2011年8月アーカイブ
と、27日に行われた共同記者会見の内容を細やかに伝えています。また、情勢についても29日には民主党は29日に党の代表選挙を行う。5人の候補者は27日、共同で記者会見を行い、各々の政見を詳しく述べた。前原元外相は明確に反核の立場を示し、新しい原発建設の停止を主張するとともに、40年以内に核エネルギーの使用停止を訴えた。これに対し最大のライバルと目される海江田経産相は、まだストレステストを行っていない古い原発の停止を進めることを認めるにとどまり、明確な原子力政策を示すことを避けた。
(略)日本記者クラブが主催した記者会見の席上、5人の候補者は震災復興と福島原発災害への対応を最優先課題として共通して掲げた。また、消費税の税率アップへの反対と日米安保の強化を支持する点でも一致していた。
アジアの安全保障の問題に関し、野田財務相は具体の名こそ挙げなかったものの中国を批判した。野田氏は「とある隣国」が時折民族主義を煽動し、経済成長と民族主義を政権の求心力の道具としていると指摘、来年行われるその国での上層部の入れ替えのときには、より強い民族主義の煽動がありうるので、日本は先んじなければならないと述べた。また、鹿野農水相も、中国は3隻の空母を積極的に建造しており、日米が同盟関係を強め中国の台頭に対応すべきだと語っている。
(略)新内閣の形について、前原氏が大連立を明示したのに対し、馬淵国交相は大連立に反対を示し、他の3人は慎重な態度を取った。過去に大連立を主張したこともある野田氏はトーンダウンし、「与野党の信頼関係を構築すべし」にとどめた。民主党の代表選候補者ら、中国の脅威を懸念 (自由時報)
と、決選投票になるとすれば海江田と前原になるだろうと予想しています。さて、実際はどうなるんでしょう。それにしても対中国という視点が出てくるのはさすが自由時報と言ったところでしょうか。民主党の党代表は29日に決まる。5人の候補者のうち有力と見られているのは、党の最大派閥の領袖である小沢一郎が支持する海江田万里経産相と、党内の「反小沢」の急先鋒とされている前原誠司元外相だ。菅直人首相が正式に辞任を表明する前から、民主党の大物たちが続々と名乗りを上げ、過去最多の人数が立候補した党代表選となった。小沢一郎が海江田支持を表明した後、海江田の勢いが大幅に高まっている。
(略)民主党は国会の第一党で、新しい党代表は菅直人の後任の新しい首相に選ばれる。もし海江田が新首相となれば、最も歓迎するのは小沢と中国だろう。小沢は直ちに復権し政治の表舞台に返り咲けるだろうし、親中の海江田が首相になれば、中国は引き続き日本の政局をコントロールし続けられるだろうからだ。
(略)しかし、日本の新しい首相が海江田、前原あるいは野田になろうとも、来年9月の党代表の任期満了時に再び選挙をすることは避けられない。もしかすると首相はその時にまた交代することになりかねず、日本の政局が安定期を迎えるにはさらなる時間が必要かもしれない。東京前線:5人の激戦 日本の政権党の代表選は事実上2人の対決 (自由時報/強調は引用者)
一方、今回の代表選に批判的な目線があるのも国内と似ています。27日と28日の聯合報からそれぞれ抜粋して訳。
日本でまた首相が交代した。日本の政局はいつものようにまた混沌に覆われている。
(略)5年間にわたる小泉政権の後、後継の安倍晋三から鳩山由紀夫まで、日本では4人続けてわずか1年の任期の首相が続いた。現在の菅直人もまた1年3ヶ月でしかない。しかも、それ以前を見てみても、海部、宮沢、細川、羽田、村山、橋本、小渕、森と15年間で13人の首相が交代し、日本の国民の政治に対する信頼は失われてしまった。
なぜ日本は「リーダー欠乏症」に罹ってしまったのか? 第二次世界大戦に生まれた日本の政治家たちは押し並べて理念が不足している。これこそが最大の問題だろう。戦後最も称賛された日本の首相は、日本の国際舞台への復帰を助けた吉田茂と、「所得倍増論」を打ち出し日本を富裕層に押し上げた池田勇人だろう。この二人は第二次世界大戦に生まれ、将来を見通す眼を持った政治家だった。
田中角栄に対してはマイナスの評価も多いけれども、彼の政権での「日本列島改造論」は、日本が近代化した大国へ向かう基礎を固めたものであるし、新世代の政治家たちからは、こうした過去の政治家たちの姿は見て取ることができない。
