環の如くめぐりては。

東洋大学が毎年まとめている「現代学生百人一首」に昨年(発表されたのが昨年なので、応募自体は一昨年)、こんな一首がありました。ほぼ毎年、入選作品を引いている朝日新聞の「天声人語」がブックマークのリンク先になっていますが、既に途切れているので、東洋大学のサイトに載っている100+10首から気合で探してくらさい。



黒板というのが「学生百人一首」っぽくていいですよね。誰かが書いては誰かが消し、誰もが見ては誰か一人がそれを受け取るという、瞬間瞬間があっという間に過去となる学生生活を表しているかのような素敵な小道具です。最近だと「黒板アート」も時々ニュースになるけれど、あれも刹那の芸術という点では黒板がうってつけだと思います。大人になっちゃうと黒板ってあまり見ないしね。はいそこ、現場写真用の小さな黒板の話はそこまでだ。

さて、今回は、台湾で見つかった古い黒板のお話。今年8月、台南市左鎮区にある左鎮国小(小学校)で、校舎の建て替えに伴って事務室のホワイトボードを取り除いたところ、下から、月間行事予定を書いた黒板が出てきたのです。ああ、こういう予定表の黒板、おいらが通っていた小学校にもありましたありました。

この予定表、8月12日の聯合報を見ると、チョークの文字がしっかり残っていることがわかります。右端を見ると、「臺南縣左鎮國民小學 六月份行事暦」とあります。で、いつの六月かと言うと、今から26年前の1991年でした。なにそれ。おいらがまさに小学校に通っていた頃じゃないですか。 だから、歳がバレる。 おいらにとって追憶の彼方の時代なのに、なんでこんなに鮮明に残っているんですか。あと、字がきれいっす。聯合報の記事によると、黒板の下2行は児童の登下校を誘導する当番らしいのですが、ここに名前のある方のうち3人は既に亡くなられているそうです。なるほど、死して名を残すとはこのことか、と、違うんだけど妙に納得してみたり。

この校舎は1964年の白河地震の後に再建され、さらに昨年の高雄美濃地震(台湾南部地震)を契機に再び建て替えられることになったそうです。ということは、第二次世界大戦後の台湾において2番目と3番目に被害が大きかった地震(交通部中央気象局のサイトによれば、白河地震は死者106人、美濃地震は死者117人。戦後、台湾で死者が100人を超えたのは、このほかに921大地震の2,415人のみ)に挟まれた50数年間、数多くの子供たちが学んでいたことになります。じゃあ1991年から2016年まではどうなっていたのか、というと、ホワイトボードの導入にあたって、この黒板を下に残したみたい。その時に消さなかったことが今となっては「いい話」になっていますが、残すにしても変に絵を描いたりせず事務的にそのままというのはすごいなあ。

当然のごとく、この黒板を保存する声が高まるのですが、11月2日の聯合報にある解体業者の話によれば、この黒板の裏側は、正確に言えば壁ではなくレンガのブロックなので、原形で取り外すのは難しいとのこと。しかし、11月4日の聯合報を見ると、解体業者の社長が自ら小学校に足を運んで作業員らとシミュレーションを重ねた結果、手作業によって無事に取り外されたそうです。記事によれば、新しい校舎の中で保存できるよう設計変更を依頼しているとのこと。

そういえば、26年前にも「現代学生百人一首」はありました。1991年に応募された作品から選ばれたものが第5回「現代学生百人一首」入選作品として集められています。湾岸戦争やトレンディドラマなど、世相を反映した作品が並ぶ中、意外な共通点のある歌がありました。

一枚の残暑見舞いは変わらぬ字恩師の声が聞こえてきそう

池田志津恵, 東洋大学, 『第5回「現代学生百人一首」』, 1992

書かれている場所は違えども、恩師の変わらぬ字から声が聞こえてきそうなのは、左鎮国小の黒板も同じです。なんとも不思議なつながりです。

あ、おいらが「冬の陸奥湾に飛び込みたくなる歌」と書いたオリオン座のやつに似たのもありますね。

シリウスはあなたが一番好きな星今も夜空を見あげてますか

井上幸子, 東洋大学, 『第5回「現代学生百人一首」』, 1992

ぐはー。