2011年5月アーカイブ

地震の話題が続きますが、今回は日本ではなく中国の方の話です。先週12日は、四川省汶川県で発生した四川大地震(汶川地震)から3周年にあたる日でした。死者の数は7万人(中国民政部)とも8万人以上(ISDR)とも言われていますが、中でも学校の校舎が倒壊したために亡くなった学生生徒の多さが知られています。このため、耐震基準と建築の仕方そのものが疑問視されましたのはまだ記憶に新しいところ。

この時、犠牲になった学生生徒の名簿を作ろうとした人がいました。今年4月、当局によって拘束された芸術家の艾未未です。地震の直後、ブログ上で行っていた名簿作りは、2008年12月からいわゆる「公民調査」として広く呼びかけられ、これを通じて数多くの名簿が作られるとともに、県や省、中央の政府機関に対して地震関連の情報や義捐金の使途などの詳細を公開するよう求めています。
この他にもさまざまな活動を行っている人なので、日本での報道を見ていると、建築家や芸術家というより「中国政府にとって目の上のたんこぶな人」という印象が強いです。

そこにきて、同じように中国のメディアの中では指折りのはねっ返り、広東省の南方都市報がやってくれました。まずは13日の毎日と産経(一次ソースは共同通信)から抜粋で。

9万人近い死者・行方不明者を出した08年の中国・四川大地震から12日で3年を迎えた。中国当局は復興の成果を強調する一方、手抜き工事が指摘された校舎倒壊問題への対応など政府の責任追及につながりかねない問題には神経をとがらせている。
12日付の中国共産党機関紙「人民日報」は復興までの胡錦濤指導部の対応を紹介した新華社の配信記事を1面トップで紹介。「中国の国民が共産党の指導の下でつくり出した奇跡だ」と総括した。しかし、犠牲者の数や被災者が今も直面する問題には触れていない。

一方、独自報道で知られる広東省の日刊紙「南方都市報」は12日、地震の犠牲者について「証拠を集め、名前を呼びかけたことがあった。我々は決して彼らを忘れない」と記した社説を掲載した。校舎倒壊犠牲者の名簿づくりに取り組み、拘束中の現代芸術家、艾未未(アイウェイウェイ)氏を想起させる内容だ。
インターネット上では「手抜き工事がなくなることを祈りたい」といった感想が寄せられたが、社説や書き込みはネット上から削除されている。(略)

中国・四川大地震:発生3年 負の記憶封印 当局、復興の成果は強調 (毎日新聞)

中国広東省の有力紙、南方都市報が、拘束中の著名芸術家、艾未未氏への支持を暗に表明したとみられる記事を掲載、インターネット上で話題になっている。
艾氏拘束は国際的に批判を浴びており、当局は神経をとがらせている。同紙電子版からはすぐに削除されたが、ネットで転載され、同紙の"勇気"をたたえる声も出ている。

記事は12日付。3周年を迎えた四川大地震の犠牲者に哀悼の意を示す論説で「死者に『鉄の十二支』と『磁器の種』をささげよう」と主張。ロンドンで展示中の12匹の動物の銅像や磁器製のヒマワリの種など艾氏の作品を指しているのは明らかで、犠牲者の追悼活動にも取り組んでいた艾氏への支持を強くにおわせた。
記事掲載にネットでは「よくやった」など称賛の声が書き込まれている。(共同)

拘束の芸術家支持表明? 中国紙、ネットで話題に (産経新聞)

この「ロンドンで展示中の12匹の動物の銅像や磁器製のヒマワリの種など艾氏の作品」というのは、今月から欧米で展示が始まっており、CNN日本語版にも記事があります。

中国政府を批判し、「経済犯罪」を理由に同国当局に拘束された著名芸術家、艾未未(アイ・ウェイウェイ)氏の展覧会がニューヨークで4日、始まった。
展覧会は「サークル・オブ・アニマルズ/ゾディアック・ヘッズ」と題され、マンハッタンのピューリツァー噴水に十二支の動物の頭をかたどったブロンズ像が並べられた。各像は高さ約3メートル、重さ約450キロで、大理石の土台の上に立てられている。

拘束中の艾未未氏の展覧会 米ニューヨークで開催 (CNN/強調は引用者)

さてさて。では、その南方都市報の社説とはいったいどういうものだったのでしょうか。上の記事のとおり南方都市報のサイトからは既に削除されているようですが、翌13日の香港紙、明報がまるっと引用し転載する形で掲載しています。この辺はさすが明報。というわけで、さっそく全文を訳。明報版には小見出しがついていますが、そこはカットしました。冒頭の引用符の間が明報の文章で、それ以降が全て転載部分になります。

