ちょっと日が経ってしまいましたが、今月上旬の蔡英文・総統のインタビュー記事をめぐる騒動、というかその後をめぐる騒動について、やはり触れておきたいと思います。
くだんのインタビューは、2月28日に総統府で行われた産経新聞による単独取材で、今月2日に大きく報じられました。さらに同日にはTwitterでも蔡英文が日英両言語で概要をポストしています。中央通訊社日本語版の記事が、「骨子」という形でも触れているのでそちらも紹介。
台湾の蔡英文総統は1日までに台北市内の総統府で、産経新聞の単独取材に応じた。蔡氏は強まる中国からの脅威を念頭に、安全保障問題やサイバー攻撃に関して日本政府と対話したいとの意向を表明した。対話形式は「日本の考え方を尊重する」としつつも中国軍の動向に関する即時情報の共有も含め、日本との安全保障協力に強い意欲を示した。
蔡英文総統、日本に安保対話要請 本紙インタビューで初明言 (産経新聞)
与党関係者によると、蔡総統の発言は主に4つの骨子に基づく。一つ目は中米貿易摩擦や中国の民主主義陣営への干渉など国際社会の関心が集まる問題。中国の圧力をどの国・地域よりも先に受ける台湾のさまざまな努力を世界に伝える。
二つ目は、世界における台湾の地政学的、経済的、民主主義的な価値のアピール。三つ目は日本やその他の東アジア、東南アジア諸国に対する協力の呼び掛け。同じく中国の軍事的な脅威を受ける国同士という立場から、インターネットや偽情報、防疫対策などでの連携強化を促す。四つ目は北朝鮮問題。国際社会と歩調を合わせて地域の平和と安定に尽力する台湾の姿勢を示す。
台湾の状況を知ってほしい 蔡総統、海外メディアを通じて情報発信 (中央通訊社)
っていうか、2月28日に取材したのかよ、というのが最初にびっくりした点ですが、総統府のサイトにあがっている一問一答形式の記事を見ると、産経新聞側も冒頭で、二二八事件の72周年にあたる日に取材を受けてくれたことへの感謝や、犠牲となった人々への哀悼の意を表しています。いや、そうだよね。いくらなんでもそれ無しはまずいよね。
総統府の記事を見ると、安倍首相の在任中に、台湾へ多くの支持があり、また台湾に対して非常に友好的だった、と謝意を述べたうえで、「経済的な分野にとどまらず、安全保障の分野における対話でももう一歩進めたい」と語っています。
と、ここまでは産経新聞の記事を読めば分かるのですが、今回のお話はその後のことでっす。
2日の産経の記事が出るや否や、台湾の各メディアも様々な論評していましたが、台湾以外で素早く反応したのがご存じ中国の環球時報。その日の午前中のうちに、「日本を巻き込んで解放軍に対抗? 台湾のネットユーザからは『間抜け』と猛烈な蔡英文批判」という記事が出ています。「台湾の中時電子報によれば」という点も含め、昨今のテンプレ通りですね。さらに、3日には中国時報や聯合晩報の記事を引用する形で、選挙のためのパフォーマンスではないかという立法委員の発言や、台湾にとって百害あって一利無しという報道を載せています。
環球時報が独自の方向に向かい始めたのは4日になってから。崔明軒記者らによる記事では、それまで「日本のメディア」と書いていたインタビュー相手について、「日本の右翼メディアである『産経新聞』」という書き出しでギアを上げてきました。そうこなくちゃいけない。さらに、自分たちで日本の記事を検索したところ、一部の小規模メディアが転載しているほかは、日本の主流メディアは追跡取材をしていない、など、蔡英文が狙った「国際的なアピール」が果たせていないことをさらっと指摘しています。また、同じ4日の別の記事では、共同通信の客員論説委員である岡田充からもコメントを取っており、李克強・首相が訪日し、逆に安倍首相が訪中した昨年の日中関係改善の流れを踏まえると、安倍首相個人がどう思うかはさておき、国として蔡英文の「対話」の訴えに応じる可能性は極めて低いのではないか、という珍しくまっとうなご意見。
同じ4日、環球時報は日本の外務省の国際報道官室から、直接対話について「考えていない(不考慮)」という回答が記者あてにあったとスクープします。いわく、日本政府は台湾当局と安全保障の領域において対話を進めることは考えていない。日本は、1972年の「日中共同声明」における基本的な立場を堅持し、台湾との関係は非政府間の実務的な関係とし、その関係を維持していくことについて何ら変更はない、というもの。このニュースは台湾にも伝わり、午後には中国時報の駐日特派員である黄菁菁が国際報導官室に確認し、環球時報の報道に誤りが無かったと報じています。この「考えていない(不考慮)」発言が今回のお話のキモでっす。