一年に一人の首相という現在の日本では、非凡なリーダーの魅力を持つ人物はもう見つけだせなくなっている。日本の「リーダー欠乏症」はいつ治る? (聯合報/強調は引用者)
まあ、戦後生まれの首相って安倍・鳩山・菅しかいないんですけどね。なので「戦後生まれはダメ」というよくわからない一括りはさておき。どうにも「新しい首相に期待」という空気が無いことは、こうした記事からも読み取れてしまいます。誰がなっても支持を得るのは並大抵ではなさそうですね。(略)政治評論家は、最終的には海江田と前原による決選投票になり、民主党内の小沢派(非主流派)と反小沢派(主流派)の戦いになるだろうと予想している。このため、27日午後に日本記者クラブで行われた政策討論会でも、震災後の復興や日本の将来といった政策論争は全て社交辞令となり、骨組みの中では実際のところ民主党内の権力争いを呈している。新しい党代表は、日本のおけるこの5年間で6人目の首相となるだろう。
東京の専業主婦、青木理恵は、「本当に尋常じゃないわ。何をするにしてもはっきりしない今の首相は誰が選んだの! 与野党の議員は休まず言い争って、もううんざり。小学生のやり取りの方が、彼らよりもずっと面白いわ」と話す。彼女は、政治家たちが一致団結して311地震、津波、原発で被害を被った東北地方に大きな関心を向けることを望んでいる。青木の考えは、多くの日本人の声を反映している。
中国時報も27日の「国際瞭望」で政争優先の動きを指摘する記事を書いています。以下全文を訳。
さて、いったい誰が勝ち名乗りを上げるのやら。民主党の新しい党代表を決める選挙は、菅直人の残りの任期を補うもので、来年9月の正式な党代表選挙までとなっている。参戦したのは7人いるものの(訳註:原文まま)、有力なのは前原誠司、野田佳彦、海江田万里の3人に絞られる。
野田佳彦の動きは最も早く、そのスローガンは野党の自民党や公明党と大連立政権を打ち立てるというものだ。当時の民主党内からは支持されたが、実際には冗談と見られていた。なぜなら野党は連携できないことを知っており、これが現実にならなければ彼の形勢を危うくすることになったからだ。
前原も、世論の支持ではリードしているものの、今回は国会議員による投票となっており、当選できるかどうかは党内各派の支持の度合いによらざるをえない。各派の実力と照らし合わせてみると、小沢一郎の130人が最多であることは間違いない。もし協力関係にある鳩山由紀夫が加われば、その勢力は200人近くになるだろう。しかし、小沢は党員資格を停止されており投票には参加できず、一方で自派閥から慌てて擁立する必要はないとも言っている。このため、誰が小沢・鳩山派の支持を取り付けるかが当選の鍵となっている。
自派閥が50人しかいない前原は、この状況をもちろん理解している。しかし、25日に小沢と会談し支持を取り付けようとしたが、結局は不発に終わった。菅直人が就任した後、反小沢派であった前原、岡田克也、枝野幸男、仙谷由人を「脱小沢」の主力としており、前原が勝つためには、必然的に自派の枝野や仙谷らを登用せねばならず、どうして小沢を許すことができようか。したがって、小沢が条件とした幹事長は自身の推薦する者で、前述の数人を使ってはならないというものだった。しかし前原は、返答した後に「小沢の傀儡」と呼ばれることを懸念した。
もし、前原が小沢の支持を得られなかったら、小沢派は鳩山派の推す海江田を支持するだろう。前原はここに脅威を受けている。なぜなら彼と野田がその他の派閥の票を奪い合っても、票が分散してしまい、小沢・鳩山派の団結には及ばないからだ。
この2日間は、各派の合従連衡が最も慌ただしい時期だ。どんな状況の変化が起きる可能性もある。結局のところ、政治というものは自身の利益を考えてしまうもので、友情や道義といったものは全て二の次になってしまう。国際瞭望―民主党に合従連衡の動きが (中国時報/強調は引用者)
今回の「ミクパ」は国内15ヶ所の映画館でライブビューイング(要は同時中継の映像をスクリーン映すという)が行われたのですが、実は香港と台湾でも同様に開催されました。このうち台湾では威秀影城(VIESHOW Cinemas)がライブビューイングを開催したのですが、当初台北1ヶ所で予定していたものの蓋を開けてみればチケット即完売となり、3ヶ所が追加されたという経緯があります。
初音ミクみく 「初音ミク ライブパーティー2011 札幌公演」が香港、台湾で同時中継