"編:
昨日は四川地震から3周年を迎えた日だった。内地の『南方都市報』は社評欄に掲載した文章の中に、艾未未を想起させるような内容を含ませた。―――「我々にはこれより多くの事を為すための術がない。固まってしまったあなたたちの生命をまさに祀る象徴として、鉄でできた十二支を並べ、磁器でできた種を祀る他にない」
この「十二支」「磁器の種」は全て艾未未の芸術作品で、昨今相次いで海外で展示されている。
この社評が出された後、ネット版はすぐに削除されてしまった。だが、本紙は今日、特別に全文を掲載する。"

今日は汶川地震から3周年の記念日にあたる。読者の皆さんは、我々の哀悼の意を知っている事だろう。あの大地震は山河を破壊し、8万人あまりの人々の命を奪いまたは行方不明にし、その哀しみは今日まで絶えず続いている。その嘆き悲しみは同胞たちが二度と帰らないからであり、それゆえに5月は悲しみの月となった。悲哀は、自らの無力さを感じる事に起因し、断ち切られた事に抗う事ができなかった別れのせいでもある。また節目の日が到来し、時間の流れに身を委ね彼らの事を回顧しても、そこには多くの問題がある事をはっきり認めなければならない。彼らとは誰か? 彼らはどんな事態に遭遇してしまったのか? 彼らはどこにいるのか? 我々に何をしてほしいと彼らは望んでいるのか?

かぐわしい木の枝、煙はゆらゆら立ち上り、虚空に消える。彼らは決して冷淡な数字上の存在ではない。彼らもかつては様々な名を持ち元気いっぱいに活動していた存在だったのだ。しかし彼らはその生涯を5月の廃墟の中に消し去ってしまった。彼らが楽しげにこの世に生きたのは7年間、あるいはより長かったり、より短かったりする歳月だ(訳註:艾未未が2009年にミュンヘンの美術館で展示した震災犠牲者追悼の意味を込めた作品を暗喩。艾未未はこの時、着色した大量のリュックサックを使い、「她在这个世界上开心地生活过七年(彼女は、この世界で7年間の楽しい生活を過ごした)」という文字を描いている。この言葉は自身で娘を失った母親が艾未未に書いた言葉に由来)。彼らは父母であり、子であり、姉妹であり、兄弟であり、黄色い肌の人間であった。彼らは集落の住人と旅人であり、山を越え川を渡る人たちであり、雲の浮き沈みを見ていた、全て実在の人物であった。彼らはあなたが出会ったことのある人または知らない人であり、大地に住む魂である。
生は偶然であり、死は必然である。3年前の今日、同じ時刻、午後、黄昏、闇夜は朽木のごとく訪れ、時間の流れは塞がれてしまった。血の赤、舞い上がった塵の灰色、目が眩む白、死神の服の袖の黒、彼らはそんな色の溢れる中に倒れ、不幸な作物のように、鋭利な刃物で殺されてしまった。彼らは全てを失い、彼らの老年、中年、青年、あるいは少年時代は、あまりに早く、そして余りに急に幕を下ろしてしまった。彼らは各種様々な破片と化し、鋭い縁を使い、日々の暮らしから涙を呼び起こし、郷里から姿を消した。
彼らは四方から来て八方に去った。彼らは本来ならもっと良い死に方があったはずだ。例えばもっと落ち着いた中で見送られ、さらに雨のように涙を流す事も認められただろう。その事を我々は残念に思う。慌しく、また慌しく、彼らは感傷的な村や街を永遠に離れ、今は岩の上に新緑のある山腹にいる。あるいは、なお彼らは学校に、路上に、地下に、無名の場所にいる。彼らと彼らは、まるで麦と麦がともに成長するように、一緒にいる。夏の日、彼らは最後の黄昏の中、我々の目が届かない場所に行ってしまった。彼らは生きる者にとって唯一の痛みであるとともに、唯一の慰めでもある。
我々は、彼らのために心の中に半旗を掲げ、哀悼日には彼らのために魂を呼び寄せ気遣い、彼らが人として生きた証を集め、彼らの名前を共に読み上げた。我々は、片時も忘れないと、脈々と絶やさないと、そう約束した。我々は多くの事を行ったが出来た事は非常に少ない。道に迷い帰って来られない者たちよ、あなたたちはどこにいるのだろうか? 私達が灯した明かりはあなたたちの歩む道を照らせているだろうか? 我々にはこれより多くの事を為すための術がない。固まってしまったあなたたちの生命をまさに祀る象徴として、鉄でできた十二支を並べ、磁器でできた種を祀る他にない。あなたたちは、我々にこれ以上何をしてほしいと思っているのだろうか?

