2011年10月アーカイブ
そういった小ネタの次の更新というのは、ぐっと拳に力を入れて、「本当はそういう小ネタだけのサイトじゃないです」という姿勢を見せないといけません。
―――が、そう力を入れ過ぎるとなぜかACGに走るというのがこのサイトの恒例になっているので、今回もまた簡易更新です。ごめんなさい。時間があったら、馬英九がぶち上げた公民投票の話をまとめてみたいなあ、って思っているんですけど、なかなかこれが難しくて(主に語学力の意味で)。
今回取り上げるのは、13日に中国広東省で起きた交通事故のお話です。まずは21日の朝日新聞から抜粋で。
というもの。中国広東省仏山市でひき逃げされた2歳の女児を18人の通行人が放置した事件で、意識不明の重体だった悦悦(ユエ・ユエ)ちゃんが21日未明死亡した。地元紙広州日報(電子版)などが伝えた。
悦悦ちゃんは13日夕、ワゴン車にはねられた。通りかかった人がすぐには救助せず、別のトラックにもはねられた。事件の一部始終が防犯カメラに映っており、保身のため他人のトラブルや困難に関わるのを避けようとする風潮の象徴だとして関心を呼んだ。
南京市では2006年、バス停で転倒して骨を折った女性を病院に運んだ男性が、「押し倒した」として訴えられて一審で約4万5千元(約54万円)の賠償を命じられた。今回の「放置」の背景になったとの見方もある。18人が放置の女児死亡 中国に無関心社会の議論起こし (朝日新聞/強調は引用者)
この事件については、ChinanewsさんがKINBRICKS NOWの「誰も助けてくれなかったひき逃げ事件被害の少女が死亡=中国人の道徳崩壊が話題に―広東省」でも書いていますね。こちらには、つべに上がった実際の映像へのリンクもあるのですが、―――いやあ、これ、「閲覧注意!」ってレベルじゃねえぞ......。
さて、メディアが取り上げたことによって、この事件も日本で知られるようになりました。あ、念のため言っておきますが、もちろん中国国内でも議論になっています。日本での掲示板やブログの感想を見てみると、やはり「中国人のモラルがひどい」という意見は多いですし、おいらもそう思いました。一方で、Chinanewsさんの記事の後半を読むと、「むむむ」と思い直す部分も。
では、この事件を「日本で話題になった中国の事件」という点で、台湾の記者の目から見るとどうなるのか。26日の自由時報に、駐日特派員の張茂森が書いた記事があったので、そちらを訳。
1ヶ所、どう見ても力技で意訳した箇所がありましたが、そこは目を瞑ってください。ちゃんと訳すと、「助けたい気持ちも報われない、こんな世の中じゃ―――p(ry今月13日、中国広東省仏山市で、2歳の女の子の「悦悦」が2台の車にひかれ、18人の通行人から見て見ぬふりをされるという事件が発生し、この女児は最終的に帰らぬ人となった。事件発生後、日本の主要紙や電子メディアは連日にわたって中国の人心の荒廃ぶりや、道徳の失われたさまを批判した。ネット上には数千もの書き込みが連なり、その中には中国人が自ら「これは全中国人の恥だ」と受け止めているものもあった。
日本の各主要メディアが分析した事件の背景をまとめると、その多くは2006年に南京で発生した「親切は報われない」事件に触れており、南京の例が中国社会において見て見ぬふりをする考え方がより深く浸透させてしまったと述べている。(略)
南京の例のように災いを転嫁するような人がいると、「親切によって雷に打たれる」人も出てくることになり、また悪人が務める裁判官に善人が当たってしまう可能性もある。こうしたことによって、2歳の女児の惨劇が生まれてしまったのだ。中国のネット上には、意外にも18人の通行者を支持する声も現れた。「善意がしっぺ返しの結果を生む社会なら、余計な世話を焼かなくなるしかないじゃない! あなたも! 私も!」というのだ。数年前、台湾のある政治家が日本を訪問した際に、日本の記者から「中国人と付き合う時の心得」を問われ、こう答えた。「もし、水中から助けを求めている者が中国人だとわかったら、ちょっと考えてから行動すべし」と。なぜだろうか? 「なぜなら、彼を助けて岸に上げた後、彼は『こいつが俺を水に落としたんだ』と言うかもしれないからさ」。この逸話と、前述の「南京の事件」は完全に一致する。