http://vocaloid.blog120.fc2.com/blog-entry-9294.html
【海外】札幌で行われる「初音ミク ライブパーティー」、台湾での中継イベントはチケット300枚が10分で完売
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/moeplus/1313202584/
そんな台湾でのライブビューイングで一騒動があったので、まずは18日の巴哈姆特から抜粋して訳。
この事件、17日に台北で行われていたライブビューイングでホールに置いてあった、大人の身長よりちょっと大きい高さの立て看板が堂々と持ち去られたことが発端です。まずは、台湾の有名掲示板の一つ、K島のVOCALOID板から当該スレの書き込みを抜粋して訳。スレのタイトルからして「初音ミクの消失」とは、向こうのミク廃さんはよくわかってらっしゃる。なお、名前は勝手な名無しさんにしています。昨日(17日)、威秀影城が行った初音ミクのコンサートの中継イベントの最中、イベントの看板が許可を経ずに持ち去られるのをあるネットユーザが目撃した。これについての議論がネット上で激しさを増したことから、威秀影城は公式に、また特別にこの事件に関する声明を発表した。その中で、今回の事件についての追及は行わないが、今後はさらなる自重をし、関連製品をよりいたわるよう呼びかけている。以下は威秀影城が発表した声明文の原文。
威秀影城、「初音ミクコンサート看板消失事件」でコメントを発表 (巴哈姆特/強調は引用者)
このID:PA8GrsWQ氏の一連の書き込みと3枚の写真でK島は"炎上"。鬼女板顔負けの特定作業で、過去のイベントの写真やら何やらが出るわ出るわ。なにこれすごい。1 名前:名無しさんの暴走@台湾 [11/08/17(三)21:57 ID:PA8GrsWQ]
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今日のコンサートは本当に良かった!
日本の人たちと威秀影城が台湾のミクを重視してくれたことに、本当に感謝しているよ。
でも、台北の会場では最後にやっぱり不幸な出来事が起きてしまったんだ......。
威秀がみんなで記念に写真を撮れるように、気を配って1階のホールにミクの大看板を置いていたのだけど、
人が多くなって道まで出てしまったので、外の広場に移したんだ。
最初はみんな楽しく取り囲んで写真を取っていたんだけど、(横で警備の人も見ていたし)
その後、警備の人が離れてしまった後......
突然、誰かが勝手にミクを持ち上げた......!?2 名前:名無しさんの暴走@台湾 [11/08/17(三)22:00 ID:PA8GrsWQ]
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初めは、彼らは冗談でやっているんだと思っていた。
でも、まさか周りの人たちが騒いではやし立てるとは思っていなくて、
ついに......
彼らの集団は、たくさんの人が見ている中でミクを運んで移動し始めて......
そのまま威秀と新光三越との間の道路を横切って、どんどん歩いて行って......地平線の彼方に消えていった。
彼らの集団が堂々とミクを持ったまま去って行ったのを多くの人が目撃した。
自分は、その横で遠くから見て、茫然としていたんだ......。
傍にいた友達が反応して、この一幕を写真に収めている。3 名前:名無しさんの暴走@台湾 [11/08/17(三)22:02 ID:PA8GrsWQ]
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ミクを連れ去ったあの集団の人たちが、どんな気持ちであんなことをしたのか自分には理解できない。
ひょっとしたら、一時のおふざけに加えたくさんの人で気が大きくなっただけなのかもしれない。
けど、これはどう見ても窃盗行為なんじゃないか?
今回のミクパだって、やっとのことで台湾での同時中継が実現したんだ。
威秀の好意によって、みんなが求めていた会場の追加も対応があったんだし。
なのに、お前たちは一時の遊び心で公の物であるミクの看板を勝手に持ち去ったんだぜ!?
スタッフが、後で気がついた時にどう思うかなんて、お前たちは考えたのか?
この先、台湾で次回のミクパの中継を喜んで続けたいと思えるか?
