前回の「その2」から間が空いてしまいましたが、定期的なのか不定期なのかよくわからない旅行記でっす。「その2」の森町を出て、その日のうちに新函館北斗駅から函館バスを乗り継ぎ、江差町経由で檜山の乙部町へ。渡島半島を東から西へ、内浦湾から日本海へとサイドチェンジです。
北海道爾志郡乙部町(難易度:SSR)
2019年7月某日夕刻、乙部町の中心部に近い乙部バス停で下車し、コンパクトな街並みを抜けて、再び国道229号を北へ歩きます。しばらくすると、少し大きな川が見えてきました。これが姫川ですね。姫川橋という橋を渡ると、右岸のたもとに古めかしい説明書きを発見しました(地図の①)。
まじか。義経伝説は半分目を瞑るとしても、義経伝説があって名前を付けたんじゃなくて、お話が後からできたような書き方じゃんよ。ちなみに、「川口が沼である川」と言われても、今の乙部に沼らしき沼はありません。1917年(大正6年)測量の5万分の1地図「江差」を見ると、今よりも河口が北にあったことは分かるものの、やはり沼はありません。今の町民会館や体育館のあたりにある荒地がそれなのかなあ。
さて、姫川橋からさらに5分ほど歩いて本日のお宿、「おとべ温泉郷 光林荘」に到着です(地図の②)。明日は、町内の「姫川」を目指して歩き回るため、早々にご飯とお風呂のつもりでした。ところで、泊まった場所だなんて、そんな足が付くようなことは本来このブログに書きません(おい)。しかし、こちらのお宿、泊ってから知ったのですが、「姫川」という名前のお部屋があるじゃないですか。この部屋の中で、枕投げが展開されているかと思うと胸が熱くなりますね(やってない)。ちなみに、他のお部屋も乙部町の地名や名所の名前が元になっています。それにしたって「蚊柱」あたりは、かなり攻めた命名だなあと思います。
思わぬ姫川スポットの発見ですが、動じず回してみましょう。デレステでは、SSR[P.C.S]島村卯月のほかSRが2枚。あ、すごいすごい。一方、モバマスではすべてRという結果でした。もう一回、という衝動にかられ一人廊下で悶々としてみたものの、諦めてさっさと寝ることにしました。
開けて翌朝は好天に恵まれました。レンタカーは使わない、という縛りを設けたはいいものの、今日の目的地である乙部町姫川にバスは通っていません。レンタサイクルもありません。うん、じゃあ歩くしかないよね。宿の売店でお水を買って姫川の上流に向かって歩きます。
姫川の下流部は、左岸を道道460号乙部厚沢部線が東西に走っていますが、右岸側にも整った農道があります。まずはそちらを歩いて上流に進んでいきます。こう書くと勾配がキツそうな印象を与えますが、非常に緩やかに流れる川なので、道も自然とまっすぐで平坦な感じがあります。要するに、うん、あんまり景色に変化がないです。30分ほど歩いて振り返って撮った風景がこちら(地図の③)。のどかです。
写真の場所からもう少し歩くと、十字路で唐突に「← 生命の泉 ひめかわの水」という表示が飛び込んできました(地図の⑤)。言い換えると、ひめかわの水は、生命の泉。なにその宇宙の真理みたいな案内板は。これは、1995年に発生した北海道南西沖地震を教訓に、当時の町長が24時間給水可能な用水施設を町内5ヶ所に整備した「生命の泉」の一つです。地名や神社の名前をそれぞれ付けているため、他にも「能登(のど)の水」や「八幡さんの水」といった名称がつけられており、ここは「ひめかわの水」というわけ。 能登おいしいよ能登 。
山の湧き水にありがちな、武骨な水の湧きだし口と柄杓くらいしか無いのかと思ったら、けっこうしっかりした休憩所っぽくって驚きました。おお、本当だ、水が流れている(そらそうよ)。ははあ、これが姫川さんのお水ですね、と思って手で受けようとしたところ、「湧水は消毒されていない水です。一度沸かしてから飲むようにしましょう」という注意書きが。むむむ。予定外だ。見なかったことにして飲んでしまおうか、とも思いましたが、このお水が原因でお腹を下すのも評判を落としかねないのでそれは避けたい。
あ、そうだ。宿でお水を買ったじゃん。ということでゴソゴソと取り出すは、何を隠そう姫川水域の井戸水を詰めたミネラルウォーター「Gaivota」です。なんと露骨なダイマ。