我々は、もう死が起きてしまった事を知っている。そして、忘失がすぐ傍で待ち構え、彼らの第二の死を待っている事も知っている。もし彼らを思い出さなければ、その忘失はますます強くなっていってしまう。今日の祭祀は彼らを忘れてしまう事を拒絶し、忘れる事によって彼らを再び失うことを拒むためのものだ。この先のメモリアル・デーも、その目的は他でもなく、一回一回その事を証明し彼らに示すことだ。我々はまだ離れ離れになっていない。我々は、例え死や恐怖に直面してもずっと共にある。それは刻まれるべき約束である。人は永久に別れる一方、永遠に共にいるのだから。それは我々にとって、全ての村、全ての街、良識ある国民に対し、受け継いだものなのだ。
塵から生まれたものは再び塵に返るが、そこには逃れられない責任が間違いなくある。それこそは我々の彼らに対する記念であり、学校の学生に対する記念であり、野山の農夫に対する記念であり、黄泥の彫刻たちの見る者に対する記念であり、家庭の死者に対する記念であり、花の墓に対する記念であり、生命の生命に対する記念である。我々はずっと忘れないし、彼らの方角に向けた目を逸らさない。我々の生活の中には彼らがいて、決して自分のためだけの暮らしではない。時の流れが互いを結びつけ、あたかも失ってしまった事すら無かったかのように、我々は再び共に集うことになる。
今日この時は喜ぶ事をやめ、我々の身を時の流れに乗せて彼らの普段の体勢になり、彼らのいる場所と願いを感じ取って、我々の対話と約束に気がつこう。彼らの去った後、どんな夜も安眠する事はできなかった。この3年間、我々は自分たちの原則を深く刻み、警戒心を高めた。五月は悲しみの時期であると同時に覚醒の時期でもある。彼らの望みを通じ、我々と人類との間の距離を測るのだ。大地の神に祈るのと同じように彼らを守ろう。彼らが我々を守ってくれているのと同じように。彼岸の彼らが安らかでありますように。

時の流れに身を置き、彼らを思い出す (明報/強調は引用者)

いやもう、広東や香港の文章は読んでいて疲れます。もっとも、誤訳が多かったり意味不明な文章が多いのは、相性の問題と言うよりも単に私の語学力が原因なんですけどね。実は、全く同じ事をふるまいよしこさんがブログ「§ 中 国 万 華 鏡 §」の「「時の流れに身を横たえ、彼らに思いを馳せる」」に書いています。なんてこったい。なので、このお話に関して詳しく知りたい人は、左のリンク先をクリックした方がいいよ! いやいや、こういう事を本職の後から出しても意味ないってのにね。でも全く自重しないおいら。

閑話休題。記事中の強調部分のうち下の方が、産経や毎日も書いている「艾未未の事を書いたのではないか」とされている箇所です。ただ、読んだ限りでは前半の強調部分も艾未未の事を遠回しに言っているように見えるんですよね。この辺のやり口は、実に南方都市報っぽいなあと思うんですが(というか、そういう風に話題にならないと南方都市報とか南方周末を見ないんですけど)、一方で違った意見もありました。共同通信の古畑康雄さんのTwitterから、とあるポストを転載。

南方都市報の削除された社説は、確かに震災で犠牲になった人たちを追悼するものだが、同時に艾未未氏拘束に抗議する"仕掛け"が織り込まれており、政治的なメッセージでもある。このあたりをどう評価するか。個人的には純粋な哀悼に留めるべきだったと思う。

Furuhata Yasuo 古畑康雄 (Twitter)

む。なるほど。半ばお祭り気分で訳し始めた部分もあるおいらは反省すべし、と思いました。ごめんなさい。確かにそうだ。必ずしも一部が全部に引っ張られちゃうわけではないけれど、この社説も下手をしたら四川大地震の追悼社説というより、艾未未に関する立て読み社説(立て読みじゃないけど)と取られかねない。いや、取られてますけどね。日本の新聞社が先日の地震に関して同じ事をやったらどうなるか、それはきっと大変なバッシングになると思う。そう考えると複雑な気分になります。
けれど、実際にはこの記事はほぼ全面的な肯定をもって中国のネットを駆け巡りました。それはそれで言葉にしにくい気持ちになるけど、被害にあった者もそうでない者も、そして恐らくは亡くなった者にとっても、怒りの矛先は、彼らのために公には半旗を掲げたけれども「心の中に半旗を掲げ」ない政府に対して、っていう事なんだろうなあ。
あの地震からはや2ヶ月が経過しました。
―――と、珍しく情緒的な書き出しを試みたのですが、どうしても想いは散らばってしまい、かえって空っぽな文章になってしまったのでこの辺で。やっぱり慣れない事はするもんじゃありません。早速ですが、この大型連休の間に話題になった台湾の新聞への感謝広告、いわゆる『謝謝台灣作戦』についてでも。