いつかはミクパが台湾に来て、公演を生で観られるんじゃないかと思っていたけど、
今回の一件を見てしまって、そんな日は遥か遠くに行ってしまったんだな、ってマジで思ったんだ......。
ミクを拉致ったお前たちは、自分が本当にミクを好きなのか、
あるいはミクを傷つけているのか、よく考えてみろよ?VOCALOID系列 (Komica/強調は引用者)
確かにPA8GrsWQ氏も書いているように、今回の一件を単なる
この騒動、翌日になって意外な展開を迎えます。もう一回K島から。
それはいったいどういうことなの?139 名前:名無しさんの暴走@台湾 [11/08/18(四)10:52 ID:SNSggXPI]
台北信義威秀影城に電話して確認した。
先方が言うには、看板は見つかったらしい。
向こうは「ちょっと『動かされた』」とだけ言ってる。VOCALOID系列 (Komica)
ということで、先ほどの巴哈姆特の記事の続き。威秀影城のコメントの部分を抜粋して訳。
ミクさんかっけー!初音ミクのコンサートの看板が、ファンによって持ち去られた「疑いのある」件について。威秀影城としては、あの看板は、決していかなる者にも自由に与えられるものではありませんし、決していかなる一個人にも販売されるものではありません。これは、関連するポスターや立て看板など全てに関する決まりです。
幸いなことに、昨日の台北信義威秀で閉店前に消失した初音ミクの看板は、明け方の3時から4時ころには信義威秀に「自・力・で・歩・い・て」帰ってきていました。威秀影城としては、この件に関する追及は行いませんが、ファンの皆さまには自重するようお願いするとともに、今回の騒ぎはこれにて終了となることを望んでいます。また、ネットユーザの皆さんには今後も初音ミクを引き続き応援してしていただき、関連商品をいたわり、皆で一緒に大切にしていただくよう併せてお願い申し上げます。威秀影城、「初音ミクコンサート看板消失事件」でコメントを発表 (巴哈姆特/強調は引用者)
早い話が、「盗難された物は返ってきたし、あまり事を荒立てるつもりはないです。でもまあ、今後は自重しながら引き続きよろしく」というわけなのですが、「自・分・で・歩・い・て・き・た」(原文だと「自・己・走・路」)という表現に、台湾のネットユーザが大ウケです。そりゃそうか。ただでさえ、画面の向こうのバーチャルな存在が「コンサートをやった」というだけで事件、それに併せて「連れ去られたけど自力で帰ってきた」んですから。
そんなネットの反応について、まずはpttから。例によって名前は勝手に名無しさんにしています。
とまあ、こちらは概ね好評......いや、好評って言って良いのかな? こんな感じです。巴哈姆特の記事についているコメントも似たような感じですね。一方でK島は、この「帰ってきた」以降も犯人を厳しく非難する書き込みが続いています。八方美人なことを言っちゃえば、たぶん掲示板って両方の側面が必要だと思うので、この温度差はありかな。1 名前:BPM774@台湾
マジかよ、自分で帰ってこられるのか4 名前:BPM774@台湾
事件も巴哈姆特の表題もオタすぐる5 名前:BPM774@台湾
鬼月(訳註:旧暦の7月のこと。霊が現世に戻ってくる時期)なら珍しくないwww8 名前:BPM774@台湾
七月ワロスwww11 名前:BPM774@台湾
七月半(訳註:日本で言う「お盆」に相当。農暦の7月15日のことで今年は8月14日にあたる)なら仕方ない12 名前:BPM774@台湾
いや、七月半は終わっただろ。戻ってきたのはびっくりするだろうが25 名前:BPM774@台湾
ミクはだんだん人間のアイドルみたいな感じになってきたとは思っていたが、まさか自分で歩けるようになるとは......32 名前:BPM774@台湾
自分で歩けるのなら、台北市の観光に出てみたりしたのかも36 名前:BPM774@台湾
俺は騙されないぞ。これはきっと集団催眠なんだ!!!(えっ47 名前:BPM774@台湾
やっぱり台湾に来たら小籠包を食べないとな48 名前:BPM774@台湾
初音:小籠包食べたけど美味しかったよ66 名前:BPM774@台湾
次はきっと、空を飛ぶんだろうなあ73 名前:BPM774@台湾
初音:台湾の三星葱(訳註:宜蘭県特産のブランド葱)を試してみたかったんだけど......77 名前:BPM774@台湾
誰か急いで日本にも転載して、台湾の状況を見せてやろうぜ。初音が自分で歩いたってwww102 名前:BPM774@台湾
これは本になるな114 名前:BPM774@台湾
ケンタッキーのカーネル・サンダースだって川にダイブするんだから、初音が自分で歩いて帰ってきたって何も珍しくないだろ?117 名前:BPM774@台湾
それより、威秀影城はどうやって明け方の3時4時に帰ってきたのを知ったんだ!!!?(ptt)
個人的には、K島に貼ってあったこのちびミクさん(吹き出しの台詞は、「真夜中の3時4時なんて、バスも捷運も動いているわけないし......"自・分・で・歩・い・て"帰ってくるしかないじゃない」)が可愛かったのでおk。←