7月とあって既に汗もかいていたので、姫川さんのお水を飲みながら、ここで今日最初のガチャを……と思ったら二回目の予想外が。おいらのスマートフォンだと、この四阿が圏外なんです。えええ。立ったり振ったりしても、うんともすんとも言いません。どうでもいいですが、電波が悪い時に振る人ってもう見ないよね。結局、先ほどの「←ひめかわの水」の交差点まで戻ってから回すことに。デレステは新規を含むSRが3枚。乙部で乙倉ちゃん。モバマスでもSRは出たものの、やはり姫川さんは不在。ぐぬぬ。ソフトバンクの電波のせいにしよう。
そういえば姫川を見ていないことを思い出したので、道道まで移動してから再び上流を目指します。途中、道道と姫川が接近して並走する場所がありますが(地図の⑥)、近くにある頭首工のせいもあってかなり水量が多く見えますね。豊かな姫川さん。ダメだ。暑くて頭がおかしい(前から)。しょうがないじゃない。こんな感じの風景が続くんだもの(地図の⑦)。
人家が増えてきたあたりで、道道が小さな川を越えていきます。道道の方の姫川橋です(地図の⑧)。ここでいう姫川は、渡っている川ではなく集落の名前から取ったんでしょうね。1917年の5万分の1地図では、「小坂下」と書かれており、集落がいつから「姫川」になったのか、というのも気になります。昔は商店だったと思われる建物の横に小さな郵便ポストを発見しました(地図の⑨)。右下に「乙部町字姫川」の文字もありました。当然ではあるものの、文字で見るとほっとします。
さらに進むと集落の中心っぽくなっていきます。道道は、家々に集落に別れを告げて姫川の左岸に渡っていきます。上姫川橋から上流を見ると、姫川はこの先北東に流れを変え、乙部岳を目指していきます。一方、左岸側は字名を変えて乙部町字旭岱。なので、歩みを止め、改めて上姫川橋から姫川の集落を振り返ってみます(地図の⑩)。
橋からすぐのところに学校を見つけました。校門の両側に「姫川中学校」「姫川小学校」の文字があります。ただし、中学校は2004年に、小学校は2011年に閉校になっているので、現在は使われていません。
小さな集落なので、ぐるっと歩いてみましょう。学校の東側には、立派な鳥居と姫川稲荷神社に続く参道がありました。その横には地元の消防団のものと思われる倉庫と、「姫川格納庫」の文字が。まじか。モバマスの女子寮みたいなものですか。それにしても、越前市の「姫川一丁目自警隊 消防ポンプ置場」もそうだけど、消防団と縁があるんだろうか。川沿いには、エメラルドグリーンの屋根が美しい真新しい建物もありました。「姫川ふれあいセンター」、そうですね、触れ合いたいですね。
一周して(二周半くらいしたけど)、やっぱり学校跡で回そうかな、と戻ってみたら、先ほどまでいなかった子供たちの姿が。けっこう年の離れた感じのする男の子三人が、野球をやってるじゃないですか。投手と打者と、センターのあたりにもう一人。最小限の人数で、それでも野球で遊びたいという思いが伝わってきます。うわあ、これは確かにキュンキュンします。
こういう光景を見せられちゃったら、もう姫川小・中学校跡で回すしかないでしょう。勝手にきゅん・きゅん・まっくす状態で挑んだ結果は、というと、デレステは新規SRが2枚、モバマスはSR1枚。おかしいなあ……。
失意の中、再び1時間ほどかけて町の中心部まで戻り、元和台なども見て遊んでから、前日と同じく江差経由で新函館北斗まで。帰ってから気が付いたのですが、顔とか首とかは日焼け対策をしていたのに、手首を完全に疎かにしてしまっていて、「やうちさん、どうしたの? 農作業?」って言われました。やっぱり夏の徒歩移動は入念に準備しないといけませんね。
小括
今回の3ヶ所での結果はこんな感じ。
市町村 | 引いた場所 | モバマスSR (うち姫川さん) |
デレステSSR(同) | デレステSR(同) |
北海道爾志郡乙部町館浦 | おとべ温泉郷 光林荘 「姫川」の間(の前) | 0 (0) | 1 (0) | 2 (0) |
北海道爾志郡乙部町姫川 | 生命の泉 ひめかわの水(の入口) | 1 (0) | 0 (0) | 3 (0) |
北海道爾志郡乙部町姫川 | 旧姫川小・中学校 | 1 (0) | 0 (0) | 2 (0) |