どこの「姫川」で回せば姫川さんをお迎えできるのか。(その2)

前回の「その1」に引続き、真面目なのか不真面目なのかよくわからない旅行記でっす。「その2」として北海道の2ヶ所を取り上げる予定だったのですが、思っていたよりも画像が多くなってしまったので1ヶ所ずついきましょう。

北海道茅部郡森町(難易度:SR)

2019年7月某日早朝、前夜宿泊した函館市街からバスで森町に向けて移動します。函館本線の姫川駅が廃止されてしまったこともあり、現地へのアクセスとしては函館バスの方が有利なように思います。土日も走っているしね。函館バスセンターと長万部ターミナルとを結ぶ310系統は、全部で127のバス停に停まるという、気の遠くなるような路線バスです。敬意を表して、函館バスセンターまで移動して、朝イチの長万部ターミナル行きに乗り込みます。そこから50あまりのバス停を越え、森町の国道5号上にある、とう……じゃなかった、東山バス停で降ります。時間にして約1時間30分ってとこでしょうか。

名前のとおり、これまた既に廃止されている旧東山駅の近くにあるバス停です。森町姫川は、かなり広い大字で、旧姫川駅はその北の方に設置されていました。例えば1915年(大正4年)測量の5万分の1地図「駒ヶ嶽」を見ると、尾白内川のかなり上流に「姫川」の集落を見つけることができます。

ちなみに、現在の地図はこちら。東山バス停が①の位置です。100年前の姫川集落の跡地(赤丸のあたり)も気になりますが、航空写真で見るとマジで何もなさそうなので、かなり躊躇われます


まずは尾白内川の左岸に渡りましょう。東山バス停から北に歩いてほどなく、左方向への丁字路に差し掛かります(地図の②)。思っていたよりも太い道路で安心しました。気になって橋銘板を見ると、通常は橋の名前がひらがなで書かれるはずなのに、なぜか英語読み、しかもカタカナ(地図の③)。横河ブリッジみたい。


橋を渡ると広大な畑地が広がります。一面の畑を進み(地図の④⑤)、100年前の集落跡地の方向に向けて歩いていったのですが(⑤→⑥→⑦→赤丸を予定)、地図の⑥あたりまで来たあたりで、どうにも嫌な予感が止まりません。何が見えたわけでも、何か聞こえたわけでもないのですが、これ以上進むのはまずい、という思いが高止まりです。結局、どうしようか悩んだ末に、引き返すことにしました(⑥→⑤→⑧)。

脱線しますが、このお出かけから帰って一月ほどたった2019年8月18日の北海道新聞にこんな記事がありました。

17日午後7時25分ごろ、渡島管内森町姫川の道央道上り線で、ワゴン車がクマ1頭と衝突した。けが人はいなかった。この事故で森インターチェンジ(IC)―大沼公園IC間が上下線で約40分間通行止めになった。

道警函館方面本部函館機動警察隊によると、クマは体長約2メートルで体重約150キロの雄。衝突後にその場で死んだ。現場は森ICから函館方面に約3キロの地点。

道央道でワゴン車がクマと衝突 150キロの雄死ぬ 森町 (北海道新聞)

国土地理院地図で、森ICから函館方面に3km測ってみると、まさに地図の⑥⑦近辺じゃないすか。やだー。おいらの足が止まった理由が何かは定かではありませんが、一人歩きが多いだけに、気を付けようと思います。

閑話休題。方角を変え、霞む駒ヶ岳を横目に見ながら畑と牧場の間を北へ向かいます(地図の⑨)。やがて左の方に、背の低いながらもかしこまった建物が見えてきました。「森町立姫川小学校」と、やけに低い校門にありました(地図の⑩)。よくよく調べると、2002年度に廃校になっており、今は森町の発達支援事業センター「あいあいクラブ」として使われているそうです。少子化のせいとはいえ、廃校はやはり切ないですね。建物には小学校の校章もまだ残っていました。スターの校章ですね。道を挟んで立つのは姫川多賀神社。この地域の中心部と言えますが、週末の朝早くとあって、どこか寂しい雰囲気は否めません。

気を取り直して、この小学校で回すことにしましょう。デレステでは、SSR[ぐうたら王国]双葉杏のほかSRが2枚。すごい。モバマスでは新規1枚を含むSRが4枚という結果。これは、駅が無くなっても、北海道まで来いということなのかしらん。

さらに北上すると100分ぶりに国道5号に合流します。茅部中の川の方へ少し歩くと姫川バス停がありました(地図の⑪)。

前回の多治見・可児や武生で思ったのですが、1地域で1回しか回さないというのは、あまりにリスキーです。このままでは6地域全滅の恐れすらあります。やはりガチャは悪い文明。ようしわかった、御託はいいから回しなさい。姫川バス停まで戻って挑戦します。デレステはSSR[ブランニュー・ビート]多田李衣菜のみ、モバマスはSRが3枚とこれまた好調です。うう、でも姫川さんが出ない。

