かつて、大正昭和の文豪は「幸福はいちどに寄せてくるらしいね。苦しいときは何も彼も苦しいように、よくなるときは一度によくなれるね」と書いていましたが、さて実際のところはどうなんでしょ。
4月27日、台湾である女性作家が、台北市内の自宅で自殺しました。28日の聯合報をはじめ、一部の記事では本人の名前が書いてありますが、後述のとおり後から名前を伏せて報じられている記事もあるので、基本的には以下、名前を書かずに進めます。
この聯合報の記事によれば、現場で手書きの遺書は見つかったものの、家族や友人に謝罪するような内容で、家族も「最近気分が落ち込んでいたようだが、どうして早まってしまったのかわからない」と書いています。また、27日の中央通訊社によれば、高校生の頃からうつ病となり、16歳から精神科で診療を受けていたが、医者は明確な病名を告げていなかったとのこと。それにしても、様々な媒体の電子版で報じられているのですが、軒並み、記事の末尾に「いのちの電話」のようなところの電話番号が書かれているのが、すごいなあと思いました。ほかにも、29日の中央通訊社では、精神科医で作家の陳豊偉のFacebookを引く形で、「似たような経験を持つ人を再び傷つける」と、報道の抑制についても書いています。確かに台湾ってそういう事件が多かったイメージありますね。
状況が大きく変わるのは、28日に女性の両親が出版社を通じて声明を出してから。29日の蘋果日報をはじめ、各報道機関がこれを一気に報じました。というのも、のっけから「彼女を苦しめ続け、それが完治しない原因は、うつ病ではない。(その原因となった)8~9年前に起きた誘惑行為だ」と公表し、今年2月に出版された唯一の作品についても「若いころに、塾の先生に誘惑され、それによる苦痛の事実を記録し、心境を描写したもの」、「本を書いた目的は、本の主人公のような女性が二度と表れないような社会を望んだため」と述べ、最後に「もし彼女を見捨てないでくださるのなら、この声明を拡散してほしい」と呼びかけています。
ごめんなさい。おいら、これにはドン引きです。
この蘋果日報によれば、「目下、この小説はよく売れている」そうですが、いや、そういう販促が反則と言いたいのではなくて、身内であってもこういうのを死後露にするのは無しでしょう、と思ってしまうのです。
もちろん、性犯罪は唾棄すべきものだと思いますし、誰にも言えないまま抱え込んでしまう性質の犯罪であることも重々承知しています。また、「なぜ娘は自ら命を絶たねばならなかったのか」と思う両親の気持ちも分からないではないのです。もっとも、いくら厚顔無恥なおいらでも、娘を持ったことも娘を亡くしたこともないので、「分かるのです」とまでは流石に言えませんが。
それにしたって、こうも断定的に、遺書で述べられているでもない「自殺の理由」を連ねるというのは、どうにも違和感をぬぐえません。それって、はたして故人が望んでいることなのかなあ。「自殺の理由」って明確にしないといけないことなのかなあ。別に、作家は遺書なしに自殺すべしだとか、「ぼんやりとした不安」を理由にすべしだとかそういうことではなくて。遺された人が悩んだところでそれこそ「死人に口なし」だし、仮に誰が納得したり満足したりするのかって言ったら、故人じゃなくて周りの人じゃないかな。オーストラリアの映画で『明日、君がいない』という作品があります。調べたら、おいらが東京の映画館で観たのももう10年くらい前のことなんですね(白目)。学校のトイレで誰かが自殺する場面から始まるこの映画、時計の針を巻き戻して、様々な登場人物の状況や葛藤が描かれます。それぞれの悩みや境遇が実にハードなのですが、やがて冒頭の時間が訪れた時の結末も衝撃的な作品です。なるほど、自殺する人間の想いというものは、周囲にはこんな程度しか伝わっていないのかもなあ、というのを無理矢理知らされた感じですね。この作品を観て以来、「真実を求める遺族」にどうしても懐疑的になってしまうのでした。「遺族が納得したいための真実」とやらがあるかもしれない一方、「遺族には絶対に伝わらないという事実」があるんだろうなあ、という。
さて、話を女性作家の方に戻しましょう。両親の公表以降、案の定、世は「8~9年前」の事象に目が行きます。例えば28日の自由時報は、当時16歳を超えていたかどうかが問題だ、だとか、立証するためには何が壁かだとかを丁寧に論じ、ネット上では件の人物の人肉検索が始まります。問題の人物はあっさり見つかり、30日の蘋果日報によれば中国で長期の学術研究中とのこと。ついに両岸を跨いだ騒動に発展します。
さらに5月2日には、民進党籍の高雄市議会議員、蕭永達がこの人物の名前を公表します。2日の聯合報によれば、この人物に社会的な責任を取ることを求め、「この告発が正しければ、塾業界から退いてほしい。逆に告発が誤っていたのであれば、民事刑事の責任を負うとともに政界から引退する」と述べています。ごめん、何そのよくわからないバーターは。
また同じ2日の聯合報によれば、衛生福利部が「両親の出した声明には被害者の名前が載っており、性犯罪防止法に抵触する」と指摘し、台南市社会局は出版社に声明の取り下げを求めるとともに、各報道機関に対して仮名での報道を求めています。もちろん、遺族が公表した本件に適用するのはおかしいのではないか、というような意見も3日の自由時報などで取り上げられており、4日の蘋果日報によれば、これに押される形で台南市社会局も公表を罰しない方針に転換しています。
さらに、初七日にあたる3日には両親が4点の声明を追加で発表しました。3日の聯合報によれば、その4点目で「彼女の遺志を忘れないでほしい。それはこういった事件を防ぎ、第二の彼女を出さないことであり、誰かの責任を追及することではない」といった内容とのこと。
こと「彼女の遺志」については訝ってしまうし、ここまで来て「誰かの責任を追及することではない」と言ったところで、今の流れを止められるかも怪しいと思っているおいらです。「弱いものさえ見ればいじめたがる奴があるものさ」とはよく言ったものです。そんなおいらですが、その前段で言われているとおり、彼女のような境遇の者が二度と出ないように、また境遇と結びつくかはさておき彼女のように自ら命を絶つような者が出ないように、何よりここまで大きな話になってしまった彼女自身に平穏が訪れるように、そう願わずにはいられません。
自分で書いて出版したからこそSNSでは話題にはなっていましたからね。自分が実際に被害にあっていた。といわなかったら……
あれこれ思うのは簡単なのですがね……
若すぎる……
……ご冥福をお祈りします