前回の「君と夜の隅で。」というエントリの題名については、はてなブックマークで謝ったとおりです。おいらは歴史クラスタでも文学クラスタでもないので、戦争文学の基礎中の基礎とも言うべき作品に手を付けたことがありません。
という弁解(になっていない)をはてブで書こうとしたのですが、文字数の関係で後半は載せられずじまいでした。まあ、無理して入れるほどの面白いことでもないしね。ついでと言ってはなんですが、そのこと関連して思い出した、同じ2022年のアニメ映画のことでも。察した方もいるかもしれませんが、新海誠監督の『すずめの戸締まり』でっす。え、今さらですか。今さらです。『天気の子』も、公開から5ヶ月後くらいに感想を書き連ねていたので、それと大差ないでしょう。
この映画、最初の印象があまりよくなかったのを覚えています。その最大の理由は、周辺で最初に観た人の感想でした。いや、面白いとか面白くないとか評価を言われたわけでもなく、超絶ネタバレを食らったわけでもなく、むしろ本人は極力回避しようとして作品を表現したのだと思う。曰く「あの映画は『震災文学』です」と。
それを聞いて、おいらは顔にも出たんじゃないかというくらい「えぇ……」と引いたはず。だって、その子は首都圏の生まれだし、地震のときも関東にいたはずで、何をもってそう表現したのか分からなかったから。そりゃ、おいらだって先の大戦を経験したわけではないし、上に書いたように戦争文学の「せ」の字も読んでいないけれど、アニメ映画『火垂るの墓』はトラウマだし、かつて「おいらに影響を与えた50冊。」を選んだときには『流れる星は生きている』も挙げている程度に齧っているつもりなので、「戦争文学」なんて言葉を使います。でも、戦争を描いた作品が一つの分野を築いたのは、国民の大部分が悲惨な体験を大なり小なり共有していたり、学校教育を通して基礎となる知識が備わっているから成り立つところがあるように思うのです。その点、あの震災は同じ国内であっても体験にあまりに濃淡があるので、距離感がすごく難しい。もっと言うと同じ被災県内でも難しくて、例えばNHKの連続テレビ小説『おかえりモネ』は、その点をド直球に突いてくる描写があって、ちょっと辛くなっておいらは早々に脱落しました。悲惨な体験に近いところを描けば描くほど、遠目の人が入っていけず観客になってしまう。それでもいいんだけど。逆に遠目の人が受け入れられるように話を仕立てると、あまりに離れたところの作品が出来上がってしまう気がして仕方ないのです。それは、福島第一原発の処理水の問題なんかを見ていても、今なお温度差を感じるわけだけど。
そんなことがあったので、事前にけっこう懐疑的というか、余計なことを考えてから観に行ってしまったのですね。いちばん謎に思っていたのは、なんで11年も経過した時期に作ったんだろう、という点。記憶が生々しいうちではなく少し時間を置いたから? いや、でも開けすぎて観客に伝わるのかな? とか。もちろん、戦争文学のうち自身の体験を綴った作品でも、終戦から月日が経って上梓されたものは数多くあって、例えば野坂昭如が『火垂るの墓』を発表したのは戦後20年以上が経過した1967年のこと。そういう意味では、これから先も、多感な時期に震災を経験した世代に筆致が備わってきて、優れた震災文学が出てくるのかもしれない。その時に、どれだけ多くの人を引き付けることができるのかと考えると、記憶や知識の共有という点で、やはり第二次世界大戦のそれとはちょっと違うような気がする。
すでにいろいろ書いてしまったけれど、以下、ネタバレで思いついたままにだらだらと。おいらの体験を極力書かずにいきたいと思います。