しかし実際には、このように助けた者が逆に手を噛まれるという事例は、中国だけで起きるというものではない。その他の国でも大いにある話だ。しかし、そのような懸念が予期せぬ災難を招き、死にそうな者を救わないことを正当化するような現象は、間違いなく希有な例である。こうした行為は、決してモラルの低下だけではなく、人のためという基本的な人間性が失われているという問題でもある。数千もの日本の網友たちは、中国社会の道徳や価値観が既に完全に崩壊したと指摘している。また、ある者はYouTubeにアップされている2つの動画を示した。1つは、仰向けになり身動きが取れなくなった1匹のカメに、別のカメが全身の力を込めてひっくり返そうとするもので、最終的には身を翻すことができて終わる。
もう1つの動画は、1匹の雄ネコが車にはねられて既に亡くなっている雌ネコの傍に身を寄せ、脚を使って懸命に体を揺するというものだ。生き返らせようとするが、疲れきって雌ネコの横で休み、やがて再び同じように雌ネコを救おうと動くのであった。カメもネコも自分の同類を救う必要性をわかっている。この2つの動画を観て、中国人はいったいどのような感想を持つだろうか?東京前線:小悦悦の事件は全中国人の恥 (自由時報/強調は引用者)
はいはい。
まあ、穿った見方をしてしまうと、随所に自由時報らしさがあるようにも思えてきます。日本のメディアやネットの論調に乗っかりつつ、当然のように自分たちと「中国人」との間に線を引くさまといい、巧みな引用による題名といい。
「らしさ」という点で、もう一つ別の記事でも。21日の聯合晩報なんですが、この記事「七次江陳會」のカテゴリ、つまり20日から中国の天津で行われていた江丙坤・海峡交流基金会董事長と、陳雲林・海峡両岸関係協会会長との通算7回目の会談について、というわけなんです。ええと、これはどういうことだろう、と思って記事を読むと、19人目に通りかかって悦悦を救った陳賢妹のコメントを引きつつ、こう触れています。
む。ここまでは日本のメディアにもありそうなお話で、特に両岸関係や江陳会に及ばないような気がするんですが、ここからが急転直下。民主化というのは、大陸が現在直面している一つの重大な課題だ。温家宝がかつて大声で呼びかけたこともあった。温家宝は、政治改革が停滞してしまうことにより、全ての成果が再び失われてしまうことを懸念しており、外から見ていると、誰もが言葉の節々に切迫した感情をうかがい知ることができる。しかし、中国大陸にとってより喫緊のテーマは、ひょっとすると民主化ではなく、モラルの喪失なのかもしれない。
観察点/小悦悦の話から両岸和平の道を (聯合晩報)
ええと? 百歩譲って「それは確かにそうだね。道徳は大切だよね」となっても、それが両岸問題とどう結び付くのかなあ。今の両岸を比べた時の隔たりを示しつつ、でもモラルの問題って政治的にな考え方と違って共通の理解が得られそうな気がするよね、っていう狙いなのかしらん。でもそれでアイデンティティの問題が解決するとも思えませんが。ここ数日、両岸の最もホットな政治的議題と言えば、「和平協議」、「公民投票」あるいは「共通の政治的土台」(九二共識、台湾独立反対)だろう。陳雲林もまた温家宝の口ぶりをまねて、「もし両岸の共通の政治的土台に背けば、過去に築いた成果は全て『元の木阿弥になる』だろう」と語った。しかし、いったいどの価値を最上段に掲げるべきだろうか。和平? 道徳? 公民投票? それとも九二共識?
