2023年もまもなく終わりそうですが、更新するネタに頭と指が追い付きません。まずは、今年のうちにまとめておきたいお出かけの話をしておきましょう。2022年夏までgdgdと書き続けた「どこの『姫川』で回せば姫川さんをお迎えできるのか。」の最終回を投稿した際に、Twitterで、
ブログ更新。2年かけて書いてきた「全国6+2ヶ所の『姫川』で21回ガチャを回す」お話の最終回。結論としては、「『砂塚』姓がめっちゃいる柏崎市石曽根が気になる」です。→どこの「姫川」で回せば姫川さんをお迎えできるのか。(その7・最終) – https://t.co/zV123rqM8L
— やうち。 (@Yauchi) July 24, 2022
と書いていました。この気になる柏崎市石曽根に行ってみたのが、今回のお話でっす。本当に砂塚姓の方が住んでいるのか。架空の故郷を訪ねるという意味では、津軽半島の先の方まで夕陽を見に行った「水平線トワイライト。」の方が近い趣旨かもしれません。
さて、10月下旬、新潟県柏崎市に一泊してから柏崎市石曽根を目指します。
お昼のポストのとおり、今日は新潟県の真ん中あたり(ざつ)をうろうろしていたのですが、柏崎の宿の朝食会場が、乙倉ちゃんと久川姉という、三角関係がこじれそうな素敵なお名前でしたまる。 pic.twitter.com/JtGtGzYZHg
— やうち。 (@Yauchi) October 22, 2023
具体的に位置関係を確認すると、こんな感じ。柏崎市内から国道252号を南進し、だいたい15㎞くらい離れています。となると、たどり着くだけでも一苦労ですが「どこの『姫川』で」でもやったように、公共交通機関で向かいたいと思います。いろいろ調べると、越後交通バスで「岡野町車庫・じょんのび村線」に乗る一択。砂塚ちゃんもこのバスに揺られて通っているんだろうか。もともとは石曽根村と単一の自治体を組んでいたくらいの広さなので、バスを降りてから少し歩き回ることにします。
上にも書いた柏崎駅前のホテルを早朝に出立し、30分ほどバスに揺られて田島入口で下車します(地図の①)。岡野町車庫方面のバスは、平日6本、土休日5本しかないので、工程の組立ては入念に。というか、最初に出会った時のコミュを見ると、バイト帰りに一人で歩いているところで遭遇していますが、これはバイトを入れるのも難儀しそうだし、東京との往復も大変そう。なお、コミュの背景で棚田のような背景があるため、日本の棚田百選やつなぐ棚田遺産にも選ばれた市内南部の高柳町域も惹かれるものの、石曽根よりもさらに山間部に入っていくため、今回は見送りで。そもそも、風通しも日当たりも悪くなるから、あんな真ん中の木々は切り倒すでしょ、って背景を見て思っていたけれど。
石曽根は、国道252号と並走する鯖石川の西側のうち、ちょうど地図の下側の切れ目くらいまでが範囲ですが、南東部は集落が無さそうなので、ここから小清水の集落に向かって南進します。前夜の雨に濡れた路面と、そこから霧のように立ち上る蒸気が、山間に来たことを思わせます(地図の②)。狭い谷筋にひしめく小清水の集落を抜けて、そのまま戻るのではなく西に折れて尾根を越えていきます。振返ると、朝日に照らされた田畑や家々が眼下に広がっていました(地図の③)。地理院地図ではトンネルのような記号で描かれていますが、現地は完全な切通し。路面が新しかったので、近年になって削ったのかもしれません。ここまで歩いていて気が付いたのですが、積寒地の農家住宅って、接面道路から母屋まで距離があったり、至近になっていても風除室のようなものが邪魔をして、表札が全くと言っていいほど見えません。つまり、家はそれなりにあるのだけれど、「本当だ、砂塚さんがたくさん住んでいる」っていう確証がまったく取れない。ただでさえ、こんな朝早くにキョロキョロしながら歩いているので不審なのに、用もなく敷地に入った日には「もしもしポリスメン?」となりかねません。慎重を期して歩いているうちに、集落を一つ歩き越すことになってしまいました。
やがて道の両側には田んぼが広がり始め、さらにその外はどちらも山と山、という景色が続きます(地図の④)。しばらく行くと、農家の方々が軽トラから農機具を下ろして、何か作業をしているところに遭遇。あちらも、まさか山のほうから見知らぬ人が来るとは思っていなかったようで、何故か「ずいぶんと朝早くから頑張るねえ」という謎の声掛けをされました。農業関係者に「早い」って言われたのは生まれて初めてかもしれません。西之入の集落に入ると大きめの家が立ち並び、中心部と思われるあたりで集落案内図を発見(地図の⑤)。農家村落でよく見かけるやつで、各家の世帯主がフルネームで書かれていました。これによると、西之入には砂塚姓が数軒ある模様。せめて表札だけでもチラッと、と思ったのですが、どの家も敷地が広くて、玄関を遠目に拝むのも難しそう。断念して、次の集落に向かいましょう。
国道252号の数百メートル手前で視界が開けてきたので、どうせならと、農道と思われる通りを北に向かいます(地図の⑥)。しかし、宮之下も行兼も、砂塚の二文字を見かけることはありませんでした。行兼では、路傍の石仏群(地図の⑦)の近くに墓地もあったのですが、こちらでもそれらしき名前は刻まれていませんでした。え。そこまでしたんですか、したんです。
さらに歩いて最北の笹崎の集落へ。地図の北側で国道252号が北西に折れている箇所がありますが、だいたいこの辺りまでが石曽根です。小道を入っていくと、心なしかほかの集落よりも一つの画地が小さく、北側の山際にぎゅっと寄って家が建っているような印象を受けます(地図の⑧)。南側に広がる階段状の田の上の方から遠目に集落を見ると(地図の⑨)、曇り空も相まってか、ちょっと物悲しい風景に見えてしまいました。こういう場所で生まれた個性が、SNSでもロケハンに来た変な人でもいいけれど、誰かの目に留まって花開くというのは奇跡のようなものだなあ、などと。それはそれとして、なんとかこの地に砂塚姓がいることくらいは見ておきたい。再び笹崎の集落に戻ると、民家の軒先に「砂塚マッサージ」の看板を発見(地図の⑩)。いや、これ、留まっているのか落ちているのかわからないよ。Google Mapで存在は確認していたのですが、営業しているかどうかも、看板があるかどうかも分からなかったので、柏崎市石曽根に砂塚姓の方がいらっしゃったという証が確認できて、本当によかったです。
どうせなら、施術を受けてくればいいじゃない、という声が聞こえてきそうですが、帰りのバスまで少し時間があるとはいえ、日曜の朝っぱらから予約なしで突撃するのは流石に頭を撃ち抜かれるでしょ。勝手に砂塚あきらの故郷と決めつけて訪れただけの身としては、あまり長居はせずに退散あるのみです。なんとも締まらない結末だけど、果たして砂塚ちゃんは「いいんじゃないデスか、それに」と言ってくれるだろうか。