最後くらい真面目に書くとですね、こういう行為はやっぱりダメなんだけど、それを徹底的に吊るしあげるというのもなんだかなと思う。そういう意味では、今回の威秀影城によるフォローは奇跡的に成功したと言っていいでしょう。誰かを責めるでなく、誰かを野放しにするでなく、誰もがこれからを信じられるように。
それにしても日本の皆さん、これは困ったことになっちゃいましたよ。何しろ台湾では「初音ミクは小籠包を食べに抜け出して、自分で歩いて帰ってきた」っていう設定が定着しちゃうかもしれないんだから。「自・己・走・路」っていうのは覚えておいた方がいいかもしれません。この設定、いつ日本に逆輸入されるかなあ。
うわっ。懲りないな。
もうそろそろ2年近く経っているので、さすがに前回の「【200回記念】折角なので筆ペンで初音ミクを描いてみた。」や、その前の「【100回&6,000HIT記念】折角なので「ぶちぬけ!2008!」を歌ってみた。」
というか、決してニコ生ができない環境ではないと思うんですよね。アカウントは元々あるし、ヘッドセットも探せば確かある。NDCあたりを入れればそう手間もかからずにできるんじゃないかな。と、こう書いておいて実際にやるかと言うとどうだろう。
前にも書いたけど、おいらとかの年代って迂闊に自分に関わる部分を晒さない人が多いと思うんです。元よりバレているならいざ知らず、個人の情報をあれこれ出すのはどうも憚られます。それが例え声程度であってもね。声だって、それで性別や年齢くらいはわかっちゃうでしょう? こういうのは、お互い言わぬが花というもんです。
まあ、そんな事を言っていると、逆にいつかやりそうな気がしますけど。←
さて、タイトルのとおり、そしてURLの末尾のとおり、今回が見かけ上の300回目の更新になるんですが、実は現在公開されているエントリの数では279個目です。非公開にしている2回分を入れても281にしかなりません。前回の「200回目」以降を見ても、No.255とNo.258が欠番になっています。何でか、というと......何でだろうね。たぶん、いくつかのエントリを同時並行で書いていて、順番が入れかわっちゃって混乱した......とか?
よく見ると、「100回目」から「200回目」まで1年とかからなかったのに、「200回目」から「300回目」までは2年近く費やしています。これだけだと、「なんだよペースはむしろ落ち着いているじゃないか」と思われるでしょうが、逆です逆。なんだかんだ言って一つを書くために時間は以前よりかかっています。クオリティに変化は無いですよ。ブログを書くために使える時間が減っているんです。恥ずかしいことに。一方で小ネタというものは常時流れ来ては去るものですから、「あ、これ面白そう」「お、これ気になる」とつまみ食いしていると、どんどん勝手に溜まっていく。なんという悪循環。必然的に、手元で賞味期限を逸したお話は「ごみ箱」に消えてゆくのでした。
最近だとそうですね、台湾の駐フィジー代表だった秦日新の話がそれにあたるかも。日本語ソースとしては先々週の14日に産経新聞で報じられていますが、元は6月28日に立法院で民進党の高志鵬・立法委員が暴露したものが発端です。この時も、当然「駐フィジー代表の秦日新、日本の女性外交官と不倫の恋」(28日聯合報)などと報じられているので、下世話なおいらのは「あー」と思ったのですが、結局エントリを書いているうちに話題から遠ざかってしまったので没に。同じ時期に書いていた「「俺の眠りを妨げる奴は許さん」「殺人者の気持ちなんてわかりたくねえよ」。」も、6月21日の記事を7月3日にアップしていたりしてますしね。2回目のチャンスはそれから約1ヶ月後。秦日新が駐フィジー代表を辞して争いは法廷の場に移った時です。でも、ひとたび消えた火は急にはつきません。気がついたら今に至る、です。
本当はすごく書きたかったんですよ、このニュース。決して不倫だからどうこうというわけじゃなくてですね。最初に問題になった6月の末頃、台湾では相手の三等書記官の名前まで報じられているのに、この件は日本で報じられませんでした。これでまず「あれ?」と思う。別に外交官がプライベートでどういう恋愛をしていようが構いませんが、日本と台湾の、しかも外交官同志となれば「いや、プライベートだしね」で済むはずがありません。
それでも日本で話題にならないということは、あれれれ、ガセネタなのかな......とネットで検索していたところ、とあるブログでこの話題を取り上げているのを発見。と言っても、「台湾でこういう騒ぎが起きている」という程度でしてた。何の気なしにスクロールしていくと、「外交官に現地妻がいてもまあ仕方ないよね」的な話が書いてあって、「はぁ、まあそういう意見もあるよね」と流していると、「日本でも三木武夫元首相には、かつて妾が5人いました」というような一文があって、思わず、
それは、三木は三木でも三木武吉や。
