亡くなった施景星の遺族らが、これまで5ヶ国約2,800人の被害者で結成されている海外被爆者の集団訴訟に参加する予定で、これは台湾人が参加した初のケースになるという。
この3名の台湾人は、第二次世界大戦中に長崎医科大学(現在の長崎大学医学部)に留学しており、その後も大学の附属病院に残って働いていた。彼らは、アメリカが原子爆弾を長崎へ落とした1945年8月9日当時、爆心地から700mの地点で被爆した。王文其は産婦人科の医師、陳新賜は皮膚科の医師、施景星は放射線技師だった。彼らが第二次世界大戦が終結した後、台湾に戻っている。報道によると、集団訴訟の原告代理人弁護士の1人が4月にも訪台し、3人の委任状を受け取った後訴訟を提起する準備を行うという。
日本政府が国内の被爆者に対して医療などの支援を行っているが、日本を離れた海外の被爆者に対しては排除されてきた。韓国在住者をメインとする複数の被爆者が2008年12月に広島、長崎および大阪の各地方裁判所に訴訟を提起した。その後、ブラジルとアメリカの被爆者も訴えを起こしている。
日本政府は昨年12月から今年1月にかけて、韓国の原告と和解し、一人あたり110万円(新台湾ドル換算で約39万元)を賠償した。その他の原告も、日本政府と同様の和解条件で賠償が得られる見込みとなっている。第二次世界大戦の原爆被害を受けた台湾人 日本に賠償要求へ (中央通訊社)
ということで、CNAらしく朝日新聞からの内容をほぼそのまま伝えています。この他を見てみると、翌8日の聯合報と自由時報に記事が見られるのですが、やっぱり「朝日新聞の報道によると」っていう書き方です。となると、情報源は台湾サイドじゃなくて東京の原告代理人筋っていうところかな。
それはさておき、残り2紙の報道から。地の利を生かして本人たちのコメントも載っているので、それぞれオリジナルな部分を抜粋して訳。
(略)陳新賜と王文其の家族は、被爆者団体が積極的に連絡をしてきたことについて、「父もこんなに老いてしまった。訴訟は公正な判断を求めるものにすぎない」と話す。
97歳の陳新賜は長崎で被爆し九死に一生を得た。医師の家に生まれ、父の陳保貴は日本統治時代の美濃鎮で最初の政府派遣の公医だった。陳新賜も長崎医科大学で勉学に励んだ。原爆が投下された時に彼はちょうど診察中で、強烈な光に襲われても反応することができなかった。建物はほぼ全壊し、診察していた病人も亡くなった。彼は近くにあった大きな柱に寄りかかっていたため熱線と放射線を防ぐことができ、幸運にも難を逃れることができた。
陳新賜の息子の陳家玉は、ひとつきくらい前にある日本の記者が交流協会を通じて連絡してきたと話した。より多くの人と団結して一緒に求償したいので、父に加わってほしいと直接求めてきたという。陳家玉は「父は聞くとすぐに同意してくれた」と語った。
王文其(93歳)の子供の王柏東は、かつて日本の長崎郡役所(訳註:原文まま)から父に「被爆者健康手帳」の受領の通知があったと話す。毎月、台湾元にすると約9,000元相当の補償金を受け取ることができるが、その後、医療証明が不足しているとして許可されなかったという。
王柏東は、昨年、日本の被爆者団体が彼らと関係を持つようになり、ある弁護士が被爆者集団訴訟に協力できると語った。「日本の多くの人が手伝ってくれたのだから、我々も協力する」と答えた。(略)原爆で被害 医師2人が日本政府を訴え求償 (聯合報)
(略)97歳になる美濃鎮の医師、陳新賜は長崎に原爆が投下される1年前から長崎の病院で働いていた。当時、ちょうど日本で学んでいた独立派の大老、彭明敏が爆撃の被害に遭い、左腕を切断して一命を取り留めた手術を手伝ったこともあった。陳新賜の次男で現在は中山医学大学の校長を務める陳家玉は7日夜、5月にも父親が集団訴訟に参加することを証言した。(略)
これとは別に九死に一生を得た王文其は、長崎で原爆が炸裂した時の様子を思い出すと今でも胸が騒ぐといい、正直に「とても怖かった!」と語った。当時27歳だった王文其は爆心地から700mの場所で被爆し、爆発時の温度は最高で摂氏1,000度に達した。王文其もそのため一時は重傷を負い、腸や内臓から出血した。しかし、奇跡的に生き延びることができ、そのうえ身体を適切に養生して、92歳という高齢にもかかわらず思考もはっきりしている。日本の厚生労働省は、原爆の被害者を追跡支援するため、既に約24万冊の「被爆者健康手帳」を発行している。王文其の持つ手帳は、初めて台湾に発行されたものだ。しかし、補助を申請したところ返されてしまった。規定に一致しない診断証明は無いということだ。家族によると、当時の主治医は既に世を去っており、その他の医師もむやみに証明書を発行することはできないという。この訴訟により、日本政府が審査基準を緩和させ、形式審査に改め、被害者が当然受けるべき補償を得ることができるようになることを期待している。(略)
台湾籍の原爆被害者、日本に求償する予定 (自由時報)
あ。なんか訴訟への動きのきっかけみたいなところで微妙に嫌な動きが見え隠れするんですが、今回はそこがメインじゃないのでひとまず置いておいて。この「被害者が当然受けるべき補償を得ることができるようになること」というのが厄介な問題なのですが、これについては次回。って、次回本当に書くのかなあ。
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