しかし、道徳と政治との間に、何の関わりがあるというのか? 道徳がいったいなぜ両岸関係と関わりあうというのか? 実はそれらは大いに関係がある。平和協定や公民投票にしても、あるいは一中各表も各表一中も、仮にそれらが達成されても、たった一つ道徳が失われてしまえば、それらはどんな状態になるだろうか? 100年前に林覚民が形容した「あたりは血生臭いに匂いで満ち、街は狼犬で溢れている」という有様だけではない。狼犬というのは汚職官吏だけではなく、権力、名誉と地位、金銭そして物欲で溢れた庶民たちでもあるのだ。
これらの事から、正に道徳と良識は最上位に置かれるべきものだと言える。和平、公民投票、統一か独立か、これらはある種の「集団」の概念であるが、道徳とは個人個人の最も深い意識の部分に端を発するものだ。両岸の施政者たち、とりわけ北京当局は、その知恵を集団から個人に転換すべきであり、道徳の危機に集中して根源から救わねばならない。さもなくば、和平あるいは協議、ひいては両岸の商業的利益すらも再び全てを失ってしまうことだろう。観察点/小悦悦の話から両岸和平の道を (聯合晩報)
むしろ、「両岸問題を軟着陸させるためにも、北京当局は個別の政治的テーマよりモラルの向上をうんたらかんたら」なんて言うよりも、Chinanewsさんの
という方が、はるかにはっとさせられるんだけどね。もっとも、こうやって書いてしまうと「あ、やっぱり向こうが抱えている問題はこっちと一味違うわ」となって、それこそ九二共識が揺らいでしまうから、道徳がモラルがって言った方がぼやけていいのかもしれませんけど。個人的には「中国人の道徳云々」という主張よりも、法律の問題、教育のカバー率の問題、あるいは貧困の問題などが大きいのではないだろうか。
悦悦ちゃんのような残酷な事件は、中国では毎年何件も起きている。今回は防犯カメラの映像というショッキングな「素材」があったことが注目を集める要因になった。おそらく、このまま道徳の崩壊をひとしきり嘆いてすっきりした後、みなが忘れてそれでおしまいとなってしまうのだろうが、先に述べたような社会経済的な問題が一歩前進するきっかけになって欲しいと切に願う。
誰も助けてくれなかったひき逃げ事件被害の少女が死亡=中国人の道徳崩壊が話題に―広東省 (KINBRICKS NOW)
3月の東日本大震災では世界各国から多くの支援が寄せられました。中でも台湾からは驚くほどの規模で手を差し伸べられたのは、今さら言うまでもありません。
そんな中華民国政府の中で、諸外国との外交関係を担っている行政組織として外交部があります。日本の外務省にあたる組織ですね。まあ、これも今さらですけど。その外交部のWebサイトの中には、「対外援助と国際協力」というページがあり、対外援助政策の白書が各国語版で見られるほか(これは日本語版も作るべきだと思うんだけどなあ)、過去に台湾が行った対外援助の個別ページも設けられています。2010年のハイチ地震、同年のチリ地震の記録も載っていますね。
さて、当然ここには東日本大震災のための「台湾による日本の大震災への援助」というページもあるのですが、そこにある地図がこれ。
上の世界地図もかなりひどいし、宮城県の真横に「福島」って書いてあったりするんですが、それより何より、ええと......琵琶k......、じゃなくて......ええと......。長野県ェ......。
まあ、こんな揚げ足取りこそまさに今さらだし、「じゃあお前は日月潭の場所を間違えずに指し示せるのかよ!」と問われると、ぐぬぬってなっちゃいますが。
というわけでACGのお話です。
などとツンデレっぽいネタ振りで入ってみましたが、いい加減に本題に入りましょう。10月からTBS系で始まったアニメ『僕は友達が少ない』は、平坂読の同名のライトノベルが原作ですが、どうもけっこうな人気のようです。はい。観ていません。ついでに原作も読んだことがありません。なのですが、このアニメの話題がなんと17日の自由時報国際面で取り上げられていたので、まずは導入部を抜粋して訳。書いたのは、言うまでもなく林翠儀記者。ああもう、この記者からは逃げられない(略して『はげない』)。
しまったそうだったのか。ツンデレ系はもはや時代遅れだったのか。前言撤回、これからは残念系で攻めることにします。え? 路線修正するまでもなく、ちょっとどころじゃない残念ぶりだって?日本の最新アニメ『僕は友達が少ない』の大人気によって、「残念系美少女」が「ツンデレ系美少女」に続くアニメ界の流行語となっている。「残念」は中国語の「遺憾」や「可惜」(訳註:斜字は中国語部分)という意味で、主に、才色兼備にも関わらずいくつかの不可解な欠点によって「これはちょっと嘆かざるを得ない」と思う美少女を指す。
アニメ『僕は友達が少ない』 残念系美少女が大人気 (自由時報/強調は引用者)
馬鹿なことを言っていないで引き続き記事を訳。ちなみに、ストーリーの核心に触れる部分があるので、原作未読の方はここでやめた方が良いかも。