振り返ってみると、3月11日の大地震の後、日本人の想像をはるかに超える義捐金が台湾から寄せられています。その金額は日本円で100億円以上。日本はこういうのに慣れていないんでしょうか。この金額の大きさが取り上げられるたびに「どうして台湾はそんな莫大な金額を贈ってくれる?」という話になりました。まずは震災から1ヶ月ほどがたった4月18日の毎日新聞から抜粋して。

(略)台湾は1895~1945年まで日本が統治した。李登輝元総統のような日本語教育を受けた世代が今も活躍し親類関係も多い。経済的な結びつきも深く、長い。対日貿易総額は中国に次ぐ2位、日本からの輸入額は1位だ。「台湾企業は日本のおかげで大きくなれたという意識が強い」(外交関係者)。義援金は恩返しの意味を含む。また、寄付は実名公表が多く、企業のメンツもあって額が増えた。
昨年の訪日者数は、韓国、中国に次いで多い約127万人。人口の5.5%が日本に行ったことになる。3時間前後で気軽に行ける日本は、身近で治安が良く、漢字が読めて便利なのだ。昨年1月の世論調査では、52%が「最も好きな国」に日本をあげ、2位の米国(8%)、3位の中国(5%)を大きく引き離した。

台湾(中華民国)は72年に日本、79年に米国と外交関係が無くなった。しかし、経済や安全保障の面で日米は特別な存在のままだ。重要性と親近感から海外ニュースは日本や米国関連ばかり。地元テレビ局と同様にNHKも見られる。東日本大震災の当日、台湾人の多くは深夜までNHKの生中継を見ていた。
台湾の世新大学放送管理学部の羅慧※(※は「雨」の下に「文」)助教授は支援拡大の背景を、台湾でも地震が頻発することによる日本への共感のほか▽情報発信力の高い芸能人によるチャリティー番組▽台湾メディアの特徴でもある扇情的な報道--が影響し「日本を助けなければ、と感情的に揺さぶられた」と分析する。民衆の反応を受け、馬英九総統ら政治家たちが熱心に支援したのも効果的だった。
中国の存在感の陰に隠れがちな台湾にとって、人道支援は国際社会で存在感を示す重要な機会でもある。今年2月のニュージーランド地震の際は、日本より先に救助隊を現地に派遣した。

台湾:震災支援、突出の謎...親日派多く企業のメンツも (毎日新聞/強調は引用者)

もちろん、記事で挙げているような要素、とりわけ台湾のメディアによる「日本を救おう」というムード醸成はかなりのウェイトを占めるでしょう。しかし、下地が無ければどれだけ煽ったって動かないというもの。でも、じゃあそれを60余年前の統治時代に求めるかというと、それもナンセンスだなあって思うのは、以前の「何かと「娯楽」に厳しい時期ですけど。」にも書いた通り。
むしろ、台湾の人にとって記憶に新しい1999年の九二一大地震や2009年の八八水災の方じゃないかなあ。馬英九総統は、事あるごとに当時の日本の対応を引いてきています。八八水災の時はおいらも義捐金を送ったんですが、日本が市民レベルでどこまで動いていたかと考えると、かえってしゅんとしまうんだけどね。4月20日、王金平・立法院長をトップとする「東日本震災台湾慰問訪日団」への言葉と、5月5日と6日に衛藤征士郎、小池百合子とそれぞれ会談した時の話から抜粋して。

(略)馬英九総統は、今回の日本の震災で極めて多くの人が死傷した事に触れ、日本側のまとめでは既に13,000人以上が死亡、13,000人以上が行方不明、13,000人以上が避難所で生活しており、これは九二一大地震の11倍、モーラコット台風の40倍にもなると述べた。また、我が国と日本との関係はこれまでずっと友好的であり、交流も密接であったと述べ、九二一地震やモーラコット台風だけではなく、日本はいつも一番最初に我々に援助を提供してくれたと語った。さらに、今回日本で発生した深刻な天災には、我が国としても全力で協力しないわけにはいかないものだと述べた。(略)

総統、「東日本震災台湾慰問訪日団」と接見 (中華民国総統府・強調は引用者)