さて、困ったのは台湾の緑陣営です。高いレベルで梯子をかけようとしたら、なんだか低い位置から拒否されたわけですから。環球時報の報道について、4日のうちにさらりと伝えたものの、5日になってから反撃が始まります。まずは、林翠儀・特派員が謝長廷・駐日代表を幕張メッセで捕まえます。食品・飲料専門展示会の「FOODEX JAPAN 2019」に台湾館が出展するので、そのオープニングセレモニーに出席していたのですが、いくら政界の重鎮で訪中経験もあるとはいえ、謝長廷にコメントさせるのかよ。謝長廷が注目したのは、環球時報の「外務省から単独で回答」や聯合報の「外務省の関係者」といった情報源についてです。誰がコメントしたのか、その者に外務省を代表する資格があるのか、どういったクラスの者か、といった点が定かでなければ、雲を掴むような話でしか無いとやんわり苦言。ソースが大事というのは、昨年の関空の騒動も念頭にあってのことと思いますが、メディアからの質問を外務省の一部署が対応するというのは、珍しくないことだと思うので、ちょっとこれは苦しいような。ちなみに、この記事で注目すべきは、「外務省によれば」という記事に外務大臣の写真を差し込むことで箔を付けようとした中国時報だが、その写真は岸田・前外相だった、っていうツッコミですね。
さらに6日には、「不考慮」はフェイクニュースではないかというPTTでの議論を紹介。「不考慮」のソースが環球時報であること、日本のメディアが続報を伝えていないこと、中国の官製メディアが報じ、それを他の媒体が引用し、さらに中国の官製メディアが引くというのは定石であること、などなど。うーん、ネットの議論で書いちゃっていいのかな。
また、中央研究院の林泉忠・近代史副研究員のFacebookのポストを引く形で、外務省の回答を分析するという補強を図ります。林泉忠によれば、外務省のいわゆる「考えていない」は、「不考慮」ではなく「没有在考慮」と訳すべし、とのこと。え、なにそれ、逆に分からなくなってきた。自由時報いわく、「没在考慮」には「そのことについて考え始める可能性はあるが、考えるところまでは到らない」という意味で、「不考慮」には「そのことは知っているが、そのような考えをしたことはない」ということで意味合いが違うというわけ。なるほどわからん。でも、外務省の発する「考えていない」という日本語は、前者だと思うの。なお、日本のメディアで言えば、このタイミングに至って、サーチナが環球時報の「考えていない」回答を報じていますが、確かに主要メディアに波及した感じはありませんね。うーん、このタイミングで産経新聞あたりが場外乱闘に加わってほしかったのですが、流石に今回は迂闊な行動はとれないと判断したのかしらん。
こうした流れに対し台湾の外交部は、5日と7日の記者会見で、既に日本側からの連絡があったものの、その内容については外交上のものなので差し控えることとしたうえで、日台は良好なやり取りを続けており、日本側の姿勢も明確であると述べています。実にふにゃふにゃっとした見解ですね。また謝長廷が、退役した上層部の軍人が中国に行って情報を漏らしているかもしれないことが、日本側を不安にさせているのではないか、という点については論評を控えています。そりゃそうね。
一方、「外務省の回答というのは、フェイクニュースではないか」という点に猛反発したのが火元の環球時報です。7日夜の記事では、外務省に取材した際の手続きを事細かく述べたうえで、「電話を受けた際に名乗るのが礼儀なので、我々は対応した外務省の職員の名前も知っているが、彼らは規則上『外務省』の名義で対外的に回答することにしているのだから、我々も職員の名前を公表していらぬ混乱を新たに起こさないようにしている」「録音もしているけれど、同様に公開するつもりはない」と、外務省を巻き込む準備があるようにも読める、これはこれで嫌な余談を書いています。また、この文脈で「考えていない」の意味に大きな違いがあるだろうか、という疑問も呈していますね。