とディスプレイの前でツッコミ。三木武夫がそんな人物だったら日本の戦後史はかなり変わっていたはずだよ。
え。それを言いたかっただけだろって? 実はそうです。はい。なるべく更新回数を落とさないようにして、こういう下らない不完全燃焼も無くしていきたいと思っていますが、何しろおいらのこの性格なのでまったく保証はできません。次の100回もまた、生温かい目で見守ってくだされば幸いでっす。
呂・前副総統のメインの予定は8月1日に東京で行われた「No Nukes Asia Forum 2011」への参加ですが、呂秀蓮・前副総統も携わっている「玉山周報」に、フォーラムの数日前に訪れた女川町のことなどについて寄せていたのでそちらを訳。
日本の東北部の岩手、宮城、福島の3県は、今年3月11日に突然の地震、津波そして原発事故と複合した災難に遭った。遥か彼方の台湾ではそれ以来、日本の災難に対し、ある種の「他人の痛みを自分のことのように感じる」共鳴共感が生まれた。5ヶ月あまりの間に集まった義捐金は日本円で180億円に達し、世界一の規模となっている。
7月30日、私は台湾環境保護連盟とともに、東京から仙台を経由して女川町に入った。被災地を視察し、帰りは太平洋沿いの道路を通って、見渡す限りの廃墟や荒れ果てた街並みを目の当たりにした。特に、石巻港を通った際のことだが、車外に目をやると、視界の及ぶ限り左右両側に一並びの建物があるものの、壁だけが残されて中身は全て洗い流されていた。海岸から山の麓まで車で30分以上の一帯が、一面のゴーストタウンだった。3月11日14時45分頃、大津波が千軍万馬の勢いで瞬時に陸地を襲い、山に達した後、引き波が全てをさらっていったという恐怖が想像できた。最近では、空き家を除き、ひどく歪んで山のように積み上げられた車ですら、多くの住民が一瞬で波にのみ込まれた悲惨な痕跡を見る事ができない。
古の者は、「天地は仁ならず、万物をもって芻狗となす」という言葉で、天変地異の茫漠たるさまと憎しみを形容している。聖書もノアの方舟の故事で、混沌とした、混乱し必死に生きるようになった世界を啓示している。これらの体験は、自ら現場に赴き悲惨な状況を目の当たりにした人でなければ、心の奥底からの共鳴と震撼として湧き上がってこないだろう。
しかし、衝撃と痛ましさでいっぱいになった我々の気持ちは、5時間かけて東京に戻ったとたんに違うものとなった。林立する高層ビルと絶え間なく行き交う人の流れを目にし、特にお台場の新都心や銀座の目抜き通りで楽しむ人々を見た瞬間、我々は「一つの日本に、二つの世界」という別種の衝撃を感じた。平穏無事で幸運な日本と、災難に遭い悲惨な日本、という。3月11日から1週間あまり、日本の菅直人首相と原因を作った東京電力の社長は表舞台に出てこなかった。これは台湾の我々にすると不思議に思うところだ。車が女川町に着いた時のことを思い出すと、視界の全てが被災の現場だった。建物が倒れ、壁が壊れ、全てがそのままになっており、まったく対処されていなかった。あの日は、3月11日から既に4ヶ月と22日が経過していた。はたして最も効率的と呼ばれた日本政府はどこにいってしまったのか? さらに思いがけなかったのは、被災者たちは収容施設や仮設住宅に入れられているものの、彼らに仕事がなく、収入もなかったことだ。行政も手続きが不完全で世界各国からの義捐金が滞っていた。
被災地では、被災者たちが台湾からの義捐金を完全に受け取れていなかった。一方東京では、我々と会った日本人たちは第一声で台湾の思いやりに感謝する言葉を述べた。雑誌『FRaU』(訳註:8月号)は表紙に「感謝臺灣」と銘打ち、その内容はどれも台湾の素晴らしさを称えるものだった。しかし、台湾の各界の者が送った義捐金は、東京の人たちの感謝と引き換えにするためのものではなく、被災者たちの急場の足しとして迅速かつ有効に支給されることを願っている。このような隔たりは誰が責任を負うべきなのだろうか? 官僚システムか? 硬直した法令か? それとも無関心な政治家たちか? 国際赤十字もまた大きな非難を受けているという。
ある企業出身の野党参議院議員は、気まずそうにこう答えてくれた。「かつての自民党による一党独大、長期政権に国民は飽き飽きし、民主党に票を投じた。しかし民主党には与党経験がなく、選挙時にばらまいた約束手形はその通りにはならずに、人々はもう『いい加減にしてくれ』と思っている」。しかし、日本人はなぜ批判しないのか、なぜ抵抗しないのか? 「日本人は今までずっと政府を信頼してきたし、政府に抵抗するということがわからずにいる。彼らはこれまでいつも運命と諦め、従順だった」日本に長い台僑の多くがこのように解説している。考えてみると、台湾の民主自由というものは、台湾の人々が血と涙を流して国民党に抵抗して勝ち取ったものだ。しかし日本では、第二次世界大戦で降伏した後に、アメリカがただで日本に民主を移植している。代価を支払っていない民主は、日本国民を本当に「一家の主とする」ことができないのではないか?