(略)馬英九総統は、我が国で九二一大地震や八八水災が発生した際に、日本はいずれも真っ先に救いの手を差し伸べてくれたと指摘した。そのうえで、今回日本で発生した震災では、台湾各地から自ら自発的にチャリティ活動が立ちあがったと話した。また、我々の義捐金は、日本の被災後の復興にすれば焼け石に水かもしれないが、我が国の人々の最も真摯な思いやりが込められていると述べた。(略)

総統、日本の衛藤征士郎衆議院副議長と接見 (中華民国総統府・強調は引用者)

(略)馬英九総統はさらに、長栄グループの張栄発総裁が日本の大地震の知らせを聞いて涙を流したという話を例に挙げ、ある種の「苦労の時こそ真の友がわかる」というものの表れなのだと話した。また、我が国ではかつて九二一大地震や八八水災が発生したこともあり、日本で九二一大地震の10倍もの大地震が発生したことを知り、台湾の人々は自分たちの痛みであるかのように感じ、続々と心配を寄せたのだと述べた。さらに、この重大な災害は、台湾と日本との関係をより緊密にするだけではなく、台湾の人々が日本に対して強い関心を持っている事を明らかにしたと言えると述べ、日本政府と日本の人々が共同して復興を遂げ、被災者たちが一日も早く元の生活に戻れる事を願っていると話した。

総統、日本の小池百合子衆議院議員と接見 (中華民国総統府・強調は引用者)

もっとも、そもそも「台湾だから」あるいは「日本だから」という特別な理由を求める事自体がナンセンスなのかもしれません。

男のコは意気地なしやなぁ。「好き」って言うてもらえんと、好きでいる自信がないんや?

武豊,一色登希彦「ふたりで橋を渡る」『ダービージョッキー』第14巻,2003,p115

あ、ちょっと違いますね、そうですね。

まあ、実際のところどうなの? というのはそれこそ当事者たちに聞いてみないとわかりませんし、聞くというものでもないでしょう。人それぞれだしね。そのさわりではありますが、震災後の最初のエントリとなった「悲しみに寄り添う声は、海の彼方からも。」でも触れた、チャリティコンサート『相信希望 Fight & Smile 募款晩會』のWebサイトを見てみると、そのトップページでこう募金を呼び掛けています。

3月11日に日本で発生したマグニチュード9.0という世紀の大地震は、第二次世界大戦以降で最悪の死傷者となりました。しかし、たとえこのような悲惨な大変化に直面しても、日本国民の高い素養と諦めない確固たる信念は世界中の人たちを感動させてやみません。中でも、宮城県の被災者、宮藤さんが我が子を連れて壊れた我が家に帰り、メディアの取材を受けた際に、前向きに「Fight & Smile !」と言った事は、人々が生きる事を決して諦めず前向きでいる事を見せてくれるとともに、これからの日本が辿る長い復興の道のりに勇気と希望をもたらすものでした! こうした被災者たちに台湾からの思いやりと愛を送るために、またより多くの人が一緒に「Fight & Smile !」の精神を発揮させるために、公広集団は台湾の活字媒体、電子媒体を通じ、また芸能界からも協力を得て『相信希望Fight & Smile募款晩會』を開催します。現場でのCall-in募金や芸能人によるチャリティーオークションなどによって、台湾の人々からの寄付を募り、中華民国赤十字本部を経てリアルタイムに日本の被災者の元に送ります。台湾の人々の「信じる気持ち」を日本の人々に届けることによって、日本は傷を受けた中から最速で再起することができるでしょう!

『相信希望Fight & Smile』募款晩會 (華視)

