だって、春に桜は一度しか咲かないだろう。

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気象庁によれば、東京では28日に桜が開花したとか。東京の開花って関東でも館山の次くらいに早い気がするんですけどね。こんな年でも春はやってくるし、花は咲くのです。
そんな中、やらかしてくれたのが石原慎太郎・都知事。29日の記者会見でこんな事を言ったそうで。

東京都の石原慎太郎知事は19日の記者会見で、東日本大震災に関連し、「桜が咲いたからといって、一杯飲んで歓談するような状況じゃない」と述べ、被災者に配慮して今春の花見は自粛すべきだとの考えを示した。
石原知事は「今ごろ、花見じゃない。同胞の痛みを分かち合うことで初めて連帯感が出来てくる」と指摘。さらに「(太平洋)戦争の時はみんな自分を抑え、こらえた。戦には敗れたが、あの時の日本人の連帯感は美しい」とも語った。
都は既に、花見の名所となっている一部の都立公園について、節電などのため入園者に宴会自粛を呼び掛けている。

花見は自粛を=被災者に配慮必要-石原都知事 (時事通信)

電気の使用や警備に割く人員、ゴミの処理といった実務的な面からならともかく、連帯感という言葉を持ち出すのはどうだろう。

実はこれに先立って29日の聯合報にも似たような記事がありました。いずれも「28日に東京で桜が咲いたよ」という記事なのですが、時節柄どうしても震災の話になってしまうのは致し方ありません。

日本の気象庁は28日、東京に桜の季節が到来した事を正式に宣言した。毎年、桜の季節が来ると、日本国民はみな大勢の友達や家族と共に、桜の木の下で弁当を広げたり、杯を交わして桜を愛でる。しかし、今年の桜の季節は、大震災のせいで日本人は特別な異なる気持ちを胸に抱くことになり、満開の桜の下でも、今年は桜を称える人は少なくなりそうだ。
3月11日に発生した東北地方の大地震と津波は、少なくとも1万人以上が命を落とし、2万人近くが行方不明となっている。この天災と福島原発の事故により、今年は桜の観光業も大きな影響を受けると見込まれている。

100年の歴史を持つ水餃子の店を東京で経営する福田は、「寒い季節を経て、桜の花が咲くと、私たちの気持ちもまた変わる。桜が私たちの再起を刺激してほしい。少しずつ少しずつ。粉々になった物事を直す大工事には、再起の第一歩を踏み出すための、奮起させる何かが欲しい」と話す。
築地市場の行商人の博之は、命の短さについて特に感じ入ったという。彼は「それまで普通の生活を過ごしてきた人たちが、突然いなくなってしまう事に気がついた。人間も桜も同じ。命の何と短い事かと、あなたも思わずにいられないでしょう」と話した。

日本人は時に桜を勇士のシンボルとも捉える。日本の武士たちは特に桜の花を愛した。桜の花は命を惜しまず、また花の咲く時期が短く、盛大に咲き誇り、満開の時に散ってしまうからだ。このため、桜は同時に「武士道」精神も体現し、堅忍、勇敢、自己犠牲を象徴する。
今回の震災でも日本人は、彼ら特有の「忍ぶ」精神を見せた。死神と背中合わせになった後でも、日本人は秩序と協力を保ち、お互いに助け合った。被災地の至るところで被災者たちの堅忍の精神が見られた。帰る家が無い一家は、避難所でたき火の周りを囲み、周囲が大雪に包まれても、火の手は彼らの毅然とした顔立ちを赤々と照らした。ある老人がくるぶしの高さまである泥の中で自転車を押していた。自転車の籠には、彼の子供の結婚写真があった。離散した家族を探し当てた者は、その瞬間にお互い抱き合い、救助隊は笑顔で毛布を差し出した。その光景は、満開の桜のように美しかった。

日本で桜が咲いた 耐え忍ぶ姿が震災の犠牲に映える (聯合報/強調は引用者)

日本の気象庁は28日、東京で桜が開花したと発表した。予測では1週間後に満開となるという。しかし、大地震と津波の被害を受けて、日本人は国全体で国の為に命を捧げる時期に入ってしまっている。いかなる贅沢のほか、楽しみに関する物事や行いでさえも、自ら進んで投げ捨てている。自律、自制という「自粛」は震災後の日本におけるキーワードとなってしまった。東京の多くの企業は、毎年恒例で桜の季節に行っている桜を見ながら酒を飲む宴席をそのためにキャンセルしている。