この記事で特筆すべきは、外務省からの回答の日本語原文を載せているところですね。以下、引用でっす。
日本政府として台湾当局と安全保障分野における対話を行うことは考えていない。日本の台湾に関する基本的立場は1972年の「日中共同声明」の通り、台湾との関係を非政府間の実務関係として、維持していくことで一貫しており、何ら変更はない。
これはすごく本物っぽい言い方だなあというのが率直な感想。そして後で書く河野大臣の会見での台詞とも一致しますね。「環球時報に乗せられた」と批判を受けた中国時報は、「外務省には裏取りしてるんだけど」という記事を7日朝に出していますが、同じ日の夜に出たこの環球時報の反論に乗じ、9日の記事で自由時報や謝長廷を批判しています。
さて、この外野に燃え広がった状態で迎えたのが日本の外務大臣定例会見です。8日の閣議後に開かれた会見では、
【産経新聞 力武記者】台湾の蔡英文(さい・えいぶん)総統が,今月2日付けで掲載されたものですけれども,中国の脅威を念頭に,東アジアに位置する台湾と日本は同じ脅威に直面していると。その上で安全保障協力の対話のレベルを上げることが非常に重要だということで,安全保障分野とサイバー分野で日本政府と直接対話をしたいということを求めています。これについては,その後,台湾の外交部も台湾当局として正式な立場だということを表明しています。このような台湾側からの呼びかけについて,日本政府としてというか,大臣として,どのように受け止めるかご所見をお願いします。
【河野外務大臣】日本と台湾との関係は,非政府間の実務関係を維持していくというので一貫しておりまして,この立場に基づいて適切に対応してまいりたいと思います。
と回答しており、環球時報が公開した取材回答の後半とほぼ一致していますね。というか、従前のスタンスの踏襲だから同じで当たり前なんだけど、用語の使い方を見ても、この部分の回答はあったと見ていいでしょう。ただし、この河野大臣のように「質問に答えない回答」というのは霞が関の常である中で、一歩踏み込んで蔡英文のメンツを潰すような前半の回答をあえてしたのか、まして環球時報に対してしたのか、という点は、けっこう微妙だなと思っています。仮に蔡英文の提案に乗り気だったとしても、「対話を行うことを考えている」なんてあえて言う必要がないから言うわけがないし(水面下でやればいいだけで)、全く乗り気でないとしても「対話を行う考えはない」と言うのは、今の半島情勢が十二分にめんどくさい中で台湾海峡問題を複雑にするだけでなんら役に立たないのでこれもまた言う必要がない。中途半端に「今のところ考えていない」なんて言おうものなら、「将来、どういう条件が揃ったら考えるのか」みたいな新たなツッコミどころを与えるだけだしね。つまり、蔡英文が切ったカードに対し、日本が何かを場に出す段階じゃないはずなのれす。にもかかわらず環球時報がこれだけ強気なところを見ると、うーん、言ったのかなあ。
さて、再び窮地に追い込まれた感じの緑系ですが、8日の河野大臣の回答を前向きに捉えます。同日にあった菅官房長官の会見の内容も踏まえ、8日の自由時報は「官房長官も外相も、『考えていない』という言葉は使わなかった。国際報道官室の回答は過去のものとなり、今日の大臣の回答がベースとなる」と拾っています。さらにこの記事を書いた林翠儀・記者は、翌9日の記事で、そのテンプレ回答もまた日本の善意が見て取れる、と解説しています。そうなのかな。「従前のスタンスのまま変わらず」って、実質的に蔡英文の提案にゼロ回答なんだけど。事務方で進めていくような話でもないような気がするんですが、どこかで善意とやらを汲み取ってくれたのかしらん。ちなみに、謝長廷も13日に行われた記者会見でこの河野大臣会見に触れ、「考えていない」という言葉は使われなかったという点で幕引きをはかっています。
結果としては、「大人の対応」と「空気を読む」で着地したような感じになりましたが、けっこう考えさせられる出来事だったように思います。環球時報しか報じていないから、といって安易に切り捨ててしまうことや、それを切り捨てるために都合よく論理を組み立てることの危険性ですね。それでなお恐ろしいのは、一周回って、でも本当のところはやっぱりどうなんだろうと不安に思ってしまうところに、両岸の媒体の奥深さがあるように思います。