日本もまた、彼らを信じて進んでいかないといけないんだと思います。

さて、台湾を含めた世界中からの支援の動きに対し、日本政府は震災から1ヶ月後の4月11日に全世界の7つの新聞に感謝の意を伝える広告を掲載しています。アジアでは韓国の朝鮮日報、中国の人民日報に掲載され、台湾の新聞には掲載されませんでした。一方で、事実上の大使館に相当する交流協会のWebサイトには台湾向けの感謝状が掲載され、カバーというかフォローというかがなされています。これについては日本のネットでも批判が出ていますが、これはやむなしかなあと思う一方、大災害だからこそ突き抜けられなかったのかという僅かな残念感があります。この辺の顛末やネットの反応については、「KINBRICKS NOW」の「「台湾にお礼しないなんてひどい!」は誤解?!菅首相の感謝状は何が問題だったのか?」を読むとわかりやすいと思います。
むしろおいらが「あれ?」と思うのは、11日の聯合報に掲載された感謝状と、交流協会に掲載されている感謝状(日本語版中国語版/ともにpdf)とで文面が異なっている点です。聯合報は画像のキャプションでは10日に発表した事になっているし、文面も交流協会のものに比べてシンプルなもの。なんだろうね、これは。
ちなみに、Twitterを見ていると、「台湾では11日に謝意を伝える広告が掲載されなかった。聯合報に手紙を取り上げた記事が載ったきりで他紙は手紙の話にも触れていない」というのを散見しますが、そんなことはありません。交流協会による仮訳もある「【御礼】台湾からの各種支援に対する感謝のメッセージをお送りいただいた日本の皆様へ」を参照のこと。
また、上の交流協会のリンク先にもありますが、11日には交流協会の今井代表らが謝意を伝える記者会見も開いています。これについては2chに撒いたやつの転載プラスアルファですが、こんな感じ。

11日は、日本の東北地方で地震が発生してから1ヶ月にあたる日だった。日本の交流協会台北事務所、台湾日本人会、台北市日本工商会は同日、共同で記者会見を行い、台湾に向けて深い感謝の意を表した。日本の駐台代表である今井正は、言葉で喩え難い感動で胸がいっぱいだと述べ、今後も全力を尽くして、台日の親密で深い関係をより強靭なものにしていきたいと語った。
今井代表は、台湾の人が地震発生以来さまざまな方法で救援に加わったり、馬総統も自らチャリティイベントに参加したりしていたことに触れた。台北事務所にも台湾のあちこちから「幼稚園から80代の老人まで」応援や激励の手紙が届き、台湾在住の日本人は深く胸を打たれたという。
今井代表は、地震発生から3日後に、誰が置いたのかはわからないが交流協会台北事務所の出入り口に白い花束があったと話した。カードには「日本の皆さんの安寧を願っています」と書かれており、今井代表は「あの花束は、私の魂を揺さぶったと言っても過言ではない」と語る。それは今井代表のみならず、事務所のスタッフたちにとっても大きな励みになったという。
30分近い記者会見で、今井代表、台湾日本人会の草野理事長、台北市日本工商会の岸本理事長代行の3人は4度にわたって深々とお辞儀をし、終了後は今井代表が会場に居合わせたメディアの一人一人握手をして挨拶し、台湾の支持に感謝を示した。
会場には台湾の各年代の学生たちが描いた応援のカードが並べられ、新北市の深坑国小、新北市淡水区育英国小、ビクトリア二ヶ国語小中学校、屏東高工などの学生が、中国語、英語、日本語を使って幸運を祈るメッセージを書き、日本の頑張りを応援していた!

台湾の優しさ 日本の駐台代表:魂が震えた  (聯合報)

こういうのを見ると、新聞という媒体にこだわるんじゃなくて、現地の在外公館の人間が動いた方がはるかに効果があったんじゃないかと思うわけですが、それはさておき。

上のKINBRICKS NOWでも出ている「台湾に感謝の広告を」という動き、いわゆる『謝謝台湾計画』は、5月になって結実します。3日、自由時報と聯合報に広告が掲載されました。実物の写真はネット上に割と広く流れていますが、本家サイトの「現状報告その5☆ 本日、無事に聯合報と自由時報に掲載されました。」を貼っておきます。
ところが、この直前の30日の自由時報に載った記事がひと騒動招きます。4日のロケットニュースから抜粋で。

(略)しかし、その広告が掲載される数日前に『自由時報』に掲載された記事が物議をかもしている。『自由時報』は「菅総理が改めて台湾に感謝の言葉を出している」(日相再謝台湾)という記事のなかで、後日掲載される予定の「日本国民によるお礼広告のデザイン」を載せているのだ。日本国民がお金を出しあったお礼広告デザインの横に、菅総理がでかでかと掲載されていたのである。(略)

台湾に義援金のお礼広告を出した日本国民 / しかし菅総理が広告を出したかのような記事が掲載される (ロケットニュース24)

まあ、案の定2chではそこそこ燃え上がるのですが、これについてはビリヤードのプロ、北山亜紀子さんのブログで丁寧に説明がなされています。説明と30日の記事に関する訳は下のリンク先を見てほしいのですが、個人的に気になったのはむしろ冒頭のこっち。

(略)こちらの画像だけがネット上で一人歩きを始め、火種となって、誤解を呼び・・・
せっかく寄付を募って民間の「謝謝台湾計画」が出した広告が、菅総理の出したものと台湾で勘違いされかねない!?
。。。。と、