(中略)東京の桜の季節は、日本人が期待する毎年の行事だ。桜の花の特徴は、盛りの時期に散る事であり、桜を見る事には喜びと悲しみの両方が存在する。日本はなおも国の為に命を投げる時期の中にあり、桜の下で花が咲き散るのを見ると、日本人はなおのこと命の短さとはかなさを感じいることだろう。
日本に広がる「自粛」ムードの中、今年の花見は以前のような喧騒に取って代わって静かなものになりそうだ。(中略)福島発電所の原子力事故は電力不足という危機を招いた。「自粛」は実際のところ電力消費の点に向けられたもので、各業種が進んで電灯をオフにしたり、エレベーターや暖房を切る動きが見られ、ひいてはトイレの便座ウォーマーもその対象となった。来月に行われる統一地方選挙もこの「自粛」の空気に包まれ、候補者たちの宣伝カーはあらゆる通りを縦横無尽に走るようなことをやめ、黙々と票を訴えている。(中略)
こうした動きは、日本の政府が法律や懲罰の手段を講じたためではない。全国民が自発的に「自粛」しているのだ。これまで賑やかな繁華街であった東京も、今では夜になれば一面が漆黒の闇だ。東京歌舞伎町にあるカラオケ店の店主は言う。「誰からも営業休止を強制されていない。節約して被災地を助けたいんだ」
関西学院大学社会学部の鈴木兼介・准教授は「テレビで大々的に被災状況が報道され、自粛というのは、東京の人にとって緊急時の団結を示す方法となった。自粛は日本人にとって自分の小さな力を示す最も簡単な方法と思われている」と指摘する。
今回の天災は、日本人の脆さを余すことなくさらけ出すことだろう。咲いた桜の花はもしかすると、再び故郷を再興させようとする日本人にとって、最も必要な力と慰めを与えるかもしれない。

東京は桜の季節に 国全体が「自粛」で楽しまず (聯合報/強調は引用者)

と、ここまではよかったんです。それにしても、桜の花が一斉に散るさまは大勢の犠牲者を連想する? 被災者が今後を見通せない中で桜の木の下で優雅に楽しむのは不謹慎? そうやって共に沈んでいく必要がどこにあるんでしょ。沈まずにすんだ者たちは、彼らを引き上げる力がある。その力を捨て、自らの身も捨てる行為は誰も望んじゃいないし美しくもなんともない。
一報、同じ29日の聯合晩報の社論は同じ「自粛」でも一気に突き抜けた方向に展開します。ちょちょちょちょっと待てえい。

(前略)「自粛」の2文字は、自らの言行を控える事を外部に示すばかりではなく、その背後には「全体」の意義を支えるというものがある。これは日本人の集団における性格の一部分である。活発で勇猛、一所懸命に突き進む個性の台湾人に言わせれば、自らに反省を求めるようなことはしないが、この「自粛」の2文字を用いて社会全体の秩序を追求すれば、もしかすると社会がひどく「混乱している」原因の一つを気付かせることになるかもしれない。
台湾が混乱してからかくも久しい。特に選挙は毎年毎年行われ、毎回の政治的動員は混乱を続けさせ、対立が積み重なっていく。(中略)政治家たちは少しばかり「自粛」できないのだろうか? あるいは少なくとも、事実をありのままに話し、偽りのテーマでマスコミで喧伝することをしないという原点に立ち返るということはできないのだろうか? 
(中略)政治家たちに「自粛」を求めるのは、今日の台湾の有権者たちにとって大いに贅沢な願いなのではないだろうか。長きにわたり、多くの政治屋たちが「力による社会分裂」の状況により、自らの発言権の取引の材料にしてきた。それはECFAしかり、原子力発電所の件もしかりだ。そこにはコンセンサスを目指すための微力などという気持ちは僅かにも存在しない。日本は天災によって政府も民間も自粛に向けて促された。台湾はこれまでずっと人災が天災よりも激しかった。どうか政治屋たちよ、少しは「自粛」してみてはどうだろうか!

政治家たちも「自粛」してみては (聯合晩報/強調は引用者)

いや、さすがにそれは都合良く取って出しすぎですよ!

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このページは、◆YAUCHInowAが2011年3月30日 12:57に書いたブログ記事です。

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