と、相変わらずの林翠儀っぷり。これはpttでも反響があるんじゃないかと思ったら、案の定そうでした。順番をちょっといじりつつ抜粋して訳。例によって名無しさんは勝手に作っています。アニメ『僕は友達が少ない』は、同名のライトノベルを原作としたものだ。原作者の平坂読は、かつて2004年にライトノベル『ホーンテッド!』(訳註:中国語題は『幽靈戀人』。台湾では東立から出版されている)で新人賞をしている。また、イラストを担当したブリキもニューフェイスではあるものの、『電波女と青春男』(訳註:中国語題は『電波女&青春男』。台湾では台湾角川から出版されている)で雰囲気のある美しい画風を見せ、ファンたちをアニメの虜にさせている。
『僕は友達が少ない』は、やはりブリキの美しい画風もさることながら、作者が描写する各種「残念系美少女」たちのストーリーが人を引き付けている。本作の内容を少し書くことにしよう。とある日英ハーフの男子高校生、羽瀬川小鷹は黄土色のかかった金髪のせいで、また笑っても殺気を伴うために、いつも不良少年と間違われてきた。彼は父親の仕事の関係で何度も転校を重ね、そのため学校ではいつも友達づきあいがなかった。
ある日、小鷹はクラスメイトの長髪の美少女、三日月夜空が同じような悩みを抱いていたことを知る。そこで2人は友達を作るための部活として「隣人部」を作る。思いがけずも「隣人部」を立ち上げると、意外にも美少女たちが続々と入部してきた。しかし、ここで重要なのは、この美少女たちというのが、実は全員が「どこか抜けている」者ばかりで、さらには「どうしようもないほど」の「残念系美少女」なのだ。こうした美少女の中には、文武両道で巨乳という柏崎星奈や、男の娘メイドの楠幸村(訳註:原文まま)、天才少女の志熊理科、部活の顧問で天才幼女の高山マリア、そして小鷹の妹で「ロリ系」の羽瀬川小鳩などがいる。彼らは今人気のオンラインゲームや恋愛シミュレーションゲーム、あるいは劇などの活動を通じ友達を作ろうとするが、その大部分は徒労に終わってしまう。
このような「残念系美少女」に似たキャラクタは、実はこれまでも多くの漫画の中に出てきていた。『涼宮ハルヒの憂鬱』の主人公である涼宮ハルヒや、『化物語』の戦場ヶ原ひたぎなど、彼女たちはツンデレ系美少女の代表格でもあった。平坂読は『僕は友達が少ない』によって「残念系」という新たな別ジャンルを大々的に広めようとしている。「残念系美少女」は広義では「容姿以外は、その全てが残念」となる。さらに言えば、「美少女×残念=超残念」となる。このような「どうしようもないほど」の欠点が持つ美しさが、かえって本作品の最大の魅力的な部分となっている。アニメ『僕は友達が少ない』 残念系美少女が大人気 (自由時報/強調は引用者)
などなど。盛り上がっているポイントを3つ挙げると、「楠幸村がらみの(若干の)ネタバレ」「また林翠儀か」、そして、「何で『坂』の字すぐ文字化けてしまうん?」というもの。文字コードの関係なんでしょうが、自由時報のサイトでは平坂読の「坂」の字が表示できておらず「?」になっていました。pttでは1が本文中でこれについて触れていたのもあって、レス欄にも「坂」にまつわるポストがちらほら。まあこれはこれで面白いんですが、記事を書いた当人にとっては「え。その部分で盛り上がっちゃいますか?」という残念な結果なのかも。8 名前:エア友達の名無しさん@台湾
ニュースになっただと......そんなにヒットしているのか?11 名前:エア友達の名無しさん@台湾
台湾でニュースになるとか、マジで驚いたわ13 名前:エア友達の名無しさん@台湾
記者は勉強が足りてないな......幸村は(訳註:都合によりカットしました)14 名前:エア友達の名無しさん@台湾
ひょっとすると、翠儀姉は衝撃のネタバレを避けるために......15 名前:エア友達の名無しさん@台湾
や は り 翠 儀 姉 か31 名前:エア友達の名無しさん@台湾
ずっと「翠儀姉はこの板の住人に混ざっている」ような感じがするんだが24 名前:エア友達の名無しさん@台湾
幸村の本当の性別って誰が知ったんだっけ?28 名前:エア友達の名無しさん@台湾
(訳註:都合によりカットしました)の場面だろ。詳細は小説の第5巻を見てくれ30 名前:エア友達の名無しさん@台湾
至る所にドッキリがあるからどれも差は無いよ。幸村の性別も、小鷹が幼少期に(訳註:都合によりカットしました)というのも(ptt)
さてさて、
一方で、単に統治のスタイルが変わったというのではなく、台湾という土地を治める国も変わっているのだから、土地の視点から見れば「100年前に違う国で起きた内乱の話でしょう? てか、今もその場所って他国でしょう?」というのもわかる。難しいなあ。この社論を読んで、「辛亥革命を記念する国慶日を台湾で祝う」という絵がなんとも滑稽な構図だということが、少しでも汲んでもらえれば幸いです。え? さりげなく流したけどそれが言いたかっただけだろって?