日本でだけ問題になっているみたいです。

台湾で誤解が!と熱くなるのは日本人だけで実際は台湾で誤解する人はほとんど居ないと思います。
何故って・・・
この誤解自体が、まず文字が読めれば起きないレベル。(略)

【菅総理の出した広告!?】と台湾で誤解・・されてません。 (Acco姐ェ...キューを担いだ渡り鳥)

いやもう、本当にその通りで。これは常々思っているんですが、ぱっと食いつくんじゃなくて、内容をまず理解してほしいですね。台湾の新聞記事を読んで内容を全部把握しろなんて言いませんし、おいらもできません。でも、きょうび大抵のメディアが記事のWeb版を出しているご時世に(30日の自由時報の記事もWeb版はあります)、ちょろっとぐぐってWeb翻訳かけるだけでもだいぶ違うと思うんだけどね。

さて、閑話休題。というかここからが本題。9日の自由時報に、今回の『謝謝台湾計画』の発起人である木坂麻衣子さんのインタビュー記事があったので、こちらを訳。実は木坂さんの名前は『謝謝台湾計画』とともに、それまでにも台湾のメディアに取り上げられていましたが(4月21日自由時報、4月22日中国時報、4月27日聯合報、4月30日自由時報、5月4日聯合報など。つか、掲載されなかった中国時報でもこの話を取り上げているのね)、ご本人がこれまでの経緯などを語ったのは恐らくこれだけ(22日中国時報にもインタビューがありますが広告掲載前なので、と逃げておきます)なんじゃないでしょうか。そういうのもあって、長いエントリの最後に恐縮ですが当該記事を全訳。

「日本の有志一同」が5月3日の自由時報に掲載した「謝謝台湾」の半面広告は、「遅れてしまったけれども、善良なる台湾人に対する日本人の感謝の気持ちをどうしても表したかった」というものだった。日本で大地震の後、民間の「謝謝台湾計画」を立ち上げた木坂麻衣子が、広告掲載後に本紙の単独インタビューでそのように語った。

台湾は、日本の震災に対する義捐金が世界中で最も多かった国であったが、日本の三一一大地震から1ヶ月が経過した4月11日、日本政府が菅直人首相の名義で世界7ヶ国の主要メディアに掲載した感謝の広告は、台湾のメディアには掲載されなかった。この事が、麻衣子が自身によるブログで一口千円の「謝謝台湾計画」を立ち上げる動機となった。

37歳、広告デザインの仕事に就く麻衣子は、これまで台湾を訪れた事がなかった。そのため、台湾に対する認識も非常に限られたものだった。彼女は自らの行動について、日本人が台湾の善意と真心にたいへん感激している事を全ての台湾の人に知ってもらいたかっただけだと語る。
計画を立ち上げた当初、麻衣子は台湾の新聞に掲載する広告費が集まれば御の字だと思っていた。しかし思いがけずネット上では予想以上の反応があり、4月19日から26日までの1週間の募集期間に、なんと6,015件、1,900万円あまりの寄付金が集まり、銀行の預金通帳は25冊に達した。
麻衣子は、「謝謝台湾計画」へ送金してくれた人の中には、被災地の者が数多くいると話す。その中の、ある宮城県の被災者は彼女に対し「私は家族も家もみんな失ってしまいましたが、台湾の人が私たちにくれた温もりは、永遠に忘れる事ができないでしょう」と綴ってきたという。

寄付金の募集から広告のデザイン、その他細々とした点まで、全てはネット上で大勢の議論の末に決められたものだ。麻衣子自身は広告デザイナーだが、広告内容の最終的な決定は、「極めてシンプルな文章で日本人のありったけの謝意を表現し、同時に最も多くの台湾の人に日本の謝意を知ってもらえるもの」でなされた。このため、半面広告の中身は、わずか2行の文章となり、下半分には人の目を最も引き付ける事ができる黄色を背景色に配した。わずか2行の文章で謝意を表した意図は、誰か一人が広告を見ている時に、横の人もまたそれを見る事ができるようにというものだ。
当初、台湾と日本の国旗を使おうと提案した者もいたが、最終的には梅の花と桜の花に決まった。これは、両国の人たちが共に知っているものであり、最も政治的な意味を排除したものでもあるからだ。