頭を上げると、隣の集落である「森川」の看板が中の川橋に掛かっていたの見つけたので、もしかしてと思って反対側を見たところ、しっかり「姫川」の文字がありました。よかった(地図の⑫)。そのまま国道5号を東に戻っていきます。歩道はすぐに消えてしまいましたが、路肩が広いため、交通量が多くても比較的安心です(当社比)。国道から姫川信号場は確認できない、といろいろなサイトで書かれていますが、本当に分からなかった。最後の難関が、尾白内川に架かる上姫川橋(地図の⑬)です。路肩がないので、大型トラックが来ると詰みます。カーブの向こうが信号なので、国道側の交通が切れたタイミングでどうにか駆け抜け、事なきを得ました。

国道5号から白川集落の方に入り、函館本線を越えたらすぐに左折して、姫川信号場に向かいます。地図上はそこそこ広い道のはずですが、未舗装なので否が応でも警戒心が高まります。後から見たら、Google Street Viewもこの未舗装区間は忌避していた。この意気地なしがあああ。再び舗装が戻ったところに、レストラン「グリーンパーク」の入口が(地図の⑭)。今も「姫川駅には行けません」は健在でした。

しばらく歩いたところ、姫川駅への入る分岐を見過ごしてしまい、少し戻ることに。文字が薄くなった消火栓の標示は、これよりも大きなSLを模した案内看板を横に携えていたのでした(地図の⑮)。あれれ。こんなに歩いたっけかかな、というくらい林の中を進み、Y字路を右へ(地図の⑯)。信号場になってもそれなりに人の出入りがあるのか、轍が残っていて通るのに不都合はありません。相変わらずの木々なので不安は高まるのだけれど。

目の前が開けると、姫川信号場です(地図の⑰)。こじんまりとした駅舎と立派な駅名表示は跡形もなくなってしまっていましたが、最低限の手は入っているようで、少し寂しいやら安心するやら。列車の音がしたので法面下の線路を除くと、回送の特急車両が駆け抜けていきました。ホームももう無くなっていますね。

気を取り直し、ここでも回してみましょう。割と今日の大本命です。が、デレステはSR3枚、モバマスはSR1枚という微妙な出目。あれれ。明らかに、姫川小学校→姫川バス停→姫川信号場で運気が逃げていっている気がする。

もやもやする気持ちを抱きながらも、同じ場所で何度も回すのもいかがなものかと思うので、諦めて森駅に向かいます。住所も森川町に変わってからけっこうたったところで、森川姫川生活改善センターを発見(地図の⑱)。おまえ、北海道でも生活改善が求められていたのかい! さっそくスマホを手にしてみましたが、デレステはSR1枚、モバマスはRだけ。むむむむ。この後、新函館北斗駅からバスに乗り換えて日本海側の乙部町へ。続きは次回でっす。

ちなみに、よく分からないのが「姫川」の名前の由来です。角川日本地名大辞典によれば、姫川信号所が設置された1913年(大正2年)よりもはるかに早い明治初期の時点で尾白内川に「姫橋」があり、1891年(明治24年)には姫川教授場が開校されているそうですが、由来までは書いていません。上の方で引いている1915年(大正4年)測量の5万分の1地図を改めて見ると、今の尾白内川に「姫川」という河川名を乗せていることから、川の名前が地名になったのかなとも思います。この尾白内という地名自体は江戸時代から既に見られているもので、再び角川日本地名大辞典によれば、「オシラリウンナイ(潮の入り込む沢)」が縮まったという説や、「オシラルウンナイ(川口に岩礁のある川)」が転訛したという説などがあるそう。でも、それを意訳しても音訳しても「姫川」にはならないし、どちらも今の尾白内駅などがある尾白内集落あたりの描写にすぎない。むむむ。姫川という名前はどこから来たのかしらん。

小括

今回の4ヶ所での結果はこんな感じ。

市町村 引いた場所 モバマスSR
(うち姫川さん)
デレステSSR(同) デレステSR(同)
北海道茅部郡森町姫川 旧姫川小学校 4 (0) 1 (0) 2 (0)
北海道茅部郡森町姫川 姫川バス停 3 (0) 1 (0) 0 (0)
北海道茅部郡森町姫川 姫川信号場 1 (0) 0 (0) 3 (0)
北海道茅部郡森町森川町 森川姫川生活改善センター 0 (0) 0 (0) 1 (0)

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