日本の被災地に行き、日本の政治に戸惑う (玉山周報/強調は引用者)
東京と被災地との間にある落差というのは、確かに指摘されるとその通り。受け取るべき人たちに義捐金がなかなか届かずにいる。一方、そうではない人たちから感謝の言葉を返される。これは面食らうよなあ。というか、「面食らうよなあ」などと他人事のように書くおいらこそ、呂秀蓮に怒られてしまうんだと思う。後半を読むとまさにそんな感じがします。美麗島事件などで国民党政権と戦った呂秀蓮らしい言葉。
なお、今回の訪日で呂秀蓮はとある方と会っているのですが、それについては次回ということで。今回も簡易更新でごめんなさい。
2009年8月に台湾南部を襲った台風による豪雨が、約700人の命を奪ったいわゆる「88水害」(中心的被害が8月8日に起きたため)から8日でまる二年となり、行政院の呉敦義・院長が記者会見を開いて再建事業の進捗情況などを説明した。
呉・行政院長は、「恒久住宅が2964戸建ち、1万人以上が恩恵を受けている」と話して、政府の担当部門、ならびに協力したあらゆる団体、個人に感謝した。また、各地の橋梁、道路の復旧や堤防の整備なども着々と進んでいるという。産業面でもランの花がすべて回復、2010年の生産高は前年比で32%増、ハタの養殖でも2010年の生産高は前年比で71%増えたと説明した。
呉・行政院長は、「再建事業は3年間。大きな成果を挙げているとはいえ、終わりではない。まだ強化すべきところがある」と強調、引き続き進度をしっかり管理しながら再建を確実に進めていく考えを強調した。呉・行政院長は、「再建がうまくいっているのは現場で働いている人たちのおかげで、うまくいっていなかった場合は政府の責任だ」と述べ、責任を持って最後までやり遂げる決意を示した。88水害から二年、呉・行政院長が再建やり抜く決意 (台湾国際放送)
無論、過去2年間の復興事業の進捗状況がまるっと評価されているわけではありません。今回はそちらサイドではなく、馬政権の功績や呉敦義の会見を評価した10日の中国時報の社論から。
「あれが私の家です。茄冬樹(アカギ)が我が家の表札代わりです」
家がある者にとって、家を失った者の心中にある永遠の痛みを真に理解することは非常に難しい。2年前の台風モーラコットによる災害は、小林村の400人あまりの人命を奪った。被災者の家族は法会を開き身内を追悼し、二度と家を見ることができない小林村に帰った。ある者は石の上に住所の番号を彫り、ある者はヒマワリの種を播き、またある者は茄冬樹を家を代表するものとして扱った。家は彼らの心の中にあり、痛みや哀しみもまた彼らの心の中にある。2年前の8月7日、台風モーラコットが台湾を襲い、記録的豪雨によって台湾の中南部と東部に深刻な被害を与えた。水害、土砂崩れ、土石流が多く発生し、小林村では数百人が生き埋めに遭った。その他、被害の大きかった被災地としては、当時の地名で高雄県那瑪夏郷、六亀郷、屏東県林辺郷、佳冬郷、台東県卑南郷、太麻里などがある。
公式の記録としては、この災害によって681人が死亡し18人の行方が分からなくなっている。馬英九・総統の国民からの期待は急激にしぼみ、世界金融危機を凌いだばかりの劉兆玄・行政院長は、災害救援が一段落した後の9月に辞任した。
数百の人命が、生存者たちの心の奥底の痛みを治せないのなら、馬政権への影響も消し去り難い。
今年の八八水災の日の前夜、馬英九・総統は被災地に入り、小林村に宿泊した。民進党の蔡英文・主席は、災害発生から2年という節目の日でないと馬英九・総統は被災地に行かない、と批判する。しかし、かえってこの2年あまりの間に、馬総統が既に被災地を82回も訪れていることを疎かにしている。この被災地を訪問した回数というのも、全ての被災者たちに対して言ってしまえば、実のところとても大きな意味があるものではない。しかし、馬政権に対して言えば、必要なレッスンだ。再建の進捗をしっかりと見るという点と、それに乗じて政府の防災、災害救援の能力を絶えずチェックするという点で、である。
この2年の間、復興の動きは片時も停滞することはなかった。政府のまとめた統計によれば、政府は200haあまりの土地を提供し、多くの慈善団体を結び付け、3,000部屋近くの永久住宅を完成させて、その受益者は1万人を超えている。