台湾の九二一地震の際に、日本の人々が台湾に対して行った救援の義挙は、台湾人にとって忘れられないものとなった。今回の台湾人の日本に対する善意は、ある種それに応えたものであった。多くの日本の若者が台湾と日本との間に国交が無い事すら知らないほどなのに、台湾の人々が日本の地震に対して160億円以上もの義捐金を出してくれた義挙に、日本人はたいへん感動したと麻衣子は語る。彼女は、「疑う余地もなく、台湾と日本の民間の友情は高まりを見せている」と話す。
「謝謝台湾計画」が終わった後、これまで台湾を訪れた事のなかった麻衣子が12日から14日まで台湾を訪問する事が決まった。最大の目的は、台湾に来て人々の温かみを現地で体感するとともに、自ら台湾の友人に感謝の気持ちを伝える事だ。また別の目的として、芒果冰(マンゴーかき氷)を食べる事があるという。何度も台湾に行った事のある友人が彼女に、芒果冰を食べなければ台湾に行かなかったに等しいと言ったという。台湾初訪問の麻衣子は「もう、待ちきれません」と話した。

東京前線:謝謝台湾計画 日本のネットユーザたちが恩に感ずる (自由時報・強調は引用者)

ちなみに、台湾を訪れた木坂さん、12日には中国時報と聯合報の本社を訪れています。聯合報の記事には写真が載っていますが、心なしか緊張した面持ちですね。

「今回こそは4月の頭に」と思っていたのですが、気がついたら5月に突入しているとかどういう事なんだろう。はいそうです。年度の上半期と下半期の終わりにiPodの中身を若干あけっぴろげにするアレです。前回の「とべないわたしはなくことしかできなくて。」からの半年間は、あまりiPodを使わなかったし、新しい曲を入れた記憶もほとんどありません。ほぼ同じ結果になっちゃいそうだけど、まあひとまずやってみましょう。



まずは、iPodに入っている曲のうち、VOCALOID曲のTOP5から。2008年10月からの累計再生回数と、前回(2010年9月末)からの増分、順位変動っていう感じになります。

 1.園庭想空の女少(cosMo@暴走P)   1,966 [+104] (→)
 2.初めての恋が終わる時(ryo)       311   [+0] (→)
 3.アイシンクアンシン(若干P)        296   [+25] (↑)
 4.いつか僕がいた場所へ(お抹茶P)    287   [+0] (↓)
 5.The 9th(ジミーサムP)           247   [-] (↑)

うーん。翻訳作業の定番とはいえ、こすもたんの独壇場すぎてまったく新鮮味がない。ちなみに、増分でもたぶん1位。とは言え、過去に比べると期間中の再生数もずいぶん落ちてますね。それは単に音楽を聴く時間が減ったという事もそうだし、記事を漁って読む時間が減ったという事の証左でもあるんでしょう。そっちはちょっとどうにかしないと。いや、音楽を聴くっていう方もどうにかしたいんですけどね。

最後に、JOYSOUNDの全国採点の過去半年の数字を引っ張ってみましょう。おいら自身の「歌ってみた」です。毎月の得点上位3曲しか残してないだけので、必ずしもこういう曲ばっかり歌ってるわけじゃありませんよ。(※歌手名のうち「feat.初音ミク」等は省略)
 月/順位 
1位
2位
3位
10月
VOiCE
ラヴリーP
1925
冨田悠斗(とみー/T-POCKET)  
初めての恋が終わる時
supercell
11月
君の知らない物語
supercell
ラビットフォーゲッツ
KNOTS
初めての恋が終わる時
supercell
12月
VOiCE
ラヴリーP
1925
冨田悠斗(とみー/T-POCKET)  
ラビットフォーゲッツ
KNOTS
1月
君の知らない物語
supercell
1925
冨田悠斗(とみー/T-POCKET)  
staple stable
戦場ヶ原ひたぎ(斎藤千和)  
2月
YELLOW YELLOW HAPPY  
ポケット ビスケッツ
1/6 -out of the gravity-
ぼーかりおどP(noa)
玉砕バニー
くらP
3月
オオカミガール
くらP
さよならメモリーズ
supercell
君の知らない物語
supercell


傾向が全く以前と変わっていないという。←
そして、毎度謎なことに「VOiCE」と「1925」はどう歌っても高得点になる不思議。ここに出てこない月はそもそも歌っていないだけなので、両曲とも歌った場合はここに出てきています。そして1月の右端の曲が持つ圧倒的な違和感。歌っておいてなんだけど、なぜ歌った! どうしてこうなった!

このアーカイブについて

このページには、2011年5月に書かれたブログ記事が新しい順に公開されています。

前のアーカイブは2011年4月です。

次のアーカイブは2011年6月です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。

動画とか。

 

・備忘録。
http://www.angusj.com/resourcehacker/rh_japanese.zip
O→F→object TitleEdit: TEdit→MaxLength


Powered by Movable Type 4.25