昨日は10月10日。ちょうど100年前のその日、中国では、当時の清朝が治めていた武漢市武昌城で軍による武装蜂起が発生した。この事件を契機として、革命党員が次々と立ち上がり、各省が共鳴していった。1912年1月1日、中華民国臨時政府が正式に成立し、2月12日に清の皇帝である溥儀が退位、清国は滅亡した。
同じ1911年の台湾はと言うと、当時は日本の明治44年にあたる。台湾総督府の工事が始められており、この建物は今なお総統府として使われ続けている。また、阿里山森林鉄路は工事が完了し、日本人が阿里山で木の伐採を指示し始めていた。これにより、貴重な紅檜(タイワンベニヒノキ)、扁柏(コノテガシワ)、樟木(クスノキ)が休みなく麓へ運ばれてゆき、中には遠く日本まで運ばれて神社に使われたものもあった。このように、100年前の中国と台湾は両者がそれぞれ発展し、関係する場面など全く無い。最も大きな違いはなんだろうか? 当時、日本に亡命していた中国の文士、梁啓超が1911年に台湾を訪れた時の感想を見ると、実に対照的だとわかる。「台湾は、我らが領土に200年間も従属し、その歳入は60万ほどにすぎなかった。しかし、日本人は台湾をわずか10年あまりで歳入を3,800万に伸ばした。今年度の予算は4,300万になるという。どうしてこのような結果になったのか?(略)」梁啓超は、同じように台湾を「統治した」のに、なぜ清と日本とでこうも差が大きいのかと指摘している。(略)
(略)1945年に日本は敗れ、国際情勢の中で蒋介石政権は着実にこの地との結びつきを作った。しかし、1947年には二二八事件とその後の一連の「清郷」が発生し、1949年に国民党が台湾に敗走してくると、すぐさま「動員戡乱」と戒厳令をその後38年間にわたって実施することによって、軍と暴力によって台湾を支配下に置いた。この時代の「中華民国」は台湾を主体とした視点から見ると、文字通りの外来政権であり、この歴史的事実は否定することができない。
しかし、1996年になると「中華民国」という名称にも質的な変化がもたらされる。台湾は全住民の直接選挙によって国家のリーダーと政府を選ぶようになり、この時から国民主権、住民の自決により、台湾が真に主権国家となったのだった。「中華民国」も新たなものとなり、この時の中華民国と100年前の「中華民国」は全くの別物と言える。現在進行形の中華民国は台湾であり、仮に「中華民国」は「秋海棠(訳註:いわゆる「外蒙古まで中華民国の領土」とする概念のこと。この範囲を地図に落とすと秋海棠の葉の形のように見えることからこのような表現がある)」に等しいと主張する者がいるのならば、そのような過去の「中華民国」はもはや存在しないと言える。したがって、辛亥双十は「台湾海峡両岸にとって共通の記憶と財産」などではなく(訳註:カッコ内は10日の馬英九の双十国慶節談話から)、国民党と共産党の共同の記憶にすぎない。台湾は「我々の故郷」であるのみならず(訳註:同じく)、我々の国家でもあるのだ。台湾の前途は、国号の変更や憲法改正を含め、2,300万人がいかなる前提条件もない状態で決定されねばならず、中華民国と中華民国憲法は台湾の人々の決定を制限する枠組みとはなりえない。いわゆる「2,300万人の人々が中華民国憲法の規定に基づき共同で決める」は誤りである(訳註:こちらは、9日に総統府発言人の范姜泰基による発言。同日の胡錦濤談話に対し、「台湾の将来は2,300万人の~共同で決めると馬英九総統は何回も述べている」とコメントしたことから)。これら最も基本となる現代の民主思想について、馬英九・総統は10月10日の声明と講話の中で完全に背き、1996年来の台湾の歴史を消滅させようと企図している。こうした行為は、もはや2,300万人の代表と言うには相応しくない。
辛亥双十は、国民全体の共通した記憶と資産などではない (自由時報/強調は引用者)
★ 追記(10/13 20:10)
指摘を受けて一部修正しますた。