インフラ整備の観点で言えば、省道台16線の集集区間、阿里山公路、省道台27線大津橋、甲仙大橋、六亀大橋、旗山大橋、新発大橋、18ヶ所の深刻な土石流被災地、屏東県高樹郷の旧寮堤防など復興事業は既に完成している。産業再生でも、ランあるいはハタの育成が再開されたほか、流失した耕地についても約400haあまりが再興されている。しかし、たとえそうであっても、復興事業は全てが済んでいるものではない。例えば、原住民が最も心配している台20線と台21線は現在も不通になっている。一部の原住民は、元の住処から遠く離れて永久住宅に住むことを決め、その地で生活している。道路の一部区間がなお通れずにあるが、災害による被害が甚大で速やかな大規模再建が実質的に困難である。彼らの故郷の中には、今も土砂や岩石に対し有効な対策を施せない場所があり、雨が降れば再び災害が起きることになるため、短期間での帰郷は全く目途が立っていない。しかし、郷里を失った多くの被災者たちにとって、かの失われた家々こそが、彼らにとっての本当の家なのである。
呉敦義・行政院長が復興2周年の記者会見の席上で声を詰まらせ涙を浮かべていた頃、一部の原住民代表者は行政院の外に集まって抗議行動を行った。「故郷の進捗はゼロでも、強制移転なら9割達成だ」。眼を赤くした呉・行政院長は、あるいは心中曲折があるに違いない。被災者たちを故郷から遠く引き離したことも、やむにやまれぬ状況だった。結局のところ、人命がより重要なものであり、政府にどうこう言うのではなく、全ての台湾人にとっても受け入れきれないほど大きな災害だったという事だ。こうした被災者たちの抗議の声を政府は謹んで受け止めるしかない。彼らの心の傷は、どんな美しい永久住宅であっても慰められるものではない。彼らは、ただただ自分たちの家に帰りたいと思っているのであって、やむなく移らせてはならない。この願いに対しては、短期的には実現が非常に困難であると、ほぼ予言することができる。こうした状況の下、政府はより謙虚な心であたり、ありったけの力を投じて被災者たちのニーズを満たすことしかできない。しかし、被災者たちの心中にある足りないピースは、何をもってしても当てはめることができない。
復興再建から2年、中には政府による復興のスピードがやはり遅すぎると憤る者がいる。しかし、それよりも多くの被災者たちが、彼らの身の上に降りかかった災難を黙って受け止めている。努力し、堅実な足取りで、決してよく知っているわけではない新たな環境に溶け込もうと工夫し、新しい生活の展開を学んでいる。
「天災は情け容赦ないが、人間には愛がある」呉・行政院長は、先の記者会見で3度も頭を下げ、復興に携わってあらゆる者に感謝を述べた。しかし、より感謝すべきは、肯定的で楽観的な人生の姿勢を見せた全ての被災者たちであり、彼らが台湾に天災への挑戦と人間性の試練を経験させ、台湾の愛と輝きに光を当てた。実際にその立場にない者は、被災者たちがどのようにこの復興の2年間を過ごしてきたかを想像しがたい。蔡英文は、2周年に合わせてようやく被災地を訪れたと馬英九を非難すると同時に、おそらく自分は何回足を運んだのかと思い起こすべきだっただろう。あるいは、民進党が執政する被災地の県市の首長は何度訪れただろうか? と。また、民進党が呉・行政院長の涙を「ワニの涙(悪人の空涙)」責めた頃、彼らは自らが被災者らのために流した涙があったかどうか考えるべきだったろう。選挙の利害のためになされる冷淡な批評は、被災者にとって、復興にとって、人心にとって、まったく益のないものだ。
災難に直面し、総力をもってしても対抗しがたい時、被災後の復興というものは、一本の長い長い道のりである。災害発生から満2周年というのは、復興の3年目に向けての、再建作業のチェックポイントでしかない。政府がより積極的に、より辛抱強く、連携協調、決してインフラの再建ばかりではなく、我々が求めている心の復興を成すことを期待する。社論 選挙のために被災者の再建を使ってはならない (中国時報/強調は引用者)
もちろん、この社論こそがどうなのよ、と、いろいろ思うところはあります。ここで思い出すのは、2013年ダブル選挙で良いという先日の菅首相の発言。確かに今すぐに総選挙というのは非現実的、おいらも反対です。そこで、仮に今後2年間解散総選挙が無かった状況を思い浮かべてみると、2年後の3月は「選挙まで半年弱」という今日の台湾と同じ状況になります。
その時、日本の舵取りを担う者たちも、そしてそれを見守り選ぶ者たちも、ああ同じように被災者を扱うことになるんだろうなあと思うと、何やら胸が痛むのでした。

